妄想小説
潜入捜査官 冴子 第一部
四
「ほう、アンタかい。さっき電話してきたのは?」
「ええ、フロアレディを募集してるって聞いたんで。」
冴子の前に現れたのは、いかにもいかがわしい店を任されているといった風情のヤサ男だった。店に訪ねて行った際に教えられた雑居ビルの一室だった。
「ま、入んな。」
男は事務所に使っているらしい散らかった事務所の中へ冴子を招じ入れる。
「この仕事は初めてじゃないだろうな、アンタ。」
「あ、奈美って呼んでください。今まで勤めていた店が潰れちゃって・・・。」
そう言って奈美と名乗った冴子は名刺を一枚男に渡す。
「ふうん、クラブ・アザミ・・・ってか。何処にでもありそうな店だな。」
「店は閉めちゃってるけど、電話はまだ繋がると思うわ。店長だった男が残務整理してる筈だから。」
「じゃ、そこ座って待ってな。」
男は顎で古びた応接セットのソファを指し示す。
冴子は示されたソファに向かうとミニスカートの脚を組んで座る。辺りを見回す振りをしながら男が掛けている電話に耳を澄ます。
「これ、クラブ・アザミって店の電話かい? ・・・。そうか。それで、奈美ってのは? ・・・。なるほど。そういう事か。 ・・・。じゃ、いいんだな? ・・・。わかった。邪魔したな。」
男は冴子が差し出した名刺の先で奈美と書かれているフロアレディの照会をしたらしかった。
「で、店が潰れたんで仕事を捜してるって訳だ。」
「そうよ。こっちは辞めたくなんかなかったんだけど、あの店長がぼけっとしてるから黒服の一人に店の金、持ち逃げされちゃって不渡り出して倒産って訳。ったく、冗談じゃないわ。」
「奈美って言ったな。アンタ、前の店じゃ結構売れてる子だったそうじゃないか。」
「まあね。だからそれなりにはギャラは貰うわよ。しみったれた事、言うようだったら他の店に行くわ。」
「まあ待て。うちは稼ぎのいい子にはそれなりの金はちゃんと弾むさ。ただ、オーナーが厳しいんでな。オーナーの言う事は絶対なんだ。それに逆らうような事があると首にされるだけじゃ済まないぜ。それなりの覚悟があるんだろうな。」
「そりゃ、オーナーに雇って貰うんだから、逆らうようなこと、する筈ないじゃない。」
「よおし。そんならこれから採用面接だ。下の店に行って待ってな。」
男は今度はその雑居ビルの地下にある店へ行くように指示する。
冴子が差し出した名刺は勿論、急遽作り上げた贋物だった。電話の相手は杉本雄太なのだった。予め示し合わせたストーリーでアザミという店が不渡りを出して従業員を全て解雇し、その中に一番人気だった奈美もいたという話をでっち上げたのだった。
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