ベンチ寝落ち

回送電車の女 第一部




 二

 (十五、十六、十七・・・)
 睦夫は頭の中でずっとカウントを続けている。扉が閉まるまであと五カウントぐらいだ。睦夫が滑り込んだ車両の扉が背後で閉まるのを音で確認する。
 「発車しまあすぅ。」
 車内アナウンスが電車の発車を告げると電車は再び動き始める。睦夫は過ぎ去っていく待合所のベンチに女の白い脚の先だけが見えているのを再度確認すると、車掌の居る最後部車両へとゆっくり移動していくのだった。
 都心のターミナル駅である新条駅はこんな最終電車の時刻になっても多少のひと気はある筈だが、そのひとつ手前の南新条駅は都心ターミナルのすぐ隣という立地から昼間でも乗り降りする人は殆ど居ない。ましてや最終電車が通過する頃には駅にもホームにも殆ど人の姿は無い筈だった。睦夫が戻って来る迄の間に、待合室のベンチで眠りこけている女を誰かが発見する惧れは全くないと睦夫は自信を持っていた。



 その一箇月ほど前の事である。睦夫は自分と同じパターンで電車に乗っている若い女が居ることに暫く前から気づいていた。早朝の首都圏のターミナル駅である新条駅から郊外へ向かうまだガラ空きの始発電車に乗り込み、ほぼ終点である東小田山で降り、逆に夜は最終電車に東小田山から乗って終点の新条駅まで乗っていくのだ。睦夫が毎日同じパターンで同じ始発と終電に乗っているのと同じように、その女性も終電で都心駅の新条へ向かい、始発で新条から終点の小田山駅近くまで乗っていくというルーチーンだった。
 睦夫は都心の新条駅と郊外の小田山駅を結ぶ私鉄の準運転士をしている。電車の運転士に憧れて新条駅、小田山駅間を結ぶ私鉄のO電鉄を受けて何とか合格して社員にはなれたものの、運転士試験では実技ではかろうじて合格したが、法律や運行規則等の難しい筆記試験にはなかなか合格することが出来ず、いまだにお客を乗せて走る、いわゆる営業運転の出来る正運転士の資格は取ることが出来ず、営業運転ではない車両の移動のみの、いわゆる回送運転しか出来ない準運転士に甘んじているのだった。そしてまだ歳が若いせいで、睦夫は誰もが嫌がる始発電車と終電車両を始発駅、終電駅と電車基地のある中間地点から、あるいは電車基地まで移動させるだけの回送電車の運転手をずっと務めていたのだった。このふたつの回送運転の為に睦夫は早朝に電車基地まで赴き、始発電車を新条駅まで回送する為に運転し、夜は新条駅まで運行する最終電車に乗り込んで、終着駅からその電車を電車基地まで回送して戻すという運転手を長年続けているのだった。
 そんな回送直後の始発電車と回送直前の終電車を引き継いで運転する為に、睦夫はいつも上りの終電と下りの始発電車に乗ることになる。そんなまだ乗客が殆ど居ない始発、終電の電車に同じ時間に乗ってくる、そしていつも寝不足なのか乗るとすぐに電車内で眠ってしまう若い女性に気づいたのは偶然でしかなかった。
 睦夫はその女性に興味を持ち、何処で乗ってきて何処で降りるのかを確認するようになったのだった。睦夫は電車基地のあるO電鉄の中間地点の割と近くに棲んでいたのだが、ある時その女性が何処で降りるのかを見届ける為に自分の最寄り駅では降りず、その女性が降りる駅まで乗り続け、新条駅とは反対側のターミナル駅である小田山駅の一つ手前の東小田山で降りることを突き止めたのだった。

未央

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