妄想小説
不妊治療外来
二十八
「あ、奥さん。いらっしゃいましたね。芙美子君。奥さまがお召し物を脱がれるのを手伝ってあげて。そしてそれが済んだらもういいよ。後は私一人でやるから、今日も出掛けていなさい。」
「承知しました、先生。では奥さま、こちらへどうぞ。」
看護師の芙美子はこれから人工受精を受けるという若妻の優愛を脱衣所になっているカーテン衝立の向こう側へ案内する。脱いだ純白の小紋を受け取って優愛が襦袢だけになると、着物を衣文掛けにかけ、医師に暇乞いをする。
「それでは私の仕事は終わりましたので、これで失礼いたします。」
「芙美子君、例の赤色のシリンジの容器のほうをインサーターにちゃんとセットしてあるだろうね。そうか、わかった。じゃ、もういいよ。」
「失礼します。」
医師は芙美子がドアを出て行く音を確認してから、一旦診察室の扉まで自分から足を運んで内側から鍵を掛ける。
(これでもう誰も邪魔者は入ってこれない。)
医師はにんまりとほくそ笑むと襦袢ひとつで簡易ベッドに寝てまつ優愛の元へ向かうのだった。
「それじゃ、リハーサルの時と同じように目隠しをして両手を縛らせて貰いますよ。よろしいですね。」
「はい、お願いします。」
ベッドの上で両手を背中に回す優愛に目隠しを着けさせ、両手を縛り上げる。優愛は処刑される罪人がもう観念しているかのように、医師に身体を任せようとしていた。医師のほうは傍らの器具テーブルの上に赤いキャップの付いたシリンジがセットされたインサータが用意されているのを確認してから、自分のズボンのベルトを緩めチャックを下す。
「じゃ、始めますよ。」
医師が白衣の前のボタンを外し、ベッドに片足を載せて這い上がろうとしたその時だった。
「その先はもう必要ないですよ、優愛さん。そして、先生。」
突然、診察室の中に響いた声に医師も優愛も吃驚して向き直る。そこに立っていたのはさっき出て行った筈の看護師の芙美子だった。
「き、君。ど、どうして・・・?」
「さっきは出て行く振りをしてドアを開けて閉めただけです。その後は採精室のカーテンの向こうで待機していました。」
「何だって? 何故また、そんな事を・・・?」
「優愛さんが二度までも先生に犯されるのを阻止する為です。それも全く不必要な事の為に。」
「不必要だと? 何を言ってるんだ、君は。」
芙美子は黙ってベッドに近づくと優愛の背中側に回り込んで優愛の目隠しと背中の戒めを解いてやる。医師はベッドから一旦降りて、着衣の乱れをこっそりと直そうとしていた。
「どういう事なのか説明したまえ、芙美子君。」
「先生、そこに置いてある赤いキャップのシリンジがセットされたインサータの中に入っているのは、先生ご自身の精子培養液です。ですから、ここに居る優愛さんには不要のものです。優愛さんのご主人の精子は二週間前に先生ご自身が自分の手でこちらの優愛さんの膣内に注入されました。」
「何だって? 何を言ってるんだ、君は。」
「まだお気づきにならなかったのですか。私が二つを摩り替えておいたのです。先生の企みに気づいてね。」
「ま、まさか・・・。」
「ですから、優愛さんの体内にはもう既に旦那さまの精子が着床している筈ですよ。だからもう不要と申し上げたのです。」
「そ、そんな事が許されるとでも思っているのか・・・・。」
「許されない行為をしたのは、先生。あなた、ご自身のほうですよ。」
「し、しかし何を証拠にそんな事・・・。」
「ここに音声テープがあります。二度に亘って看護師の恵美さんと先生がなされた会話の一部始終が録音されたものです。」
「う、嘘だっ。」
「先生は最初から優愛さんが排卵日と月経開始日を勘違いされていたのを知って優愛さんにリハーサルと称して先生ご自身のスペルマを優愛さんに抽入されようとしたのです。」
「排卵日と月経開始日を勘違い? わ、私はただ優愛さんが排卵日だというのでそう信じただけだぞ。」
「先生。お忘れですか? 先生が優愛さんの旦那さんにバイアグラを処方された次の次の日。優愛さんが診察に来られた時、まさにその時、優愛さんの生理が始まりましたよね。先生はそれをご覧になっていた筈です。まさか不妊外来の先生を為さっている方が、排卵日直後に月経が始まるなんておかしいって思わない筈がありませんよね。」
「ううう・・・。な、なんてことだ。」
逃れようもない証拠を突きつけられて、医師は膝を床に付けてしゃがみ込んでしまっていた。
「優愛さん。さ、お身体に障るといけませんので、お召し物をお羽織りになってください。」
何が何だかまだ全貌が掴めきれていない優愛はただ芙美子に身を任せているしか出来ないでいたのだった。
秋本医院はその数日後に閉鎖され、芙美子も恵美も医院を去った。秋本医師の消息は誰もその後を知るものがないとのことだった。
完
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