美人女医と看護師に仕組まれた罠
三十九
ちょうど同じ頃、看護師の桜井日菜子の方は老人ホーム所長の後藤から所長室へ来るように呼ばれていたのだった。
「桜井君。ちょっと君に、如月明日香先生には内密に聞きたいことがあってね。ここだけの話にして欲しいんだが、いいかね。」
「あ、はいっ。他言無用ということですね。」
「そうだ。君は明日香先生とは長いんだよね。」
「ええ。私が看護師として飛鳥井総合病院に勤務するようになってからはずっとです。」
「実は先日ここで亡くなった芦田権蔵のことなんだがね。」
「ああ明日香先生が当直だった夜の。」
「そうだ。あの朝、芦田さんと親しい川谷さんが見つけて私に通報してくれたんで、飛んで行ったんだ。明日香先生にもすぐ電話したんだが何故か出なくてね。それで偶々鬼塚先生と会う約束があったんで鬼塚先生にもすぐ来て貰ったんだ。」
「そうだったんですか。」
「検死は結局鬼塚先生にして貰ったんだが、ちょっと妙なことがあってね。」
「妙なこと・・・と言いますと?」
「これは当しあわせ特別養護センタにとっても、飛鳥井総合病院グループ全体にとってもとても重要な問題に発展しかねない。だからここだけの話で絶対他言は無用だよ。」
「あ、はいっ。分かってます。」
「発見された芦田氏はベッドの手前の床に俯せになって倒れていたんだが、下半身は裸だったんだ。最初は、ズボンと下着を脱いでトイレに行ったんだなというになったんだが、鬼塚先生と芦田氏の身体をベッドの上に運び込んだ時に彼の・・・、そのう・・・。ま、君は医療従事者だからストレートに言うが、彼のペニスが完全な勃起状態で硬直していたんだ。」
「え、何ですって?」
「それでね。鬼塚先生がいろいろ考えて、急な心筋梗塞の状態で亡くなったらしいことからすると、シナデルフィルを服用した為に心臓発作を起こしたんじゃないかと考えられるというのだ。」
「シ、シナデルフィルってあのいわゆるバイアグラですよね。」
「ああ、そうだ。勃起促進剤として有名な薬だよ。あの薬は心臓にとても大きな負担を掛けるからね。」
「でも、芦田さんが何処からそんな薬を手に入れたんでしょう。」
「さて、そこなんだが・・・。実は薬剤室の記録を調べたんだが、そこにシナデルフィルの出庫の記録があってね。その処方箋のサイン欄は明日香先生の署名になっていたんだよ。」
「ま、まさか。そんな事、ある筈ありませんわ。だって、芦田さんは心臓の基礎疾患があって、明日香先生だってそれをよくご存じなんだから。」
「普通はそんな薬を処方する筈がないと考えるものだよね。しかしこう考えてみたらどうだろう。明日香先生は芦田権蔵に言われて仕方なくそれを処方して渡したと。もっとストレートに言うと、明日香先生は芦田氏に脅されていて、彼に言われて仕方なく処方せざるを得なかったのだと。」
「明日香先生が芦田さんに脅されているだなんて。誰がそんなことを言ってるんですか?」
「それは今の段階では教えられない。今は極々一部の者で内密に調査しているのだ。ただ芦田氏に生前親しかった者の口から出た話なんだが、芦田氏は生前『明日香先生は俺の言うことは何でも聞かざるを得ないんだ』と自慢げに話していたというんだ。何か芦田氏は明日香先生の事で知られたくない何かを知っていたんじゃないかというんだ。」
「知られたくない何かって・・・、何のことですか?」
「それはまだ調査中なんだ。で、君は何か知らないかね。明日香先生と権蔵氏の関係について。」
日菜子はすぐに芦田権蔵が明日香先生に個人的な話があるといって自分に一時、席を外しているように言いつけたことがあるのを思い出していた。
(あれは確か、患者の秘密に関わることだから守秘義務があって内容は教えられないと言っていたのだったっけ。まさかそれが何か関係があるのかしら・・・。)
「何か思い当たるのかね?」
「あ、いえっ。全く心当たりはないです。でも、だったら明日香先生に直接訊ねられたらいいんじゃないですか?」
「君。何も分かってないね。もしそうだったら大変な事態になるのだよ。当センタとしても、いや飛鳥井総合病院グループ全体としてもそんなことは絶対に明るみには出せない。わかるよね。」
「で、でも・・・。」
「いいかい。今聞いたことに関して、君のほうから明日香先生に何か訊いたりしてはならんのだよ。そんなことをしたらもう後戻り出来ない事態にもなりかねない。」
「わ、わかりました。私のほうから何か訊いたりは決してしません。」
「そう。それでいいんだ。調査は私たちが内密に進めるので、君は何も知らなかったことにしてこれまで通り普通に業務を進めてくれていればいい。」
鬼塚医師が明日香に告げた話とは全く別のストーリーが後藤所長から日菜子へと伝えられたのだった。
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