美人女医と看護師に仕組まれた罠
一
「おや、如月先生。今、あがるところですか?」
突然後ろから声を掛けられて、午後の勤務を終えて白衣の診察着を脱いでロッカーに向かおうとしていた飛鳥井総合病院の内科医、如月明日香はふと足を止める。声の調子から同僚の鬼塚不二夫医師であることにはすでに気がついていた。
「鬼塚先生・・・。何か?」
「いや、僕も今ちょうどあがるところだったんですよ。どうですか、偶には一杯つきあいませんか。行きつけのいい店があるんです。」
鬼塚に誘われるのは、これが初めてではなかった。しかし明日香はこの鬼塚という医師とはどうにも気が合わなかった。
「ああ、折角のお誘いなんですが・・・。今日中に見ておきたい新しい医学論文があるんです。」
「医学論文・・・? この齢になってまだ勉強ですか。いやあ、ご立派なもんだ。」
「まあ、勉強だなんて。新しい研究には常に着目しておかないと、すぐに時代遅れになってしまいますもの。それじゃ、これで。」
明日香は鬼塚の方をちらっとだけ振り向いただけで、そのままロッカーの方へスタスタと歩いていってしまう。
(ふん。新しい医学論文だって? 下手な嘘を吐くもんだな。ま、いい。今度きっと落としてみせるからな。)
立ち去っていく同僚の女性医師の後ろ姿を見守りながら、軽くあしらうように振られたことに不二夫は新たな執念の炎を心の中に静かに灯すのだった。
明日香がこの飛鳥井総合病院に勤めるようになったのは、医学部の学生だった頃知り合った飛鳥井公子の誘いによるものだった。公子も一時は医師を目指していたのだが、早い時期に医師としての才能には恵まれていないことに気づいて、父親が理事長を務める飛鳥井総合病院を継ぐために経済部に編入し直し、経営学を学んだのだった。実際に病院を継ぐのはまだずっと先のことだと思っていた公子だったが、父親がまさかの心筋梗塞で倒れた為に若くして飛鳥井総合病院の理事長を継ぐことになってしまったのだった。公子は病院の経営には必死に勉強したおかげでその才能をめきめき現わしていたが、こと医業に関しては自信がなく医学部の同期生だった如月明日香に目を付けて、大学病院から引き抜いたのだった。飛鳥井総合病院の内科医を務めるようになってもう五年が経過し、既にベテランと呼ばれてもおかしくない立場に明日香もなっていた。
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