妄想小説
走る女 第一部
三
高校時代に試合の際に身に付けていた殆どスポーツブラとショーツでしかないウェアで走るのはさすがに気恥ずかしかったが、それでも莉緒が買い求めてきたのは短めのタンクトップとランニングパンツで露出部分は多い。しかしその格好がまさか双眼鏡で観察される餌食にされているとは思いもしないことだった。
その日も何時もの女が露出の多いランニングウェアでグランドに現れる時から好男は双眼鏡でその姿を追っていた。グランド外側の周回コースの隅でストレッチを念入りにしてから女が走り始めた時、好男は何かがポトリと女の腰元から地面に落ちたのに気づいた。女が走り去ってしまってから、それに近づいてみるとどうやら女が汗拭き用に用意したハンドタオルらしかった。拾い上げると思わず鼻に近づけて臭いを嗅いでみる。女の肢体を想像しながら嗅いだせいか、何か甘酸っぱい匂いがしたような気がする。ハンドタオルを握りしめると管理人室のほうへ戻ってゆく。
女は二周ほどグランドの周りを走った後、再度ストレッチをしてから再び走って家の方へ戻って行くのをルーティーンにしているのは何度も観察をしている好男には分かっていた。既に女は二周目に入っていた。グランドの物陰で待つ好男の方に女の軽やかなステップの響きが近づいてきているのが分かった。
「あ、あの・・・。」
突然、好男に声を掛けられて、女は飛びあがらんばかりに驚いた様子だった。
「えっ? な、何か・・・。」
「あ、驚かしてしまったようで済みません。あの、これ・・・。落したんじゃないかと思って。」
好男が差し出すハンドタオルを不審なものでも見るように怖々と覗きこんでいた女は自分が落したハンドタオルらしいと分かって、ランニングパンツに差し挟んだ筈の場所にそれが無いのを確かめると少しほっとしたような表情になり好男の差し出したハンドタオルに手を伸ばす。
「どうも・・・、済みませんでした。」
女はぺこりと頭を下げると、タオルを受け取ってそのまま踵を返し走り去ってゆく。
莉緒はハンドタオルを受け取った後、走りだしながらそれを拾って届けてくれた男の顔を一生懸命思い出そうとしていた。
(どっかで見たことがある顔だったわ。)
その数秒後、初めてこの総合グランドにやってきた際にストレッチをしている自分をじとっとした目付きで食い入るように見ていた男の顔を思い出した。男の姿が見えなくなったところで一旦立止る。莉緒の額からは汗が噴き出ていた。しかしあの時の男の表情を思い浮かべると、男に手渡されたタオルを使って額の汗を拭うことがどうしても出来なかった。偶々目の前にゴミ入れ籠があるのを見た莉緒は衝動的にタオルをゴミ入れ籠に投げ入れたのだった。夫の実家で貰った香典返しに使うようなタオルだったので愛着はなかったのだ。
(家に帰ってシャワーを浴びよう。)
そう思った莉緒はそのまま家へ向けて走り出す。莉緒がゴミ入れ籠に投げ込んだそのタオルは管理人の目に触れ、再びその男に回収されたことは知る由もなかったのだった。
好男はゴミ入れ籠から回収したハンドタオルをもう一度鼻の下に近づけて匂いを嗅いでみる。好男が甘酸っぱく感じる匂いは実際には柔軟剤の香りでしかないのだが、好男には女の体臭にしか思えない。その匂いを鼻いっぱいに吸い込むともう片方の手で握りしめた己のペニスを思いっ切り扱きなおす。すでにカチン、カチンに屹立したそのモノはむせぶような刺激の匂いに惑わされてクライマックスを迎えようとしていた。
(うっ、出るっ・・・。)
思わず鼻から放したタオルで己のペニスを包み込む。
(ああっ・・・。)
我慢しきれなくなった精がタオルを汚すと、それによってあたかもその嘗ての持主だった女を凌辱したかのような悦びに好男は酔いしれるのだった。
好男は己のペニスを念入りにハンドタオルで拭き取ると、机の抽斗から封の出来るビニル袋を取り出す。大事そうにしまい込むとぴっちりと封をして元に戻すとズボンのチャックを引き上げる。平日の午後のグランド管理人室には訪れる客などありはしない。午前中でグランド周りの掃除を終えてしまっている好男には、また退屈な時間が戻ってくるだけなのだった。
好男はもうじき三十歳になろうとしている。まだ独身だ。いや、それどころか生まれて今まで恋人だって出来たこともない。実家の母親からは結婚相談所でもいいから相手を見つけろと顔さえみれば小うるさく言われていた。大学を二浪した後、とりあえず手近な専門学校だけは出たが、碌な就職先はなかった。やっと見つけたのが市が非正規で募集していた市営総合グランドの管理人の仕事だった。給料は高くない代わりに大して責任ある役目を任されている訳でもない。予約でやってきた利用者に鍵を渡すだけで、施錠をしっかりしなかったからといって差し当たり盗まれそうなものもない。一日一度グランド周りの落ち葉集めをするぐらいで済む退屈な仕事だった。そんな好男だったので、毎日ランニングにやって来る若い女の露出の多いはちきれそうな肢体を盗み見るのが好男の唯一の愉しみとなっていたのだった。
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