回送電車の女 第二部
二十六
「あの、済みません。新条署の警察の方がお話を訊きたいって訪ねてきてるんですけど、誰か対応出来ませんかあ?」
О電鉄S管区電車基地、運転手控室に入ってきたのは事務員の女性だった。
(新条署の警察?)
名前を聞いて、睦夫がさっと立ち上がる。
「あ、俺。今、シフトはすぐは入らないんで対応しとくよ。で、何処居るの、その警察の方?」
「ああ、下のロビーに居ます。女性の方です。」
警察が直々にここに訪ねてきたということは何か掴んでいるのかもしれないと思い、こっそり探りを入れておくに越したことはないと睦夫は考えたのだ。
「あの、新条署の方・・・ですか?」
「あ、どうも。私、水島良子と申します。ちょっとお話がお伺いしたくて・・・。」
良子は警察手帳を見せながら自己紹介する。生活安全課だとはわざと名乗らない。後で言われたら、訊かれなかったからと答えるつもりだった。
睦夫は辺りを見回してみる。受付ロビーは今は人が居ないが、結構出入りはある。
「えーっと、今の時間なら職員食堂が時間外なので空いていると思うので、そちらで伺うというので構いませんか?」
「あ、勿論です。お願いします。」
睦夫はひと気のない職員食堂の奥に良子を案内してゆき、向かい合わせに席を取ると自分の方から切り出す。
「あの、どういったご用件でしょうか?」
「ああ、お忙しいところ済みません。少しだけお時間を頂いて、電車の運行の事など幾つかお聞かせ頂ければと思いまして。」
「何かの捜査の関連ですか?」
「あ、いや。まあ、そういった類の事ではあるんですが、捜査に関することはこちらからは申し上げすることは出来ない規則になっておりまして・・・。」
「ああ、そうでしょうね。で、お聞きになりたいというのは?」
「単刀直入にお聞きするんですが、夜中とかの回送電車に一般の人が立ち入る・・・とか、そういった事って出来るんでしょうか?」
「一般の人? 運行関係者ではないっていう意味ですね。それは無いですね。」
「あ、例えば、運行が終わった車両に乗っていて隠れて降りなかった場合とか・・・。」
「あ、一応運行が終わりますと扉を閉めた後、車掌が車内を点検・確認することになってますから。」
「ですよね。じゃ、例えば運行関係者の知り合いとかだったら・・・?」
「運行関係者が知ってて乗せたとなればなくはないでしょうけど。でももし見つかったら懲罰ものですよ。」
「あ、なるほど・・・。あ、では。ある特定の時間帯の回送電車に誰が運転してたとか乗ってたなんて情報は調べれば判るんでしょうか。」
「運行記録ですね。うーむ。あ、これって捜査令状のある調査なんですか?」
良子は痛い所を突かれてしまった。勿論、捜査令状どころか調査することさえ新条署には内緒の個人行動だった。
「あ、いや。今回はほんの任意の調査ですので。あくまでもご協力頂ければということで・・・。」
睦夫は相手の目の動きを読んで、確たるものは掴んでいない段階での調査であると踏む。
「あ、お気を悪くなさらないでください。私、刑事物のドラマとか好きでテレビでよく見てるものですから、捜査令状とか、任意の調査とかそういう言葉って本当に使われているのか、実際の本物の警察の人に一度聞いてみたかったんですよ。」
「ああ、そうなんですね。」
「あ、よくドラマとかで刑事は二人一組でなければ捜査が出来ないとか言いますよね。」
これも良子には痛い所だった。
「ああ、テレビではよくそんな台詞が出てくるみたいですね。勿論、基本的にはそうなんですけど、警察もそれほど人材が潤沢に配備出来てるって訳じゃないので、難しい事案とかでなければ手分けして一人で廻るってことも結構あるんですよ。」
「ああ、そうなんですね。大変ですねえ。あ、それで運行記録なんですが、お客を乗せて運行する、我々は営業運転って呼んでますが、その場合にはかなり厳密に記録が録られています。ただ、営業運転ではない回送の場合はそこまできちんとしてなくて、その場、その場で空いている運転手が割り振られることが多いんです。あの、電車の運行って結構想定外の出来事もあるんで・・・。あ、例えば事故とかによる遅延とか、故障とかもありますし。そういった場合は正規の営業運転の方を優先させて、回送とか補充とか車両交換とかの補佐的な運行は予備の人員をその時、その時の余裕度合を見て割り振るんで、依頼してきた運行センタの人とか依頼を受けた予備の運転員なら自分の事としては憶えているかもしれないですけど、他の人が何時、何の勤務を行ったとかまでは・・・・。ま、憶えてないほうが普通でしょうね。記録もいちいち残しませんし。」
「そ、そうなんですか・・・。そうですよね。ちなみになんですが、夜中に裸の女性が空の回送電車に乗ってたなんて噂が時々流れているようなんですが・・・。あ、ネットとかでですね。」
「ああ、ネット上の噂ですか。あり得ないですね。フェイクニュースじゃないですか? えーっと、何かこの路線で特にそういう噂があるんですか?」
「あ、いえ。そういう訳じゃ・・・。あくまで一般論としてお聞きしてるんで。あ、偶々、私通勤でこの路線を使ってるものですから、身近なところで一度様子をお聞きしてみようと思って。」
「ああ、わが社の路線をご利用なんですね。ありがとうございます。私も一般論でしかお答えできないかもしれませんが、他に何かお聞きになりたいようなことがありましたら是非またお越しください。」
「本日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。」
良子は一礼してその場を後にするのだった。見送る睦夫も名刺をくれなかったその警察官の名前だけはきっちりと頭に叩き込んだのだった。
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