妄想小説
美教師を奈落に貶める罠
三十一
コンコン。
「校長先生。井上薫です。ちょっとご相談したいことがあるのですが。」
美鈴の話を聞いて、もう教師を続けることは出来ないと考えた薫は辞任の相談に校長室を訪ねたのだった。
「おう、井上君か。ちょうど良かった。私も君に相談したいことがあってね。さ、入ってくれ。」
校長室に入った薫は既に先客が居て、校長室のソファに座っているのに気づく。
「あ、来客中でしたか。でしたら、私の話はまたあとで・・・。」
そう言って校長室を辞するつもりだった薫に校長が先客の正面のソファに座るように促す。
「こちらは権藤さんと言ってね。この街にある大型商業施設の防犯担当をされている方でね。」
薫が校長の指示で男の正面に腰掛けようとして来客の顔をみて蒼褪める。それは薫をさんざん酷い目に遭わせたあの店の万引き取調べ係の男だったからだ。
「ど、どうして・・・。」
「おや、初対面じゃないのかね?」
「あ、いえっ。ちょっと知ってる人に似ていたものですから。人違いでした。」
「そうかね。権藤さんは青少年の犯罪、特に万引きの防止でいろいろ苦労されている人で、今度、街の幾つかの店と学校で共同して万引き防止対策チームを立ち上げようということになって、そのチームに本校からも人を出してくれないかと言うんで、君に頼めないかと考えていたんだよ。」
「わ、わたしが・・・ですか?」
「君は正義感も強いし、かと言って生徒達には親身になって接していて、決して𠮟りつけるだけの強面の教師とは一線を画すところがあるからね。もし万が一、うちの生徒が万引きに関与するようなことがあっても君のような性格の指導者のほうがうまく立ち回れると思うんだ。」
「あの、でも・・・。」
「引き受けてくれんか。私ももうすぐ定年で退官だし、ここでつまらない事件で問題を起こしたりしたくないんだよ。」
「井上・・・先生とおっしゃったかな。私も先生のような方が担当されるほうが、生徒等の反発を招きにくくていいかと思いますよ。是非、お願いしたいものです。」
初めて名前を知った権藤という男は薫には白々しく思われたが初対面を装った上で万引き防止対策チームに加われと圧力を掛けているのだった。断れば何を言い出すか分からないので大人しく従っておくしかないと薫は判断した。
「じゃ、引き受けてくれるんだね。頼んだよ。で、君の方の相談は・・・?」
「あ、その件でしたらまた後日に。」
もう二度と関りを持ちたくないと思っていた男に、これまで以上に頻繁に逢わねばならなくなりそうで更に暗澹たる気持ちになる薫だった。
(それに校長があの感じでは、万引きの件は万が一にも発覚なんかしてはならないのだわ。)
そう思うと、身を引くことも出来ない状況に追い込まれてしまったことに気づくのだった。
「そうだ。井上先生。確か次の授業枠は先生は空き時間でしたよね。権藤さんが折角学校に来たのであちこち見学して行きたいって言ってるんだが、君案内してくれんかね。」
「え、私が・・・ですか?」
「校長、是非井上先生にご案内して頂きたいですね。」
「いいよね、井上君。」
「は、はあ・・・。」
否応なく権藤に連れ出されて校長室を一緒に出ることになってしまった薫は嫌な予感しかしない。
「あの・・・。どういった場所がご覧になりたいのですか?」
おそるおそる権藤という男に伺いを立ててみる。
「学校の教室とか、全部が全部使われている訳じゃないんでしょう。出来ればひと気の少ない場所がいいかな。先生もそういう場所のほうがいいでしょう。」
権藤の言葉には学校内で何か仕掛けてこようとしているのがありありに受け取れた。ひと気のない所へ行くのは危険な気がしたが、逆にひとの大勢いる場所で何かさせるのも困るのだった。
「わ、わかりました。専用授業用に特殊学級室が並んでいる校舎は今はきっとどのクラスも使っていないと思いますので、こちらへどうぞ。」
薫は処刑台に連れていかれる捕虜のような気持ちで権藤の先に立って歩いていくのだった。
「ほう、確かにこの校舎はひと気が無いようだ。あ、井上先生。そこで止まって。」
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