妄想小説
不妊治療外来
二十一
「芙美子君、ちょっとこっちへ。」
「はい、先生。ただいま。」
突然、医師の秋本に呼ばれ芙美子は何か不始末でもしたのではないかと不安になる。
「君はエス・エムというのは知っているかね?」
「エス・エム・・・ですか? あの縛ったり、縛られたりする、あれですか?」
「ふむ。そういうのもあるが、もっとハードな奴だ。」
「鞭を使ったりとかするの・・・ですか?」
「ほう、一応知っているんだな。」
「いえ、この間遠山さんが持っていらした8mmビデオで初めて観ました。奥さまを縛って鞭を打っていらしたので・・・。」
「おお、そう言えばそうだったな。あれが初めてか。採精室にも似たようなのが幾つか置いてある筈なんだが、観たことはないのか。」
「いえ、私はあそこに置いてあるものには自分では手を触れたことがないです。」
「そうか。ならば、こんど勉強しておきなさい。君には今度エス・エムを演じて貰わねばならないからね。」
「また縛られるのですか?」
「いや、あの時のとは違う。今度はエス役だ。鞭を使うほうだよ。」
「え? 私が鞭を使うのですか・・・。」
「そうだ。だからビデオをよく観て、研究をしておくんだ。」
「何を研究しておけばよろしいのでしょうか?」
「エス役がどのようにして興奮してゆくのかをだ。エム役がじゃない。エス役だ。どんな言葉を使って、どんな行為をして興奮してゆくかを研究するのだ。分るか?」
「いえ、あまりよく分りません。」
「つまり、エス役になりきれって事だ。お前の演技を観ているエス嗜好の男が共感するように演技するんだ。」
「はい。よくわかりませんが、ビデオを観て研究してみます。でも、誰を鞭打つのですか?」
「それはその時になったら教える。ただ容赦なくやるんだぞ。真に迫った演技をする為にな。」
「わかりました。やってみます。」
「よし、行きなさい。」
採精室へビデオを取りに行く芙美子を見送った医師は着々と準備を整えていくのだった。
優愛は夫、権蔵が採精に来る予定日の二日前に医師に指示された通りに秋本医院へやってきた。普段の診察はこの日は午前のみなのだが、往診用の時間帯である午後に来るように指示されていた。その為か医院待合室には他の患者の姿はなかった。そして待合室には秋本医師が直々で優愛を迎えに待っていた。
「さ、こちらへどうぞ。」
優愛はいつもの第二診察室へ案内される。第一は内科、第二は不妊外来用と決まっているらしかった。
「今日は明後日の夫の診察の準備の為だと伺いましたが・・・。」
「その通りです。その準備の為に奥さまにはやって頂くことがあるのです。さ、ここにお掛けになって楽にされてください。」
医師は優愛に椅子を薦めると、いつもの自分の机の抽斗を開く。そこに何があるのかはもう優愛はよく知っていた。抽斗から取り出した黒いビロードの布を優愛の目の上に巻くと頭の後ろできつく縛る。その次に優愛の手首が掴まれ背中に回されると縄が巻き付けられた。優愛は勝手を知っているとばかりに、もう片方の手首も背中に回して交差させ医師が縛りあげるのを待つ。
「今日もセラピーの続きでしょうか?」
「いや、今日のはちょっと違います。貴方ご自身の為というより、ご主人の為のものです。さ、私が案内をしますから立ってこちらへ歩いてください。」
医師が目が見えない優愛の肩を掴むと、何処かへ向かわせるように促す。優愛にはガチャリという音がして何処かのドアを潜り抜けたらしいことだけが判る。
「もう少し前へ。そう、そうです。ここで立ち止まってそのまま。」
優愛は部屋の中央らしき場所に立たされた。そして医師は背中の優愛の両手の自由を奪っている縄の端に何か細工をしているようだった。
突然部屋の四隅から光が当てられたのがビロードの目隠しを通してでも感じられた。
「さ、目隠しを取りますよ。」
医師が頭の後ろで結んだビロードの帯を解いたらしかった。眩い光がまぶしくて一瞬目が見えない。その間に医師は何処かへ姿を消したらしかった。
目が慣れてくると、自分に向けられた何本かのスポットライトの間に誰か立っているのが判った。その人物は奇妙な格好をしている。革製の水着のような衣装で、手足が剥き出しだが黒い網タイツにヒールの高いブーツを穿いている。女性のようだが顔には目の部分だけを隠す仮面が付けられていて誰だか判らない。
「どなたなのですか?」
何か怖いような気がして、後ろへ後ずさりしようとして手首を縛っている縄が天井から降りてきているらしい鎖に繋がれていることに気づく。ジャラジャラと音がするばかりで、部屋の中央から逃れることは出来ないのだった。
優愛は目の前の黒服の女性が房のある鞭を手にしていることに気づく。その女性は手にしていた鞭を持ち換えると柄の部分を優愛の顎に当てて、上向かせるのだった。
「私をいったいどうしようと言うのですか・・・。」
優愛の目の前の女性は仮面の下で不敵な笑みを浮かばせているように見えたのだった。
「さ、こちらへどうぞ。」
呼ばれた権蔵は看護師からいきなり採精室へと案内された。
「今日は先生は? いらっしゃらないのかな?」
「後でまいります。まずはこちらでもう一度、採精をして頂きます。」
「採精をするのか。妻からは聞いていなかったので、何も持ってきていないのだが。」
「ご心配ありません。こちらで準備させて頂いております。さ、下のお召し物をお取りになってベッドの上へどうぞ。」
「う、うむ。」
