妄想小説
不妊治療外来
二十二
「いよいよ明日ですわね、先生。」
診察室に二人きりであることを確認してから声を潜めるようにして秋本医師にそう囁いたのは古手の看護師、恵美だった。
「何の事かね?」
「あら、いやだ。先生のお好きなあの若いご夫人をものにするって事ですよ。」
「ものにするって・・・? 何を言ってるんだね、君。人聞きが悪いにもほどがある。」
「いいんですよ、先生。誰にも言いませんから。」
「何を言うっていうだ、藪から棒に。」
「だって、明日が危険日なんでしょ。あ、いや安全じゃないほうの日か。」
「何でそんな事まで知ってるんだ、君っ?」
「今時、排卵日と月経開始日を間違えるなんて。どんな性教育を受けてきたんでしょうね、あの世代の女たちは。」
「まあ、昔の性教育なんていい加減だったからね。なにせ小学生の時代にやっちまうんだからちゃんと理解出来なくったって当然だ。中にはその当日休んじゃって、クラスメートからいい加減に教えて貰って判ったつもりになってる場合だってあるんだそうだ。」
「で、排卵日に先生がリハーサルをなさる訳ね。もちろんリハーサルっていうからには性交もなさるんでしょ?」
「どこまでするとは言ってないが、あの夫人には受精する為には本番と同じ身体の状態を作る必要があると言ってあるからね。そうしないとバルトリン氏腺始め、いろんなホルモンが受精、着床を助けるように正常に分泌されないんだと言ってあるんだ。」
「そんな話、初めて聴きましたよ。」
「まあ、これは私なりの学説なんだがね。諸説あるというやつだ。」
「都合のよろしいこと。あの遠山って爺さん、もう後先長くないのに財産はかなりあるらしいですね。」
「子供が出来んと遺産は若い妻にしか行かん。その妻は自分が死んだら誰かと一緒になってそいつらとそいつらの子供が相続することになる訳だろ。それが許せんのだろう。」
「まさか。その誰かってのに、先生がなろうっていうんじゃ・・・。」
「もしもだよ。今回妊娠するとするだろ。旦那はそのうち亡くなって子供が産まれると。その子供のDNA鑑定をしてみたら私の子だと判ったとして、そうなるとあの後家さんは儂と結婚するしかないだろ。」
「そこまで考えてたんですね。そうすると明日抽入するのは・・・・。」
「まあ、全部は言うな。明日は君と芙美子君には午後休みを取って貰うつもりだからな。医院に私以外が居るのは許さんからな。」
「はいはい、分ってますよ、先生。」
恵美も秋本医師も診察室には誰も居ないと思い込んでいた。しかし採精室のカーテンの向こうにはビデオの勉強に来ていた芙美子看護師が途中から聞き耳を立てていたのだった。
「あら、まあ・・・。」
その日の午後、約束の時間になって現れた優愛は、これから嫁入りかと見紛うような純白に近い着物姿だった。
「あの、お願いします。」
「まあ、とっても素敵なお召し物。着物がとってもお似合いですね、遠山の奥さま。」
「恥ずかしいです。これ、私が嫁入りする時に着てきたものを仕立て直したものなのです。主人がこれをとても気に入っていて、先生に言ったら是非これを着て来なさいと仰るものですから。」
「ほお、先生がね・・・。ま、どうぞ。お入りください。先生ももうすぐいらっしゃると思いますので。」
他の患者は居ないのでそのまま第二診察室へ案内する。
(人工受精のリハーサルと言われて、よく和装でいらした事・・・。)
しかし医師がそれを着て来いと言った意味もわからないではなかった。
(まあ、いざ脱いでしまえば何を着て来ても同じか。)
第二診察室へ入っていく優愛の背中を見送りながら、恵美はそう思うのだった。
優愛が診察室に入ってゆくと、いつもはナース服の看護師、芙美子が珍しく私服で居るのに気づいた。
「先生、本当に大丈夫なんですか? お独りで・・・。」
「ああ、今日はリハーサルだからね。僕、一人で充分だ。偶にはゆっくり楽しんできたまえ。それにしても私服のミニスカート、とっても似合っているよ。」
「え、そうですか。お出かけする時にミニって、あまり着たことがないからちょっと不安なんですけど。」
「恵美君もそろそろ出掛けるらしいから。」
「あ、そうですね。じゃ、私もこれで。」
そう言うと、看護師は入ってきた優愛に軽く会釈だけして擦れ違って出て行く。
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