美人女医と看護師に仕組まれた罠
三十六
「明日香先生っ。明日香せんせーえ。起きてくださーい。」
遠くから聞こえてくるように感じていた日菜子の叫び声とドアをどんどん叩く音が次第にはっきり聞こえてきて、明日香はやっと目を覚ます。
目覚めてはっとしてシーツをめくってみて、昨夜着ていた着衣のままであるのに気づき狐につままれたような気持ちになる。
(え、夢・・・だったのかしら?)
「明日香せんせーえ。」
扉の外からの声はまだ続いていた。
「あ、日菜子ちゃんなの。ドアは開いているわ。入ってきて。」
まだなんとなく頭がくらくらするのを感じながら、やっとの事で明日香はベッドから起き上がる。日菜子はドアを開けて入ってくるなり明日香の元へ走り寄ってきた。
「先生。あ、芦田さんが・・・。芦田権蔵さんが大変なんです。」
「え、芦田さん?」
ふっと昨夜見た筈の顔がまだ朦朧としている頭に浮かんでくる。
(ゆうべのあれは確かに芦田権蔵だった筈だ・・・。)
「芦田さんが、どうしたって・・・?」
「心停止状態で倒れていたようなんです。今、飛鳥井総合病院の鬼塚先生と後藤所長が様子を診ています。」
「何ですって? すぐ行くわ。」
ベッドサイドに脱ぎ捨てられていた白衣を取り上げると、ふらふらする足元も顧みず廊下に出て日菜子の後を追って権蔵の居る筈の病室へ急ぐ明日香だった。
「あ、如月先生。残念だが芦田権蔵さん、数時間前に息を引き取ったみたいだ。私が連絡して鬼塚先生にも来て貰ったんだ。鬼塚先生の診断では死後四時間ぐらいは経過しているそうだ。そうでしたよね、鬼塚先生?」
「ああ、後藤所長。死後硬直からするとその位だね。突発性の心筋梗塞に間違いはないでしょう。倒れていた場所からしてトイレに立って戻ろうとして異変が起きて何とかベッドの脇のナースコールのボタンまで辿り着こうとして途中でこと切れたみたいですな。」
権蔵は既にベッドの上に寝かされていたが、発見された時はベッドの手前の床の上だったらしいとのことだ。発見したのは仲間の川谷吾作で、朝様子を観に行ったら倒れていたのですぐに所長に電話したらしい。
「済みませんでした。私が当直でしたのに。何も出来なくて・・・。」
明日香が深々と頭を下げる。
「あ、いやいや。仕方ないよ。芦田さんは心臓の持病があったし、突然の発作でナースコールのボタンも押せなかったんだから。君に連絡しようとしたらちょうど日菜子ちゃんが出勤してきたところだったんで、起こしに行って貰ったんだよ。」
明日香は自分が当直していた晩に、自分の患者である芦田が心停止を起こしてしまうという不手際にすっかり恐縮して何も自分からは言い出せなかった。まだ顔に布も掛けられていない芦田権蔵の前で手を合わせて深く追悼の意を表すことしか出来ないのだった。
芦田権蔵には身寄りがなかった為、葬儀はしあわせ特別養護センタ内の一室で簡素に済まされることになった。出席者もセンタ側は後藤所長、如月明日香医師、桜井日菜子看護師と介護ヘルパー長の津川シゲ子の四人のみ、会葬者は仲の良かった川谷吾作、磯部留男の二人のみという淋しいものだった。火葬場へは所長の後藤だけが付き添って、医療業務で留守が出来ない明日香と日菜子は所内に残り、センタから外出するのは難しい吾作、留男も玄関で出棺を見送ったのだった。
出棺後、特養ロビーの片隅に戻ってきた吾作と留男は思わず目を見合わせる。
「なあ、吾作。権蔵の死って、女医の明日香先生と何か関係があるんだよな。」
「しっ。迂闊なことを口走るんじゃない。何処で誰が聞いてるかわからんからな。鬼塚先生から余計なことは何も言うなときつく口止めされてるんだ。」
「そ、そうか・・・。ということは、やっぱり。」
「いいか。俺たちは何も知らないし何も聞いてない。そういうことにしとくんだぞ。いいな、留男。」
「わ、わかったよ。」
きつく言われた留男も首を竦めてみせるのだった。
明日香はまだ釈然としないでいた。日菜子に叩き起こされた朝からずっと頭の中が整理出来ないでいた。目覚めた瞬間は、自分は権蔵に犯されたのだと思っていた。しかし起きた時の衣服は当直中に寝入ってしまったかのように前夜着ていたもののままだった。権蔵に犯される時、権蔵は激しく勃起していたが、それより前に権蔵にEDではないかと触診までさせられた時とは別人のようだった。
(あんな高齢の男があそこまで勃起出来るものだろうか・・・。やはりあれは夢だったのか。)
夢だったにしては、権蔵に犯されている時の自分自身の身体の反応の記憶はあまりにリアルで、簡単に夢だったと片付けることがどうしても出来ないのだった。
「明日香先生。どうしたんですか? また考えごとですか。あんまりくよくよ悩まないほうがいいですよ。芦田さんのことは不可抗力だったんですよ。芦田さんがもしナースコールのボタンを押すことが出来ていたとしても、応急処置は出来たかもしれないですけど心臓の持病ですから何時かはその日を結局は迎えた筈なんですし・・・。」
日菜子はまだ自分に責任があるかのように悩んでいるらしい明日香を慰めるようにそう言うのだった。
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