妄想小説
走る女 第一部
七
眼の部分に黒いマジックが引かれ黒塗りされていて誰だか判らないようにされているが、その出来事を知る本人には自分自身の姿であることがすぐに認識出来た。
(あの時の写真が・・・。)
莉緒は怖れていたことが遂に起こったという現実をまだ信じられないでいた。しかしその時手にしている紙切れが、あの日、あの時に起こった事が夢まぼろしではなく現実であることを雄弁に語っていた。その紙を手にしている莉緒の腕がわなわなと震えるのが感じられた。
その紙をひっくり返すと、筆跡をわざと隠すように金釘流の文字で書かれた文章があるのを見つける。
<あの時の場所に貼っておいた。誰かに見つかる前に剥しに行くことだな。>
それは莉緒に対する警告文のようだった。
(誰かに見つかる・・・?)
その意味を考えていて、莉緒ははっとなる。
(これと同じような写真がもし貼り出されていたら・・・。)
そう考えると一刻の猶予もない気がした。あの時の場所というのは莉緒が眠らされて放置されていた総合グランドの女子トイレの個室以外には考えられなかった。すぐに走り出そうとしてグランドのトイレに侵入するのに普通の格好では怪しまれることに気づいて、なるべく不自然ではない運動用のジャージに着替えることにした。それでも気は急いて焦っていた。
さっとジャージに着替えると総合グランドに走ってゆく。平日の夕暮れ時で人の姿は少なかったが、誰も居ない訳ではない。そこそこ犬の散歩をしている人がちらほら見かけられる中、走っていって出来るだけさり気ない風を装って女子トイレの扉を擦り抜ける。
女子トイレに入ってすぐ、一番手前の個室の扉が開かれていて、その壁に何やら紙が貼り付けられているのを見て莉緒は凍りついた。まぎれもなく、自分自身が下半身の着衣を膝まで下されて股間を剥き出しにして寝入っている姿の写真がトイレの個室の壁に貼り出されているのを発見したからだった。すぐさまセロテープで四隅を貼り付けられていたその紙を剥し取る。その紙の写真のほうは目の辺りに引いた黒い線がより細くなっていて、知らない人には誰だか判らないようにはしてあるが、知人なら自分であることに気づかれるかもしれない気がした。それは自分をそんな目に貶めた男からの脅しであるように感じられるのだった。小さく折り畳んでジャージのポケットにしまおうとして裏に文字が書かれていることに気づく。マンションのポストに入れてあったものと同じく金釘流の筆跡を消した文字だった。
<ランニングをさぼることは許さない。毎日同じ時間に同じ格好で来ること。但し、明日は罰としてトランクスの下はノーパンで来ること>
裏側にはそう書かれていた。きつい命令口調で、非情な内容だった。
(もし従わなかったら・・・。)
莉緒にはその先を考えるのが怖ろしかった。
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