妄想小説
走る女 第二部
五十三
「早乙女くん、ちょっと。」
「あ、市長。はい、ただいま。」
市長室に呼ばれた早乙女花音は、座るよう薦められて応接ソファではない隅の事務机の回転椅子に腰を下ろす。
「実は君にちょっと頼みたいことがあってね。」
「え? 何でしょうか・・・。」
「実は、君にちょっと外で仕事して貰いたいことがあってね。」
「あ、仕事ですね。なあんだ。とうとう首になるのかって思っちゃった。」
「いやいや、首にしたりはせんよ。ただ、市役所の外での仕事なんでね。」
「全然、平気ですよ。何でも仰ってください。わたし、何でも一生懸命やりますから。」
「そうかい? 秘書としての仕事じゃないんだが・・・。」
「ぜんぜーん平気ですよ。だって、秘書の仕事だってまともに出来てないんですから。」
「実はね、この間君と行ったゲートボール大会の会場になった市営グランドなんだがね。あそこの管理人というのが私がとても世話になった人でね。彼から頼み込まれて人材を短期でいいから派遣してくれないかっていうんだ。」
「へえーっ、市営グランドですか。」
「どんな仕事なのか私もよく知らんのだが、とにかく急に人手が必要になったとかで困っているらしいんだ。何せ世話になった恩義がある人だから断れなくてね。」
「ああ、そういう事だったら大丈夫ですよ。わたし、市長の為になるんだったら、何だって一生懸命やりますから。」
「そうかい? そう言ってくれると私も心強いよ。彼の言うこと、何でも聞いてやってくれないか。私からのお願いだということで。」
「わかりました。市長、お任せください。」
何も知らない花音は就職口が無くて困っていたのを救ってくれた恩人だと思っている市長の手助けとなるならと思って、安請け合いしたのだった。
「あの、市長に言われて参りました早乙女ですが・・・。」
「ああ、あの時の。えっ、市長に言われてって、君が?」
管理人の蛭田は思いも掛けなかったことのように驚いて見せるが、実は花音を指名したのは蛭田本人なのだった。
「あの、どうかしましたか?」
「いや、まさか君みたいな若い女性が来るとは思わなかったもんだから。」
「それは・・・、わたしでは役不足・・・という事でしょうか。」
「や、そういう意味で言ったんじゃないんだ。もっと年の人が来ると思ってたから。どうしようかな・・・。」
「あの、わたし何でも一生懸命やりますから。」
「そうかあ・・・。汚れ仕事だからなあ。」
「汚れ仕事だって平気です。何でもやらせて下さい。」
「じゃあ、お願いするかな。実は、こっちの掃除をやって貰ってる人が急に来れなくなっちゃって困ってたんだ。」
「あ、掃除ですね。大丈夫です。わたしでもやれると思います。」
「でも、その服じゃ・・・。あ、清掃婦の作業着あるから、それに着替えるかな。」
「ああ、そうですね。掃除の仕事とは思わなかったもんですから。こんな服で来ちゃいましたけど、作業着を貸して貰えるなら助かります。」
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