権蔵はいつもの赤い褌を取ると看護師に手渡し、そのままベッドの上にあがる。剥き出しになった権蔵のペニスはしなだれて縮こまっている。そのペニスを看護師はつまみあげると手際よくタオルで拭い、アルコールで湿らせた脱脂綿で拭き取っていく。
「このところ妻がさせてくれないので暫く出してはいないが、すぐに出せるかどうか・・・。」
「大丈夫ですよ。先生が請け負ってくれていますので。」
「先生が? はあて・・・。」
準備が整って看護師がリモコンのボタンを押すとモニタ画面がすぐに明るくなっていった。
「あ、あれは・・・。妻の優愛ではないか。」
画面中央に後ろ手に戒めを受けて天井から垂れている鎖に繋がれた優愛の姿があった。縛られている背中が映っているのだが、真正面にいる仮面の女から顔を背けるようにしているので、横顔で優愛であるのが判るのだ。
真正面の仮面の女は片方の手に房のついた鞭を持ち、もう片方にはなにやら黒っぽい棒のようなものを手にしている。その棒のようなものを優愛の目の前で翳すように見せるのだが、優愛の方は頭を振って、それを拒んでいるように見える。
優愛が応じないので仕方ないという感じのそぶりを見せていた仮面の女が今度は優愛の長いドレスの裾を捲り始めた。ドレスの前部分を捲り上げ、たくしあげた裾を腰に巻かれた縄に差し込んでいるようなのだが、権蔵のほうからは背中側しか見えない。仮面の女は手にしていた鞭を逆手に持って、柄の先を剥き出しにされた優愛の股間に当てて、ぐりぐりとこじるようにしている。優愛が身を揺さぶりながらそれに堪えている。音声は入っていないのか、音量を絞っているのか声も音も聞こえてこないのだが、画面だけで優愛の喘ぎ声が聞こえてくるようだった。
ひとしきり優愛の股間を鞭の柄でまさぐった後、仮面の女は今度は縛られた優愛のスカートの後ろ部分を捲り上げ始めた。優愛の白い太腿に続いてむっちりとした尻たぶが露わになる。下着は奪われたのか、最初から穿いていなかったのか、ノーパンだった様子だ。たくしあげたスカートの裾を腰に巻いた紐の中に押し込んでしまうと仮面の女は優愛の後ろ側に回り込んでくる。
カメラを意識してか、自分の姿で優愛の姿が見えなくならないように脇に立つと優愛の背中で手にした鞭をびゅん、びゅんと振り回し始める。それをみて、優愛の青褪めた顔が引き攣っていく。それを観ている権蔵も思わず生唾を呑み込む。股間のものはさっきからすでにビンビンにいきり立っている。
いきなり仮面の女の鞭が優愛の尻の上で炸裂した。無音なのに権蔵の耳にはパシーンという鋭い音が聞こえた気がした。鞭打たれた優愛は身体を仰け反らせて痛みに耐えている。その優愛に向かってもう片方の手に持った黒い棒を翳して見せる。カメラに少し近くなったことで、それが振動しているペニスを模ったバイブであることが権蔵にも判った。優愛は首を振って拒んでいる。どうやら鞭を赦してほしかったらバイブを挿してくれと言うように強要されているらしかった。
仮面の女の鞭が再び炸裂する。音がしない画面でも優愛が泣き叫んでいるのがはっきりと判る。再び仮面の女が手にしたバイブを優愛に翳すが、優愛はゆっくり顔を横に振る。しかしその表情はもはや力なく、やっとの様子だ。
仮面の女が三度鞭を振り上げたところで、権蔵のいきり立ったものが暴発したのだった。芙美子は医師に命じられた赤いキャップの付いたシリンジケースに採精カップから取り分けた権蔵の精液を大事そうに冷蔵庫にしまいに行くのだった。
「あんなものを一体何時・・・?」
「旦那さまに間違いなく放出して頂く為に、奥さまに演技をして貰うことを同意して頂いたのです。おかげで充分な量の精液を採取することが出来ました。」
ビデオは既に消されていて、あちこちに付着した精液の残りを温かいタオルで拭き取って貰いながら権蔵は褌を締め直す。
「私がああいったもので感じると医師が言った訳だな?」
「そうですよ。」
権蔵の背後で答えたのは何時の間にか近くにやってきていた秋本医師、本人だった。
「いやはや、畏れ入った。まんまと乗せられてしまった訳だ。」
「あのビデオは後で遠山さんにお渡ししますよ。是非、お持ち帰りになりたいでしょうから。」
「ああ、勿論だとも。しかし何だっていきなりこんな大掛かりなことを仕組んだのだね。」
「それはこれから説明致します。さ、診察室のほうへどうぞ。」
そう言って医師は先に立っていつもの診察用の自分の席へと戻って行く。権蔵はその後を追いかけるように付き従うのだった。
「つまりその人工受精なるものを妻に施すという訳なのか。」
「そうです。なので明後日、半日の間、奥さまを私のところに預けて頂きます。」
「預けるとな? 私は立ち会うことは出来んのかね?」
「この形態の施術は今現在、日本ではまだ認可されておりません。つまり非合法の受精方法ということになります。その性格上、今はまだ非公開とせざるを得ないのです。そこのところはご理解をいただくほかはありません。勿論、この施術を拒否することは構いません。」
「しかし他に妻が妊娠する手立てはないのだろう・・・。」
「左様です。今の所、他には。」
「では致し方あるまい。妻の妊娠を約束して頂けるのならば妻を預けようではないか。」
「約束とまでは出来かねますが、かなりの確率で妊娠まで漕ぎつけると確信はしております。」
「そうか。わかった。全て貴方にお願いしよう。」
優愛にはリハーサルと称している本番を、こうして秋山は無事迎える手筈を全て整えたのだった。
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