多岐川裕美

妄想小説

尼僧院物語



 一

 日が暮れてからもう一時間近くが経とうとしていた。明かり一つ無い山奥の一本道は薄っすらとだけ見えているのは月明かりがあるせいだ。しかしその月光にも西の方から分厚い雲が覆い被さろうとしている。月明かりが無くなってしまえば、漆黒の闇になるのは必至だった。
 滑落した時に捻挫したらしい痛む足を引き摺りながら杖にしている一本の棒だけを頼りに何とか歩いてきたが、人家らしきものは全く見当たらないのだった。
 (やはり辿るべき道は逆だったのだろうか。)
 涼馬が落ちた沢から這い上がった細い山道は、涼馬が滑落した元の道とは別の道らしかった。どちらへ向えば人家があるのか、全く分からなかった。迷っている間にもどんどん日は暮れていくので、意を決して勘を頼りに道を進んだのだったが、余計に山奥へ迷い込んでしまったようだった。
 「月が雲に隠れる前に何とかせねば・・・。」
 焦る涼馬だったが、今更元来た道を戻ることも出来ず、人家があることを信じて痛む足を引き摺って一歩一歩前に進むしかないのだった。

修道院遠景

 辺りがふっと又暗さを増す。涼馬が見上げると月に雲がいましも掛かろうとしていた。月明かりが無くなってしまえば、道すらどちらにあるのかも判らなくなってしまう筈だった。
 「まずい・・・。」
 次第に道の両側の黒い樹木の影や一本続く道の輪郭がぼやけてきた。が、その時先の方に微かな光を感じたのだ。
 (あ、あれは・・・。助かったかもしれない。)
 まだかなり先だが、確かに灯りが点っているのが判る。涼馬は最後の力を振り絞ってその明かりを目指してゆっくりと進んでゆく。
 建物の輪郭が木立の合間におぼろげに見えてくる辺りまで近づいたところで涼馬は力尽き、よろけて転んでしまう。一旦地面に伏せってしまうと起き上がれなくなってしまった。
 意識が朦朧とし始めたところにぼんやりと灯りが近づいているのが感じられた。
 (幻をみているのだろうか・・・。)
 草を踏み分けるような微かな音が聞こえていたが、次第にそのペースが速まってゆく。
 「大丈夫ですか?」
 澄んだよく通る声がした。若い女性のようだった。
 「肩をお貸しします。さ、こちらへ。」
 女の温かい肌が触れた。
 「も、もうし・・・わけ・・・ありません・・・。」
 涼馬はもう自分で立っているのかもよく分からない。女に導かれるままに建物のほうへ少しずつ近づいていることだけを認識していた。
tbc
  次へ   先頭へ




ページのトップへ戻る