悪夢の前夜祭
第二部
二十九
「それじゃ美保さん。今日の文化祭にはどうしても出れないっていうの。実行委員長である水野さんが出てこれないと開催宣言も出来ないわ。」
「菜々子先生。それだったら副委員長の岩清水君にお願いしてください。私は体調不良で出席出来ないからって。」
「そう。仕方ないわね。・・・・。ねえ、美保さん。貴方、ゆうべ何かあったんじゃない?」
菜々子はスマホで一部始終を見せられていたのだが、さすがに全部知っているのだとは言えなかった。
「何かって・・・。いえ、何もありません。それより、先生こそ、何かあったんじゃないですか?」
思いもかけなかった美保の一言に菜々子も言葉を喪う。菜々子はスタンガンで気絶させられた後、用具室に寝かされて焼き鏝を当てられそうになって脅されたときの様子を美保がスマホで見せられていたなどとは知らなかったのだ。
「な、何故そんなことを言うの?」
「いえ、別に。先生に何も憶えがなければいいんです。それじゃ、先生。文化祭の事、よろしくお願いします。」
それだけ言うと電話はガチャリと切れてしまったのだ。
その年の文化祭は何時になく盛り上がりの掛けたものになった。実行委員長である生徒会長の水野美保が欠席だったこともあるし、何時もなら大勢やってくる隣の東高の生徒が男女共誰一人姿を見せなかったこともある。演劇開催を準備していた演劇部は会場のステージ脇に準備してあった筈のスポットライトが皆、無くなっていて校内のあちこちに散逸しているのが見つかってそのせいで演劇の開演が大幅に遅れたという事情もあった。しかし事情を知らない殆どの西高の先生、生徒らは、文化祭が妙に盛り上がらない理由は思いもつかないのだった。
文化祭が終了し撤収も全て終わった後、職員室では恒例の職員会議での文化祭の反省会が行われていた。一通りのお決まりの報告が実施した文化部顧問の教諭から為された後、教頭が教職員を見回してから閉会の宣言をしようとしていたその時だった。生徒会顧問の松下菜々子が手を挙げたのだった。
「あ、あの・・・。昨晩なんですが、学校内で異変があったようなのですが。」
「異変? 松下先生、どういう事ですか。何があったというのです?」
「そ、それは・・・。」
言い出しては見たものの、迂闊なことは言えないのだと気づく。一部の女子生徒を辱めるだけの結果になってしまいかねないのだった。
「松下先生。演劇部のスポットライトが誰かに持ち出されたことを言ってるのですか?」
声を挙げたのは演劇部顧問の若林教諭だった。
「そ、それもあります・・・。」
「スポットライトの事だったら、単なる悪戯だと思いますよ。校内のあちこちに持ち出されてはいましたが、全て見つかって演劇も多少の遅れだけで開催は出来ましたから。」
菜々子は他の教師達を見回してみる。菜々子に同調して昨晩の事を名乗り上げる者は誰も居ない。菜々子は昨晩の事を知っているのは自分だけなのかもしれないと思い返し発言を取り下げることにした。その時、テニス部顧問の如月美月と水泳部顧問の宮崎久美子が俯いて顔をあげなかったのには気づかなかったのだ。
「じゃ、いいですね。職員会議はこれで終わります。皆さん、お疲れ様でした。」
教頭の挨拶でその日の反省会はそこで打ち切られたのだった。
文化祭の反省会である職員会議を終えて職員室を出てきた菜々子は自分の無力さにうちひしがれていた。教え子が受けた凌辱を決して許してはならないと思うのだが、冷静に考えるとその事を訴えるべき証拠は何一つ持っていないことに気づかされたからだ。
自由を奪われた格好でスマホを経由して見せられた生徒会長、水野美保の凌辱されていく様は自分の頭に焼き付いている。しかし、それは自分の記憶でしかなく、本当にそんなことがあったのかと問われれば信じてくださいというしかないのだ。水野美保自身でさえ、自分の身に起きたことを語ろうとはしないのだ。しかしあの様を思い出すとそれも無理からぬことと思ってしまう。自分自身でさえ、美保に自分が拘束されて焼き鏝で脅されたことも、スマホで凌辱シーンを見せられたことも美保に告げることも出来なかったのだ。私は一部始終を見ていたのだと伝えたところで何の慰めにもならないばかりか、見ていて助けもしてくれなかったのかと逆上されかねない。
その時ふと、自分達をこんな目に遭わせた張本人の東高の女子学生二人を思い出した。
(そうだ。あの二人を捜し出して問い詰めれば白状するのではないか。あの二人が今回の強姦劇の首謀者に違いないのだわ。確かひとりは桐野なんとかと名乗っていた筈だ。)
東高には生徒会同士の繋がりで、東高生徒会顧問の教師には面識があった。菜々子と同じ教育大を出た後輩で梅田陽子だった。菜々子はまず東高の後輩、陽子を訪ねてみることにしたのだった。
「うちの生徒の顔写真ねえ。あ、そうだ。卒業アルバム用に最近撮影された集合写真ならあるから見てみる?」
東高の生徒の写真がないか梅田陽子を訪ねた菜々子はそう訊いてみたのだった。陽子が出してきた写真原稿を一枚ずつ繰っていた菜々子は何枚目かを見たところで桐野と名乗っていた女子と、一緒に居たもう一人の女子生徒を発見する。
「ねえ、陽子先生。ここに写っているこの人と、この人。何て人?」
「ああ、それっ。桐野朱美と下条悦子ね。問題児よ。」
「え、問題児・・・?」
「そう。いわゆる不良ね。スケ番みたいなものよ。気をつけたほうがいいわよ。特にこの桐野朱美。不良なんだけど頭はいいの。物凄く悪知恵が働くっていうか・・・。」
(そうだったのか・・・。)
陽子に言われて得心した菜々子だったが、ある意味その注意はもはや手遅れだと言わざるを得なかった。
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