妄想小説
思春期
二十
「なあ、氷室兄貴。俺のクラスにすっげぇ気に喰わない女が居んだけど、何か思いっきし恥かかせるいい方法ないかなあ?」
クラス一番の不良になることを目指している村中亨が、このところ不良の師と仰いでいる兄貴分の氷室恭平に相談する。氷室は村中の父親がやっている工務店で大工見習いとして出入りしている半グレ男で、半グレだけあって見習いといっても大工の仕事は碌に出来る訳はなく、もっぱら荷物運びのような下働きでこき使われているだけの男だ。しかし、亨は氷室の普段の突っ張りぶりがカッコいいと、何かにつけて子分気取りで兄貴、アニキと慕っているのだった。
「気に喰わねえ女って、どんな奴だい。」
「帰国子女っていうのかな。小さい頃、外国で暮らしてたって、ツンと澄ましてやがって俺らみたいのとは違うんだって顔してやがんだ。」
「何かあったんだろ。ツンとしてるぐらいで腹立ててるわけじゃなさそうだな。」
「それがさ・・・。」
亨は兄貴分の氷室恭平に、数学の最初の授業の事を話すのだった。
「じゃ、みんな。教科書を開いて。数学は受験では大切な科目よ。しっかり勉強して、しっかり身に着けて頂戴ね。」
亨は自分が入学した中学に同じ年に新任で赴任してきた井上薫という女教師をひと目見て気に入ってしまっていた。それがまさかの自分のクラスの担任になると知って密かに有頂天にもなったのだった。しかし教科の担当は数学だと知ってちょっと顔が曇る。中学になって数学となる、亨にしてみれば小学校の算数の時代から大の苦手だったからだ。
「あのさあ、先生よお。女が数学教えるって、大丈夫なのかい?」
「え、村中君。どういうこと?」
「だって女は数字に弱いって昔から言うじゃんかよぉ。女で数学の先生って、無理があんじゃないのか。」
村中は自分の好きなタイプだけに、ちょっとからかってやろうと咬みついてみたのだった。しかしさすがに薫は内心カチンときたようだった。
「女が数字に弱いだなんて、随分と古臭い固定観念だわね。・・・。そうだ。それなら、これどう?」
薫はくるっと黒板に向き直ると、チョークを取り上げてすらすらっと数式を書きあげる。
「誰かこれ、女の子で解ける人、居る?」
小学校の算数の知識ではちょっと難しい応用問題だった。クラス中が互いに顔を見合わせざわつく。その時、すっと手を挙げたのが帰国子女だと噂のあった安斉マリアだった。
「え。安斉さん、出来るの?」
手を挙げた安斉は、すっと席を立つと一直線に黒板に向かい、チョークを取ってすらすらと数式を書きならべていく。最後の答えを書き終えると、カチンと黒板にチョークをぶつけて素知らぬ顔で自分の席へ戻る。クラス全員が呆気にとられてしいんと静まり返ってしまった。
「そう、そのとおり。正解よ。あれぇ? 男の村中君は判らなかったの? それとも男じゃなかったのかしら。」
一斉に女子たちの間でクスクスと笑い声が起こる。(男じゃなかったの)という意地悪な言い方に、クラス全員の前で恥を掻かされた気がして、村中は顔を真っ赤にさせてそっぽを向いているしかなかったのだった。
「凄いわね、安斉さん。よくあんな問題が解けたわね。」
その事があった次の休み時間、上原智花は男達の鼻を明かしたヒーロー、いやヒロインの安斉マリアに近寄って声を掛けたのだった。
「あら、上原さんよね。上原、智花さん。わたしね、小さい頃に外国で育ったんで小学校の授業はまともに付いていけてなくて・・・。それで両親が中学に上る前に家庭教師をつけてくれてたの。あの問題は私の家庭教師が前に私に出して、その時は解けなかったんだけど、じっくり解説してくれたんで出来たのよ。偶々、あれは。」
「へえ、そうなの。でもカッコ良かったわ。皆の前で誰も解けない問題をスラスラっと解くなんて。私も一度でいいからあんな事、やってみたいわ。」
智花は小学生の頃、同じクラスだった琢也がよく誰も出来ない問題を一人だけスラスラっと解いてみせて、先生やみんなの度肝を抜いたことがあったのを思い出していたのだ。
「私のほうこそ、日本語とかで判らないことも結構あるので、よかったら教えてね。友達になりましょう。」
小学校時代には友達が出来にくかった智花だけに、マリアのその言葉は嬉しかったのだった。
智花の方も担任となった井上薫がとても気に入っていた。愛くるしい顔に似合わず性格は男前で、何でもきっちりと言いたい事は言うような性格が自分に似ている気がしたのだ。言いたい事は何でも言ってしまう性分が災いして、皆から煙たがられることが多かっただけに、初めて自分自身が認められたような気がしのだった。
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