妄想小説
潜入捜査官 冴子
二十一
「藤崎竜也さんっていう、IT企業の若い社長さん。よろしくね。」
擦れ違いざまに黒服リーダーの及川が冴子に耳打ちする。
「ご指名ありがとうございます。あっ、貴方はさっき・・・。」
奥のボックスにやってきた冴子はそこに居たのがつい先ほど冴子たちが居たボックスの後ろから立ち上がった男だと気づいてそう口にする。
「気づいていたんだね。そう、席を移らせて貰ったんだ。君を指名する為にね。」
「あ、ありがとう・・・ございます。もしかして、私をあの社長から救い出す為?」
「それもあるがね。あ、こっちへ。」
藤崎は意味ありげに含み笑いを浮かべる。谷亀とは違って自分のすぐ隣ではなく、向い側のソファを薦める藤崎だった。
「お酒、お作りしますね。まずは乾杯しましょ。奈美です。よろしくね。」
「ああ、僕は藤崎竜也っていうんだ。僕もここの常連でね。」
「そうなんですね。じゃ、カンパーイ。」
「さっき、倫子とか純子の話をしていたよね。」
「あら、藤崎さんも彼女たちの事、ご存知なのですね。」
「ああ、それなりにこの店は長いからね。」
「倫子さんとウチの社長って、どうなんですか?」
「一緒に鬼源って会社を立ち上げて来た同士だったからね。最初のうちはぴったり息があっていたんだが・・・。」
「いたんだが?」
「会社が大きくなり始めた頃、女が出来てね。社長に。あ、純子より前の子なんだが。」
「へえ。そうなんですか。」
「それまでは倫子がママって形で店をずっと切り盛りしてたんだが、ある日その娘のことで喧嘩になってね。鬼源がもうお前は店に出なくていいって。それ以来、倫子は店に出ていない。」
「でも別れてはいないんですね。その倫子さんて方と。」
「なにせ、結構な財産を持ってるからね、鬼源は。」
「ふうん。で、その女の方は?」
「美沙っていうんだが、それから割とすぐに競合していた龍虎組ってヤクザの会社との抗争に巻き込まれてね。命を落とす羽目になっちまってね。鬼源もその当時は相当落ち込んでいたようだね。」
「ふうん。そうだったんですか。」
「そんな後、現れたのが純子でね。どことなくその美沙に雰囲気が似てたんだ。それでだろうな。すぐに鬼源は純子にぞっこんになっちまってね。」
「それで純子さんって方がここのママ候補になったっていう訳ですね。」
「そうなんだが・・・。」
「そうなんだが?」
「純子が急に姿を消しちまってね。」
「姿を消した?」
「純子は店一番の人気の子だったんだ。言い寄る男も多くてね。純子のほうは鼻にもかけないって感じだったんだが。ひとり、中でも熱心に言い寄るのが居てね。純子のほうは受け流していたんだが、或る時急に態度を変えるようになってね。」
「その男を受け入れるようになった・・・?」
「ううむ。よくわからないんだが。態度が変わったことは確かだった。だが、鬼源は人一倍嫉妬深い男でね。きっと何かあったんだろう、二人の間で。いや、三人の間かな。」
「それで純子さんって方は急に姿を消したんだと?」
「そこまではまだ・・・。」
「まだってことは、調べてらっしゃる・・・ってことですよね。」
「君は頭の回転が速いね。思ったとおりだ。ま、今日は知り合ったばかりだ。まずもう一杯近づきの印に呑もうじゃないか。」
冴子は重要な情報源を掴んだとそのIT社長のことを思ったのだった。
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