妄想小説
思春期
五十二
河川敷に降りる堤の上に立って見て、琢也も初めてそんな場所にプレハブ小屋が建っているのを知った。所謂工事関係者などが使う飯場というものだというのは琢也も知っていた。
誰が居るか判らないので、慎重に暫く様子を窺ってから琢也は音を立てないようにしてその小屋に近づく。すぐ近くまで来て一階は完全な物置で、二階が仮の住居らしいことが分かるが、下から見ても入口の扉には外から錠前が掛かっているのが見える。
迂闊には飛び込めないと思った琢也は、小石を拾うとすぐに隠れることが出来そうな背の高い草薮の近くから小屋の二階のガラス窓に向けて小石を投げてさっと身を隠す。
ガッチャーン。
放物線を描いた小石は見事に二階の曇りガラスの一つにぶち当たって、ガラスを砕けさせた。しかし中から誰も出てくる様子はない。最も外から鍵を掛けてあるのだから、中から誰か出てくる筈はないのだと思い返し、外にも誰も近づく気配がないのを確かめてから二階にあがる外階段をそっと昇ってみる。すると中でゴソゴソ動く気配が感じられた。
琢也が投げた小石が割った窓は扉のすぐ傍だった。プレハブの外枠を伝っていけば、割れたガラスの部分まで壁沿いにしがみついて行けそうだと思い、意を決して割れた窓ガラスに近づいてみる。割れた痕から少しだけ覗いている内部に白いソックスを穿いた女の子の足がちらっと見えた。
(茉莉子なのだ・・・。)
直感でそう感じた琢也は、窓の構造を外から確かめる。窓の割れたところに手を突っ込めば、内側の鍵が開けられそうだった。もう一度、誰も近づいてきていないことを確かめてから窓ガラスの割れた部分に手を突っ込む。指先にガラス窓の鍵を探り当てると、慎重にそれを回して開ける。外からガラリと窓を開くと、中に縛られて床に座らされている茉莉子の姿を発見したのだった。
「大丈夫か、茉莉子。」
窓から中に忍び込んだ琢也はまず茉莉子の口に貼られたガムテープを剥してやる。茉莉子は泣きだす直前のような顔をしているが、眦に涙を溜めているだけで堪えている。
「縄を外してっ、早くっ。」
茉莉子に言われて慌てて背後の鉄柱に括り付けている縄をまず解く。柱から身を起せるようになると、まだ両手が縛られたままだが、すくっと立上った茉莉子だった。
「扉、開けてぇっ・・・。もう、限界なの。洩れちゃう・・・。」
「駄目だよ。その扉、外から錠前が掛かってるんだもの。」
「ああ、そうだった。じゃ、その棚から洗面器取ってぇ。」
茉莉子が顎で指し示す棚をみやるともうずっと使われて無さそうな埃にまみれた古い洗面器がある。それをおそるおそる茉莉子の前に置く。
「後ろを向いて。あ、その前にパンツ、下ろしてっ。」
女の子が男子に頼むようなお願いではなかったが、琢也は茉莉子の窮地を察してスカートの中に手をいれて下着を引き下げる。
「お願いっ。あっち向いて。耳も塞いでっ・・・。」
茉莉子の悲痛な叫びに琢也はさっと背を向けると耳に指を突っ込む。
茉莉子に背を向けているのと、耳も聞こえないのでいつまでそうしていなければならないのか判らなかった琢也に茉莉子が背中の手でつついてくる。
「もう、いいよ。縄を解いてちょうだい。」
琢也が振り向いて虎ロープできっちりと結わき合わされた茉莉子の両手を解放してやる。
「ああ、もう間に合わないかと思った。」
「ったく、もう・・・。俺が来るのがもうちょっと遅かったらどうするつもりだったんだよ。」
「そしたら花と蛇の京子の気分を味わっていたと思うわ。でもいいじゃないの。間に合ったんだから。」
そう言いながら茉莉子は琢也が入ってきた開けたままの窓から洗面器の中身を外にぶちまける。
「こっから入ってきたの? じゃ、ここから出るしかないんだよね。」
茉莉子は事も無げにスカートの脚を窓枠に掛けて窓によじ登るのだった。
「あ、大丈夫よ。私、こういうの得意だから。」
両手が自由になった茉莉子の顔は、もう既にいつものじゃじゃ馬の茉莉子の顔に戻っていた。
職員室には井上先生の姿はおろか、誰も居ないようだった。智花はまっすぐに井上先生の席を目指す。いけないと思いながら机の上や、抽斗を探ってみるが、手紙らしきものは見当たらない。その時、ふと思いついて椅子の脇のゴミ箱に目をやると、細かくちぎられた紙片が底に溜まっている。
(これかしら・・・。)
智花がゴミ箱から紙片を拾い集めていると、ガラリと音がして外の戸締りを終えた日直の教師が職員室にやってきた。
「何だ、まだ居たのか。もう閉めるからすぐに帰りなさい。」
「あ、はあい。」
智花は取り敢えず紙片をポケットにしまうと、頭を下げて職員室を後にしたのだった。
小さく千切られた紙片はパズルのようだった。智花は家に戻って自分の部屋に篭もると、持ってきた紙片を一枚一枚貼りあわせてゆく。パズルが完成して裏の文字が読めるようになったのは小一時間が経過していた。
『今日も夜8時に、いつもの教室に一人で来い』
かろうじてそう読めた。智花が時計を確認するともう7時を回っている。
(行って先生を止めなくちゃ・・・。)
思い立ったら、もう走り始めていた。
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