薫呼出し

妄想小説

思春期



 二十五

 薫が一旦コンビニに買物に行って、校内の自分の駐車場に戻ってきたのは4時5分前だった。校長から定期試験前なので職員も3時までには退出するようにという申し合わせがあったので、もう校内には誰も居ない筈だった。警備員の巡回は夜になってからなのだ。
 車を降りると、職員室の方へは寄らずに直接体育館に向かうことにした。どんな話になるのか、見当もつかないが、なるべく早く事は済ませておくに越したことはないと考えたのだ。

 体育館脇の通用口から中に入る。以前は施錠していた時期もあったが、部活が入れ替わりで使うので施錠、解錠があまりに頻繁で煩わしく、警備保障会社との契約が始まって以降は基本的に体育館は施錠しない決まりになったのだった。
 薫が入った通用口はステージの反対側で、ステージに向かって左右両側にある用具室へは体育館をほぼ横切っていくようになる。ふたつあるうちの左側の方の扉が少し開かれているので、そちらに居るのだろうと見当をつける。

用具室

 誰も居ないしいんと静まり返った体育館に、薫の足音だけが妙に響き渡ってゆく。少しだけ開いた扉から中を窺う。跳び箱台やマットなどが雑然と並ぶ中に村中の姿は見えない。
 「村中君、居るの?」
 答えは無かった。しかし薄暗い用具室の隅にある卓球台の端から学生服の一部が覗いているように見える。
 「その奥に隠れているのね。村中君、出ていらっしゃい。」
 居丈高にならないように注意しながらも、しっかりとした声で話しながら薫は奥へと進む。卓球台に手が届かんばかりに近づいた時に、背後でガラガラガッシャーンという大きな音がした。慌てて薫が振り向くと、今しも見知らぬ男が両開きのスライド扉を合わせて閉めたところだった。
 「誰? 誰なの、貴方?」
 しかし男は返事をするでもなく、合せた扉の両方についている手摺りに太い鎖を掛けてその端に錠前を掛けてしまうのだった。
 「何するの、そんなところに錠前なんか掛けて・・・。」
 その途端に薫を恐怖心が襲う。誰も居ない体育館の用具室に内側から鎖と錠前で鍵を掛けられてしまったのだ。用具室の出口はそこしかない。窓は防犯の為、かなり高い場所に明り取りが付いているだけで、そこにも格子が嵌っている。文字通り、用具室は薫とその男だけの密室になってしまったのだ。おまけに校内にはもう誰も残っていない筈だった。
 「貴方、誰? 村中君の知り合いなの? 何を考えているのっ。」
 自然と声が威圧的になるが、語尾は震えてしまっていた。やがて男は顔を上げた。薫には見知らぬ顔だった。その男が歪んだ口元を突き出すようにして薄ら笑いを浮かべながら近づいてきた。思わず薫は後ろへあとずさりするがすぐに壁にぶち当たる。
 「な、何なの・・・、貴方。どうしようっていうの。」
 掠れそうになるのを何とか言い切った薫だったが、足元の震えが止まらない。
 「なんだ、先生よ。随分、びびっているみたいじゃねえかよ。」
 「うっ・・・。び、びびってなんかないわよ。わたし、これでも合気道の心得えがあるのよ。」
 つい口を滑らせた薫だったが、合気道は大学のサークルでの体験学習で手習いとして経験しただけだった。
 「ほう、面白れえじゃないか。それじゃあ、おいらの少林寺とどのくらい渡り合えるか試してみようじゃないか。え、先生よ。」
 (少林寺)と聞いて、薫は絶望的になる。薫の方はほんの出任せに過ぎない。それでも相手を威嚇するように軽く習っただけの構えをしてみせる。男のほうはせせら笑うように不敵な顔を見せたまま構えもしない。男が更に一歩、間合いを詰めてくる。薫はもうそれ以上、後ろに下がることも出来ない。
 「さ、遠慮なく来なよ。どうした・・・。そっちから来ないんだったら、こっちから行くぜ。」
 男の手が正拳突きの格好で、薫の顔面に向かってくる。咄嗟に薫は両手で防ぐ。その為に隙だらけになった鳩尾の辺りを男のもう片方の手が鋭く突いていた。
 「ううっ・・・。」
 たった一発で勝負はあった。薫は腹を抑えてうずくまりながら意識が遠のいていくのを感じていた。床に倒れ込んだ薫の口を、男は用意してあった薬を沁み込ませたハンカチで塞ぐ。
 「むむむむ・・・。」
 ほとんど虫の息状態だった薫は、薬を嗅がされて完全に意識を失ってしまう。

茉莉子顔

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