美人女医と看護師に仕組まれた罠
二
「明日香せんせーっ。」
ロッカールームで着替えを済ませた明日香に声を掛けてきたのは看護師になりたての若手の新人、桜井日菜子だった。他の医療スタッフたちは明日香のことを『如月先生』と呼ぶのに、日菜子だけは『明日香先生』と呼ぶので、すぐに誰だか分かるのだった。
「明日香先生。今日、これから若い看護師たちで呑みに行くんですけど明日香先生も一緒にいらっしゃいませんか?」
「あら、日菜子ちゃん。ううん・・・。楽しそうだけど、実は今日お誘いを断ったばかりなので、他のに行くのはちょっとね・・・。また今度、誘ってくれる?」
「へえ、残念だなあ・・・。あ、でもまた今度、きっと。」
「また今度ね。じゃ、愉しんでいらっしゃい。」
日菜子は若い看護スタッフの中でもとりわけ自分の事を気に入ってくれているようで明日香も普段から日菜子のことは目に掛けていた。自分の手で優秀な看護師に育て上げようとも密かに思っていたのだった。
その日、鬼塚医師は飛鳥井総合病院の現理事長、先代の創立者飛鳥井公親の一人娘である飛鳥井公子から突然に呼び出されたのだった。
(そろそろ、あの話が廻ってきたということか・・・?)
期待に胸膨らませて理事長室のドアを叩いた鬼塚だった。
「ああ、鬼塚先生。急にお呼び立てして済みません。実はちょっと相談があって・・・。ずっと体調を崩されてお休みされている石田医局長の後任をそろそろ決めておかなくちゃならないんじゃないかと思ってるんです」
「ほう?」
(やはりその話だったか。いよいよ俺も医局長なんだな・・・。)
「それでね、私としては他の医師や看護師 、そして多くの患者さんからも信望の篤い如月明日香先生になった貰ったらどうかと考えているんです。」
「き、如月・・・? 如月・・・明日香先生と仰いました・・・か?」
(私ではなくてですか)と言いそうになるのを鬼塚は必死で喉の奥に留めた。
「この病院にも長い鬼塚先生からみると、まだまだ若いと思われるかもしれないですわよね。」
「あ、いやっ・・・。確かに、そのう・・・。如月先生は皆さんの信望が篤いというのは否定はしませんが・・・。まだ、そんな・・・」
「ねえ、鬼塚先生? もっとも古くからいらっしゃる先生のお一人として率直なご意見をお伺いしたいのです。私はこの病院の理事長を父から引き継いだ時から常々思っていたのです。私がここの理事長を引き受けるからには、この総合病院は女性医師たちにとって働き甲斐のある職場に何としてでもしたいのです。医業の世界はずっと男性中心の社会だったでしょ? その改革の為には多少若くても、明日香先生のような方に医師たちの先頭に立って皆を引っ張っていって貰いたいと考えているの。どう思われます?」
「ど、どうって・・・。そ、そうですね・・・。確かに如月先生は内科医として専門知識も豊富だし、鋭い着眼力もお持ちです。その点はどの医師も尊敬してると思いますよ。ただ、医局長ともなればそれなりの経験も要求される地位ですし・・・。そうだ。如月先生に医局長になって貰う前に、もう少し広い視野で医局全体を観られるように外部にも出て経験を積んで貰うというのはどうです? 私が掛け持ちをしている本病院の傘下にあるしあわせ特別養護センタの専属医を暫く経験して頂いて、その上で医局長への就任を考えるっていうのはどうです。老人医療は今後益々重要になってくる分野ですし、この飛鳥井総合病院の将来の発展を考えたら老人医療の分野でも権威になられるというのは決して損な話ではないと思うのですよ。」
「しあわせ特別養護センタねえ。」
「あそこの所長は私の後輩の後藤ってのがやっておりまして、私から話をすればいろいろ何かと取り計らってくれると思いますよ。私も暫くはサポートをさせて貰いますし。」
「そうねえ。総合病院の医局長となれば、様々な分野での経験が物を言うわよね。数箇月ぐらいだったらうちの病院とは違う環境も体験しておいて頂くのも悪くはないかもしれないわねえ。」
咄嗟に思いついたアイデアだったが、公子理事長が意外にも話に乗ってくれそうな気配を見せたことに鬼塚は心のうちでしてやったりと相好を崩すのだった。
「手薄になるうちの医局のほうは、その間だけでも私が臨時の副医局長として雑務を引き受けてもいいですよ?」
「あら、そう? それじゃあ、その線で話を進めようかしら。今度の理事会に早速諮ってみましょう。」
公子理事長をすっかりその気にさせて、鬼塚はにんまりとしながら理事長室を出たのだった。
(あんな小娘なんかに医局長の座を奪われてなるものかっ。しあわせ特別養護センタに封じ込めて二度と飛鳥井総合病院には戻れなくしてやるからな。見ておれよ、明日香の奴・・・。)
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