妄想小説
女敏腕警護官への逆襲
三
「大丈夫なんですかね。なんか、怪しそうな感じでしたけど。あの一色って奴。」
一色との面識合せを終えた後、雄太は正直に感想を冴子に洩らす。
「まあ外国でエージェントしてるのなんて、皆あんな感じよ。迂闊に正体を敵側に知られると命取りになることは多いからね。心を許さずにおけば、信頼するかどうかは関係ないわ。」
海外研修時のことを振り返りながら冴子もそう洩らす。
冴子自身、国籍さえも不明にしたまま自由に活動出来る一色のことを羨ましくさえ思う。日本で活動していれば戸籍から身分、親戚関係まで知られかねないのだ。数年前にたった一人の身寄りだった母を亡くした冴子にとって、漸く身内を人質に取られて投降せざるを得ないという危惧から逃れられたことは不幸とも幸いとも言えた。
「一条、ちょっとこっちへ。」
出発の朝、官邸の地下駐車場へ赴いた一条冴子は車の陰から出てきた一色数馬に呼び止められる。一色の表情にただならぬものを感じ取った冴子は何気ない風を装って一色が出てきた車の陰へと歩いていく。
「こっちを見ないようにして聞いてくれ。さっき菱田外相への爆破テロの情報が入った。場所までは特定出来ていない。」
「こっちにはそんな情報は入っていないわ。確実な情報なの?」
「スパイ法の無い日本みたいな国の情報網が当てになるのか? こっちはそれなりの諜報機関がアンテナを張り巡らしている。」
ちらっとだけ一色の目を窺う。一色の指摘は尤もだった。日本国の諜報機関が当てにならないことは冴子こそが重々身に染みて感じていた。冴子は一色に初めて会った時のことを思い返していた。自分たちが名乗る前から一色は正確に自分たちの名前を語ったのだった。誰が警護に当たるのかなどは洩れる筈のない機密情報だった。
「わかったわ。もう時間が無いわ。摩り替えるしかないわね。」
冴子は一色をその場に残して急いで菱田外務大臣の執務室へ向かう。途中、早足のまま牧島管理官に電話を入れる。
「菱田大臣の車へ爆破テロの情報が入りました。警護の方法を一部変更したいと考えていますが。」
「現場の指揮官は君だ。すべて君の判断に任せる。」
「分かりました。」
更に大臣の部屋へ向かいながら、冴子は地下駐車場で合流することになっている雄太にも電話を入れるのだった。」
「では大臣。こちらのリムジンの後部席へ。リムジンは前方に白バイ二台。前後に覆面パトカーが二台付きます。では運転手さん。宜しくお願いします。」
冴子が急拵えの黒いフロックコートに濃いサングラスと白いマスクを掛け黒いソフトを目深に被った男をリムジン後部座席に招じいれると、官邸の地下トイレへと向かう。そこには雄太が着て来たベージュのパーカーに身を包んでフードを深く被っただ大臣が待っているのだった。冴子は大臣を伴って雄太が用意してきた装甲車両へと向かう。装甲車両といっても、一見すると極普通の米国製ワゴン車にしか見えない。しかしそのボディの鉄板も分厚いガラス窓も特殊なもので、自動小銃の弾丸でも貫通しない米国大統領専用車と同じ造りの車なのだった。
「き、君ひとりで私を那須まで運ぶのかね・・・。」
菱田大臣は予想もしていなかった事態の急変に戸惑っていた。
「そうです。大臣の乗る筈だったリムジンは爆破テロの標的になる惧れがあります。計画は変更して私が那須まで送り届けます。」
車と乗る人間を摩り替える案は冴子が咄嗟に思いついた考えだった。しかし摩り替えをする為の準備をしている時間的余裕はなかったのだ。官邸から地下駐車場に移る途中でトイレに寄らせてくれと頼ませ、そこで待つ雄太に服を入れ替えさせたのだ。警護に当たる警視庁、県警動員部隊も誰一人、大臣と雄太の摩り替えに気づくものはいなかった。
高速に乗った雄太を乗せたリムジンとその警護の白バイ、覆面パトカーの一団が一路那須へ向かうのに対し、装甲車まがいの外国製ワゴン車の後部座席に外務大臣を乗せた冴子の車は、高速道路を避け、一般道を使いながら山岳地帯の峠越えで那須高原へと向かっていた。
冴子が車のカーラジオを次々に変わっていく地元直近のFM局に切り替えながら聴いていた軽快な音楽が突然緊急放送に切り替わった。
「えー、たった今入ってきたニュースをお知らせします。本日さきほど東北高速道那須塩原インターのランプウェイにて爆発音が確認されました。地元警察に依りますと爆破テロの可能性があるとのことです。この爆発で被害にあったのは黒いリムジン車で、前後には白バイと覆面パトカー数台の併走があった模様で、我が国の要人が襲撃にあったものと思われます。尚、被害の程度などについては未だ詳細が明らかにされていません。繰り返しお知らせします。さきほど・・・」
冴子は大臣に動揺が及ぶのを避ける為にさっとラジオのボリュームを絞る。
「な、何だね、今の放送は・・・?」
バックミラーで放送内容に怯える大臣の顔を確認しながら冴子が答える。
「爆破テロがあった模様です。大臣が乗る筈だった車が襲撃を受けた可能性があります。」
「や、やはりそうか・・・。それで、この車への乗り換えを指示したんだな?」
「一応、念の為でしたが・・・。」
冴子は大臣の身代わりを命じた雄太のことは心配はしていなかった。それなりの訓練は受けている。直接、リムジンが爆破されない限り少なくとも命に別状は無い筈だった。
「わ、わたしの命が・・・、狙われているというのかね?」
「まだ、分かりません。少なくとも那須で行われる予定のナディア公国との外相会議を妨害しようとしている者が居るのは間違いないようです。」
冴子は心無し、スピードを上げるようにアクセルの踏み込みを深くする。
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