妄想小説
走る女 第二部
七十六
花音が皆に遅れてグランドに姿を現すと、大会運営の関係者や出場する選手たちはもう殆どグランド内に入っていた。いずれも60歳は悠に超えて、大半が70代から80代ぐらいのお年寄りばかりだ。女性も混じっているが圧倒的に男性が多い。今回は市長に代わって若い女性秘書が代理で参加するという情報が既に伝わっているらしかった。
花音がグランドに降りてゆこうとすると、あちこちでピン、ピンという聞き慣れない音がするのが聞こえてきた。
(何だろう、あの音は・・・。)
花音はそれがターゲット・バードゴルフ仲間のうちで交わされているラインのメッセージの着信音だということにこの時はまだ気づいていなかった。しかし、花音がグランドに現れた瞬間に花音には思いもよらない情報がラインによって老人たちの間に広まっていたのだった。
「ああ、早乙女さん。こっち、こっち。もう開会式が始まりますから。」
開催役員のひとりが手招きしてスタンド前に設えてある朝礼台のような檀の横に来るように合図していた。花音がそちらに向かうとパラパラと拍手が沸き起こる。
「それじゃ、開会にあたっての挨拶をお願いします。」
役員に促されて花音はマイクスタンドが立てられている檀の上にあがる。
「えーっと、皆さん。お早うございます。本来ここで朝日市、市長の権田から挨拶をするところでございますが、本日は公用の為どうしても欠席せざるを得なく、私、市長秘書の早乙女花音が代わりまして代理でひと言ご挨拶を申し上げます。」
事前に市長から渡されていたレジュメをほぼ暗記していた花音はすらすらと挨拶の言葉を述べてゆく。老人たちの視線は花音の、それも下半身辺りを中心に集められているように感じてしまう。気のせいだと思おうとするのだが、ノーパンで居ることを余計に意識してしまう花音だった。
最後の挨拶を終えて、ペコリと頭を下げてお辞儀した時に、妙な視線を後ろから感じたような気がした。ノーパンだったことを思い出してハッとしてスコートの裾を抑えた花音だった。
(まさか、覗かれたりしなかったわよね・・・。)
さっと後方を振り向いてみたが、後ろにいた関係役員達は皆、素知らぬ顔をしているようにみえたので、ひと安心して檀上から降りた花音だった。
「えー、それではこれから始球式ならぬ始打式に入りたいと思います。始打は今回、市長代理で来て頂きました早乙女花音さんにやって頂きたいと思います。」
司会の役員がマイク越しにそう告げると、選手たちから一斉にやんやの拍手喝采が起きる。
(え? 始打式なんて聞いてないわ・・・。)
花音が突然指名されてまごついていると、係の者らしいのが花音のクラブを持ってやってくる。
「さ、こちらへどうぞ。」
開会式に集まっていた観客が少し後ろに下がって場所を開けると、そこにTショット用の人工芝風の敷物が置かれる。
「思い切ってスィングして、出来るだけ遠くへ飛ばしてください。」
そう言われて仕方なくクラブを構えると会場の老人たちは固唾を呑んで見守る。
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