妄想小説
潜入捜査官 冴子 第二部
四十
「どうした、マサ? 奴はまだ口を割らねえのか。」
「へえ、恭平兄貴。なかなかしぶてえ奴で。身元みたいなものは一切持ってやがらないんですが、携帯だけは見つけました。」
「で、何か分ったのか。」
「履歴は今日の分が少し残ってるだけで後は消されているようです。捕まる少し前までずっと同じ番号に何度も掛けてます。それからメールが一通だけ。こんな文章です。」
マサと呼ばれた男は氷室恭平にそのメールの画面を見せる。
「本社ってえのはここの事だな。今日、ここで話し合いがあるのを嗅ぎ付けてやがるって訳だ。仲間がどうも居そうだな。」
「この番号に掛けてみやしょうか。」
「いや、それはまだだ。俺に考えがある。」
恭平は雄太が持っていた唯一の手掛かりである携帯を握りしめていた。
翌朝は鬼源社長が病院から退院してくるというので、鬼源組やアンシャンテの従業員全員が鬼源興業本社の大広間に集められていた。皆が一同に会して車椅子の社長が入って来るのを待ち受ける。檀上の隅に控えているのは氷室恭平だった。その恭平がオジキの社長を迎え入れる合図をする直前に会場の後ろ側に控えているマサに合図を送る。それを見てマサは預かっていた携帯の呼出しボタンを押すのだった。ブーン、ブーンという微かな音が何処からか聞こえていた。恭平が予め伝えてあった回数だけその音がしたところで唸り音はプツッと消えた。それを確認したところで、檀上から恭平が合図を送ると、脇の方から車椅子を若い衆に押されながら鬼源社長が皆の前に現れた。
「皆んな、集まっていてくれたのか。心配かけたなあ。鬼源はこのとおり、まだくたばっちゃいねえから安心するんだぜ。」
その声を聴いて周り中から拍手が沸き起こったのだった。
簡単な挨拶を鬼源がした後、散会になり鬼源組の連中もアンシャンテの従業員もそれぞれに立ち去り始めた。冴子はその会場の中に倫子が居ないのを確認していた。それほど仲が良くないのだというのも再確認したのだった。
会場から大体の者が居なくなったところで冴子は場を取り仕切っていた組の男に声を掛ける。
「社長に挨拶して行きたいの。案内してくれる。」
「これは、これは。奈美姐さん。社長もさぞお喜びになると思います。言われておりやしたんで。さ、こちらへどうぞ。」
男は大広間から奈美を奥座敷へ続く次の間に案内する。そこには誰も居ない。
「社長からじきじきに仰せつかっておりやして。そこの長襦袢に着替えてきて欲しいそうなんですが・・・。」
男が指差した先には衣紋掛けに真っ赤な長襦袢が掛かっている。
「あっしは向こうをむいておりやすんで、お着替えになってくれませんか。」
「鬼源がそう言うのね。わかったわ。」
「こちらはあっしがお預かりしておきやす。」
男は冴子が持参してきた風呂敷に包まれた日本刀を受け取ると冴子に背を向ける。
男が壁の方を向き直るのを見届けて、冴子は着て来たドレスを脱ぎ捨てる。長襦袢を衣紋掛けから外す時に、その向こう側に荒縄の束が置いてあるのに気づく。
(もしかして・・・。)
そう思いながらストッキングとショーツを纏めて脱ぎ捨てると用意してあった白い足袋に穿き替え赤い襦袢を羽織って帯を締める。持ってきた携帯は迷ったが襦袢の胸元に押し込む。
「あの・・・、それからあちらへお連れする前に姐さんを縄で縛って連れてこいと言われているんですが・・・。どうしましょうか。他の誰にもその姿を見せるなと言われておりやすんで、お連れするまであっしの他は誰にも見られません。」
(やはり・・・。)
冴子は予感が的中したのを悟る。
「社長がそうして欲しいと言うのね。いいわ。縛って頂戴。」
冴子は素直に両手を後ろに組んで背中を向ける。男は女を縛ることに意外に慣れている様子だった。社長に言われて何度か女を縛ったことがあるに違いないと冴子は思う。
「失礼しやす。」
両方の手首に縄が巻かれ、胸のふくらみの上と下に余った縄が回される。いつも鬼源がやっていたのと同じ縛り方だった。男は縛り終えると次の間の襖を少しだけ開けて外の廊下に誰も居ないことを確認する。
「誰も居ません。さ、どうぞ。こちらへ。」
廊下に出ると胸元で携帯がブーン、ブーンと微かな音を立てて振動を伝えてくる。
「あれっ? 電話みたいですが・・・。」
男が縛られている冴子の襦袢の胸元を指差す。
「いいの、これは。気にしないで。社長に逢った後にするから。」
「そうですか。わかりました。」
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