疑惑反論

美人女医と看護師に仕組まれた罠




 三十七

 権蔵の死から数日平穏無事な日々が続いたように思われたそんな頃、明日香は所長の後藤から鬼塚医師が彼の部屋で待っているので話を聞いて来て欲しいと言われる。鬼塚専用の部屋があることも、明日香はその時初めて知ったのだった。
 「鬼塚先生、いらしてたんですね。こんなお部屋があったなんて存じませんでした。」
 「ああ、如月君。この部屋は前に私がこちらの老人ホームに専属で通っていた時に後藤所長に用意して貰ったものなんだ。ま、それはいいとしてそこに座り給え。」
 明日香は薦められた応接セットのソファに腰を下ろす。
 「お話があるそうですが・・・?」
 「うむ。実はこれはまだ内密の話なんだが・・・。」
 鬼塚は切り出しにくいようにそこで一旦言葉を切る。明日香は黙って鬼塚の言葉を待つ。
 「先日、芦田権蔵という男がこちらで亡くなったよね。」
 「ああ、芦田さんの件ですね。ええ、残念なことでした。」
 「実は彼の死についてある疑惑があってね。」
 「え、疑惑・・・ですか?」
 「あの時の検死は私が行ったので、君は遺体を見ていないのだったよね。」
 「ええ、そうです。心筋梗塞という診断も出ていましたし。ベッドに運び上げられていてシーツが掛かっていましたので。」
 「うむ。じつは死後硬直した彼の遺体には・・・。まあ、何と言うかちょっとした不審な点があってね。」
 「不審な点と言いますと?」
 「彼の男性自身なんだが、勃起していたのだよ。」
 「え、何ですって?」
 明日香には初めて聞かされる衝撃的な話だった。明日香が夢の中で観たと思った権蔵の姿が思い起こされる。身動き出来ない形で縛られていた明日香の方へ迫ってきた権蔵のそれは、年齢からは想像も出来ない位の大きさに強勃起していたのだった。
 「それでね、もしかしたら彼、シルデナフィルをあの時服用していたのではないかという疑惑があるのだ。」
 「シ、シルデナフィルって・・・。あのいわゆるバイアグラですよね。」
 「そうだ。君、彼がバイアグラを欲しがってたなんてことは聞いてないかね?」
 「い、いえ・・・。そんな事は・・・。それに彼には心臓の基礎疾患がありますから、バイアグラ何て処方する医師が居る筈はありませんわ。」
 「ま、普通はそうだろうね。」
 明日香はしかし権蔵がバイアグラを欲しがっていたことを思い出していた。確かに自分に処方して欲しいと頼んだことがあったのだ。鬼塚にそれをそう言えなかったことに明日香は後ろめたさを感じ始めていた。
 (でもあの時、私は確かに心臓の基礎疾患がある患者には処方出来ないと言った筈だわ。)
 「医療従事者が彼に求められて渡したとしか考えられないのだよ。」
 「だって、この老人ホームには医療従事者って言ったら私と日菜子ちゃんぐらいしかいませんよ。え、まさか・・・。日菜子ちゃんを疑っているんですか? あり得ません。日菜子ちゃんだって勝手にそんな薬を渡したりする筈はありませんわ。」
 「もし彼女が芦田氏から脅されていて、仕方なく要求に答えたとしたらどうだね?」
 「彼女が? 脅されていた・・・? そんなまさか・・・。」
 「実はこれはまだ内偵中で確たる証拠がないんだが、この所内の入所者から聞き込んだ話なんだが、芦田氏は若い看護婦に自分の言う事を何でも聞かせることが出来るんだって豪語していたという証言を得ているんだ。」
 そんな話が出て来るとすれば、いつもつるんでいた川谷吾作か磯部留男ぐらいしか居ない筈だと明日香は想像する。
 「じゃあ、鬼塚先生は何かの事で芦田さんが日菜子ちゃんを脅していて、日菜子ちゃんにバイアグラを持って来させたっていうんですか?」
 「今の段階では、そういう可能性もあり得るということだ。その前提で今密かに内偵をしているのだ。君にこの事を話したのはまだ調査の段階なのでそういう事を桜井看護師との間ではしないようにして欲しいからなのだよ。これはこのしあわせ特別養護センタだけではなく飛鳥井総合病院グループとしても重大な問題に繋がりかねない。わかるね。」
 「し、しかし・・・。」
 思いもかけなかった情報に明日香はどうしていいのかただ茫然としてしまうのだった。

明日香

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