妄想小説
走る女 第二部
六十
「お早うございます、蛭田さん。」
前日、何もなかったかのように元気な声で管理人事務所に入ってきた早乙女花音は、明るく管理人に挨拶する。
「ああ、ご苦労様。花音ちゃん。」
「今日はちゃんと着替えも持ってきました。運動用のジャージと、水仕事でもいいように短パンも。」
「ああ、花音ちゃん。せっかく着替えまで持ってきてくれたみたいだけど、今日は掃除はいいから留守番をしてて欲しいんだ。商工会議所の人がスポーツイベントを企画してて、会場設定のことで打合せに来て欲しいって言われててね。今まで一人だったから、なかなかここ空けられなかったんだけど、花音ちゃんが居れば安心して出掛けられるからね。」
「え? 留守番ですかあ。私に務まるかしら。」
「ああ、そんな難しいことじゃないんだ。今日は多分来ないと思うけど、時々施設利用予約に来る人が居るんで、この台帳に記入して貰うんだけど。あとは2時間置きぐらいの定期的な見廻りかな。ここに合鍵があるから、一応グランド周りの設備やロッカールームとかを見廻ってきて欲しいんだ。鍵には全部、こうして札が付いているから何処の鍵かはすぐ分かると思うんで。」
「えーっと、予約の人の台帳記入と、見廻りですね。それで全部ですか?」
「まあ、強いて言えばあとは電話番かな。水道とか暖房設備とかの業者が点検なんかのことで問合せしてきたりするので、メモを取って残しておいてくれればいいから。」
「あ、そんな事でしたら、市長室の秘書とだいたい同じですから慣れてます。安心して行ってきて下さい。」
「じゃ、よろしく頼むよ。」
そう言うと、花音を独り残して、蛭田は管理人事務所を出て行く。しかし実際には出て行った振りをしただけで、管理人事務所の隣にある機械室の小屋に隠れて隠しカメラで花音の様子をリモートで監視するのだった。
計画は入念に練ってあった。基本は莉緒を陥れた時と同じで、まずは眠らせて恥ずかしい画像を撮っておくことにしたのだ。最初の見廻りに教えてあった時間の少し前にこっそり合鍵でスタンド下の半地下に忍び込む。服は機械室で全部着替えてひと目だけ見たら管理人だとは気付かないようにする。その上で、変装用のキャップとサングラス、ストッキングなどを準備してシャワー室の更に奥にある物置き部屋に潜んで花音が見廻りにくるのを待ち受けたのだった。
10時が過ぎた少し後になってから花音は施錠されている扉を開いてやってきた。好男は何時でも廊下に飛び出せるようにして花音の様子を窺うのだった。
(あれっ、放送室の扉が開いている・・・。誰か来たのかしら。)
そう思いながら隣のシャワー室とロッカールームを覗く。異変に気がついたのはその時だった。ロッカーの扉が殆ど開け放たれていて、中にあったらしいタオルやハンガーなどが床に放りだされている。奥の雑多な小物を入れている整理戸棚も抽斗が全部引かれていて、中を漁った雰囲気で、入っていた筈のものが床に散乱しているのだった。
(え、泥棒・・・?)
管理人に知らせなくてはと、廊下に飛び出た瞬間に後ろから何者かに抱きつかれて羽交い絞めにされる。
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