妄想小説
潜入捜査官 冴子 第二部
三十八
藤崎竜也を送り出した後、その足で冴子は鬼源の見舞いに病院へ向かう。病室には組の者が二人見張りに立っているのだが、奈美の顔を目にしたら通さない訳にはゆかないのだった。
「なんだ、奈美じゃないか。そんな物を手にして来るとは何かあったようじゃな。」
「社長、思ったよりお元気そうで。これはただのおまじないです。折角社長に頂いたのに、出番がないのではもったいないと思い変な虫がつかないように用心棒の代りです。」
しかし鬼源はその言葉の奥に只ならぬものを感じ取ったようだった。
「それは案外いい考えかもしれんな。」
「それより、社長の具合はいかがなんですか?」
「まあ長年の不摂生が祟ってな。心臓に時限爆弾とも言える持病があって今回は何とか持ちこたえたが、何時この世とおさらばとなるかもしれぬ。」
「まあ、そんな事仰らずに長生きしてくださいよ。」
「うむ。この間言いかけたことなんじゃが、実は儂には好きだった女の忘れ形見がおってな。」
「美沙という人に産ませた子供ですね。」
「たけるの事、知っておったのか・・・。」
「ええ。実は藤崎さんから。」
「そうだったか。倫子には連れ子の氷室恭介というのがおってな。今、組を任せているんだがよくない道に身を染めそうでな。それは何とでも阻止せねばならぬ。とは言っても儂ももう歳じゃし、この病もあってな。たけるに組を継がせた上で、解散をさせようと思っとるのじゃ。」
(でも、三島たけるさんは・・・。)
そう言いそうになって思わず言葉を呑みこんだ冴子だった。藤崎から聞いた話から想像すると、純子が死体で発見された以上、行方をくらましている三島が生きている保証はないのだった。
「とにかく一刻も早く元気になって組を立て直してくださいな。」
それだけ言うと、鬼源の元を辞したのだった。
「おかえりなさいませ、奈美さん。」
病院から戻った冴子を迎えたのは何と黒服の格好をした杉本雄太なのだった。雄太の存在に仰天した冴子だったが、他のフロアレディも居たので目配せをするに留める。店の裏手に誘い出して周りに誰もいないのを確かめてから雄太を質す。
「どうして貴方までがこっちへ来たの?」
「この間、言ってたでしょ。鬼源社長は取引に絡んでなさそうだけど、組の中には別の考えの者も居るらしいって。それで考えたんですけど、組の連中って圧倒的に男ばかりだから黒服で忍び込んでいたほうが情報が取れるんじゃないかって。鬼源親分が首謀者ならその情婦になって探りを入れるのが手っ取り早いけど、そうじゃないとすると男の中に紛れたほうが情報が取り易いのではと思ったんです。」
「まあそれも一理あるけど、充分に気を付けてね。特に私とは仲間だと感づかれないように。」
「わかってますよ。任せてくださいな。」
確かに男社会の中に紛れ込むのはいいアイデアではあったが、杉本雄太はまだ経験はそんなに積んでいないのが冴子には気にかかるのだった。
奈美としてドスで脅しを掛けたのが効いたのか、その後恭平たちはめっきり店に姿を現さなくなった。奈美が何やら細長いモノを持ち歩いているという噂のせいもあるのかもしれなかった。しかし恭平の手下として付いてきた二人の男は時々他の組の仲間とやってきてはひそひそ話をしているのが冴子には気になった。相手をする為に近づくときまって口を噤んでしまうのだった。その日も恭平の手下の男が別の男数人を伴ってやってきていたのだが、冴子は闇金融の社長、谷亀に指名で呼ばれてしまった為に密着して話を聞くことが出来ない。しかもこんな時に限って黒服になっている雄太の姿が見えないのだった。
(ったく、肝心な時に役に立たないんだから・・・。)
谷亀がなにかと奈美の身体に触ってこようとするのを巧く交わしながらも気もそぞろの会話を続けている冴子だった。
キィーっというドアの音がして男二人がトイレに入ってくるのを気配で感じる。
「なんでそんなに恭平兄貴は急いでいるんだ?」
二人連れのひとりが小用を足しながら横で用を足しているもう一人に話しかけていた。
「それが早くしないと鬼源のオジキが退院してきそうだって話を聞いてきたかららしい。オジキが居ると話が洩れないとも限らないってさ。だから戻って来る前に最初の取引を片付けたいんだそうだ。」
「まあ、そりゃそうだな。なにせ、最初の取引はあの二人のせいでお流れになっちまったからな。まったくタケルの奴も余計なことをしてくれたもんだぜ。」
「あいつらももう居ないし、オジキも居なけりゃ絶好の機会だって言うんだ。」
「で、何時なんだ?」
「今夜、本社でその話を兄貴がするってえんで皆を集めろってさ。」
「今夜か。じゃ、あんまりゆっくり呑んでられねえな。」
「ああ、早々にこっちは引けようぜ。」
さっきからずっと個室に籠っていた雄太に二人の会話が突然聞こえてきたのだった。まさか個室に誰か居るとは思わなかった様子だが、誰か居るにしてもよほどの事情が分かっている者にしか何の事を話しているのかは判らなかった筈だ。しかし、個室に偶々居合わせた雄太には何のことかすぐにピンと来たのだった。
すぐに冴子に携帯を掛けてみる。しかし幾ら待っても応答は無かった。どうも接客中でマナーモードにしておいて出ることは出来ない状況にあるらしかった。雄太はショートメールだけ入れておくことにする。
<今夜取引の打合せを鬼源本社でやるらしいです。店を早引けして探りに行きます。>
一旦そう打ってみて、念の為に「取引」という文字と「鬼源」という文字を消してから送信したのだった。
「あの及川さん。どうも今晩は腹の調子が悪くて、ひっきりなしにトイレなんです。済みませんが今晩だけは早引けさせて貰えませんか?」
「仕方ないなあ。お前は新米なんだから体調管理はちゃんとやってきっちり勤めるんだぞ。今日はいいから早く直せよ。」
「済みません、及川さん。それじゃ。」
黒服のリーダーである及川に早引けの了解を貰うと、黒服を着替えて急いで鬼源本社へ向かうのだった。
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