茉莉子振返り

妄想小説

思春期



 一

 「ねえ、樫山く~ん。」
 琢也は突然背後から掛けられた甲高い声に何事かと立止って振り返る。後ろから追掛けるように近づいてきたのは、同じクラスになった小川茉莉子だった。
 「あれ、君・・・。えーと、小川って言ったっけ。」
 「小川茉莉子よ。名前、憶えててくれたんだ。」
 「おい、樫山。じゃ、俺。剣道部の説明会、見に行ってくるから。」
 それまで一緒に歩いていた村田は、話が長くなりそうな気配を感じて入ろうかと考えている剣道部の部活説明会に樫山と別れて小走りに向かうのだった。
 「ああ、村田。じゃあ、また明日な。」
 「おう。」

 「で、何だっけ?」
 琢也は突然現れた小川茉莉子に何の用かと訊ねる。
 「や、別に用があるって訳じゃないけど。さっきの現国の時間、さすがだなって思って。」
 「現国? 現国の時に何かあったっけ。」
 「ほら、あの中村ってやな奴。あの先生、樫山君。やりこめてたじゃない。あれ聞いてて胸がすかーっとしたんだっ。」
 「やりこめた? や、別にやりこめてた訳じゃないよ。間違いを質しただけだよ。だって、江戸川乱歩の蜘蛛男のことを横溝正史と取り違えて蝙蝠男とか言ってたからさ。きっと本家のポーの大鴉のことが頭にあったんだろうけど、蜘蛛と蝙蝠じゃ大違いだからさ。」
 「あいつ、最初キョトンとしてたっけ。まさか生徒にそんな間違い指摘されるなんて思いもしなかったのよ、きっと。あいつ、何時でもボクら生徒のこと、見下したような目でみて、『どうせ、お前等。碌に本なんか読んでないだろ』って顔して喋るから、いつかやり返してやりたいって思ってたんだ。」
 「へえ、そうなんだ。僕はただ、自分の好きな作家の作品を間違えて言われたんで黙っちゃおれなかっただけだよ。」
 「で、樫山クンはどっちのファンなの? 江戸川乱歩? それとも横溝正史派?」
 「ううむ、どっちもかな。強いて言えば、乱歩より本家のエドガー・アラン・ポーが一番好きかな。」
 「へえ、洋物が好きなんだ。ボクはだんぜん日本文学。漱石とか鴎外は殆ど読んでる。」
 琢也は自分から文学少女を名乗る、この同級生の顔を改めてまじまじと見つめる。授業中は特に目立つ娘ではなかったが、改めて見返してみると利発そうな顔立ちではある。
 「君は女の子なのに、どうして自分の事をボクって言うんだい?」
 「だって、自分の事。女の子だって思ってないもん。そうだ。今、ここで逆立ちしてみせようか。」
 琢也は目の前のセーラー服にスカート姿の女の子が逆立ちをしてみせるなどと言い出してちょっと狼狽える。その姿をふっと想像してしまって慌てて頭の中からその図柄を消し去る。

茉莉子古校舎逆立ち

 「今、想像したでしょ。いいわ。約束するっ。今度、して見せてあげるから。ね、また本の話しましょうね。じゃあ。」
 そう明るく言い放つと、琢也を煙に巻いて立ち去っていく。琢也はその後ろ姿をただ茫然と見送る。
 「スカートで逆立ちかぁ・・・。」
 唯の同じクラスの女子生徒の一人でしかなかった茉莉子がその時から琢也には気になる存在に成り始めていたのだった。

茉莉子顔

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