妄想小説
思春期
五十三
『いつもの教室』がどこを指しているのか判らなかったが、何となく自分達の教室であるように思われた。校門は閉ざされていたが、塀をよじ登って超える。裏の駐車場に見覚えのある軽自動車が一台だけ停まっているのが見えた。
(井上先生のだわ。)
智花は教室へ向かう、鍵が掛けられていない筈の昇降口を目指した。中は既に真っ暗だった。目が慣れるまで暗闇に向かって目を凝らしていた。その時、突然後ろから智花はハンカチのようなもので口を塞がれたのだった。
「うむ、むむむ・・・。」
何とか振り解こうともがいたが、脇腹に当てられた鋭い突きの一撃が智花の意識を失わせてしまったのだった。
「ねえ、まだ帰ってきてないって。いや、一度帰ってきた気配はあるけど今は居ないんですって。」
電話口から茉莉子はすぐ傍に立っている琢也に電話の内容を教える。二人で待合せの場所にもう遅いとは思いながら行ってみたのだったが、やはり智花の姿は既にそこにはなかった。
「僕が茉莉子のことを捜しに行ったのを知っているんだから、自分から姿をくらます筈はないよな。だとするとお前と同じ様に拉致された可能性が高いな。問題は場所だ。」
「あの河川敷の小屋かしら。」
「いや、お前をあそこに繋いでおいて用を済ませてくると言ったんだろ。とすれば、あそことは別の場所だ。」
「井上先生のアパート?」
「いや、近所の目があるからな。おそらく何処かへ呼び出したんだろう。」
「そう言えば、智花さんが妹の麗花さんからいろいろ訊きだした時、ビデオとか授業とか言ってたらしいわ。」
「だとすると、教室だ。夜の学校に忍び込んでじゃないかな。きっと誰も居ない夜の学校の教室でビデオを録られたんじゃないかな。」
茉莉子と琢也は一瞬顔を見合わせる。
「行こう。」
次の瞬間にはもう二人は走り出していた。
その日、薫はもう全てを捨てる決心をしてきていた。その決意の決めてになったのは、その日校長から言われた、巾着縛り事件の被害者、安斉マリアが父親の赴任先である外国に再び留学し直すことになり、既に旅立ったと聞かされたことだった。マリアはあの事件の直後は登校していたものの、その後休むようになって登校はずっと途絶えていた。自分が裸でやらされた性教育授業を撮られたビデオの事も勿論あったのだが、何より教え子の心の被害を食い止めねばと思っていたのだ。それが外国へ行ってしまったというので、もう事件の事が明るみに出るのを心配する必要がなくなったのだ。それに婚約者だと思っていた磯部純一が教え子の生徒と関係したという事実が発覚したのも後押しをする結果となった。薫はもう何もかもが明るみに出ても構わないと思うようになった。自分の恥ずかしいビデオなどどうでもいいと思えるようになったのだ。
それをきっぱり言い渡す為に、呼び出された夜の教室へ薫は赴いたのだった。いつもなら先に来ていて、自分を待ち受けている筈の氷室は教室には来ていなかった。ビデオカメラとスポットライトは用意されていたので、すっぽかされた筈はないとは思ったが氷室が現れるまでの間、薫は心の準備をしておくつもりだった。
遠くから廊下を歩いてくる足音を耳にして薫は思わず身構える。ガラリと音がして黒い影が教室へ入ってきた。
「待たせたようだな。」
氷室の声に薫は握りしめた拳に力を込める。
「今日は貴方に言いたいことがあって来ました。もう貴方の言うなりにはなりません。撮られたビデオはどういう風に流出しようとも怖くはありません。」
「可愛い教え子の事も発覚して構わないというのだな。」
「あの子だったら、もう日本には居ません。多分、戻ってくることもないでしょう。」
「だから、何をばらされても怖くないって訳だ。」
「その通りよ。だから、貴方の悪事の方を暴いて警察に適切に処置して貰います。」
「ふうん。そんな事が出来るかな。今日もお前は俺の言うことを聞かざるを得なくなるんだぜ。」
「もう貴方のいいなりになんか決してなりません。」
「そうか。ならばちょっとここで待っていて貰おうか。その間、お前は縛らせて貰うぜ。」
そう言うと、撮影の為に用意してあったらしい縄の束を暗闇の中から取り出す。
「痛い目に遭いたくなかったら、おとなしく両手を背中で組んで出しな。」
氷室の少林寺拳法の腕は嫌と言うほど分かっていた。それでなくても女の力では戦っても勝ち目はないことが身に染みていた。
「縛らなければ何も出来ないのね。」
「そんなことはないさ。すぐにお前が自分から何でもしますというだろうから、それまで縛っておくだけさ。ただ、用意が出来るまでは逃げられちゃ困るんでね。」
そう言いながら薫の両手を背中でしっかり括り上げると余った縄を教室の外に向いた窓を開けて窓枠の柱に結び付けてしまう。
「さ、これでもう何処にも行けまい。用意が出来るまで大人しくここで待ってるんだな。」
次へ 先頭へ