妄想小説
プール監視員
その10
里美は奴等が間違いなく再度美沙子を呼び出すだろうことを予測していた。それで態と手酷い傷を負った風を装って次の日、早めにプールに現れたのだった。本当は軽い脳震盪を起しただけですぐに我に返った里美だったが、不覚を取っただけに里美のほうもリベンジに燃えていた。いつもなら背後から忍び寄られようと気配に気づかない筈はなかった。それだけ剣道に集中している際には辺りへの注意力を怠らないだけの訓練を長くしてきた里美だった。それが美沙子が襲われたことと、そんな狼藉を働いた男の正体を明かしたいという逸る気持ちが里美にはあり得ないような隙を作ってしまったのだった。
(あいつら、今度は絶対にゆるさない)そう心に誓った里美だった。
里美が傷を負って早引けしたことを周囲に報せれば、きっとまた仕掛けてくるだろう事を見込んでの事だった。里美は美沙子を狙っている奴等がプール関係者等の身近にいる者だろうとは見当をつけての事だった。
その夜、里美は家にはジョギングに出ると言って身動きのしやすいランニング用タンクトップとラニングパンツの姿で家を出てきた。プールまでジョギングするのも軽いウォーミングアップのつもりだった。竹刀は既にプールに面した監視ルームに隠しておいたのだった。
室内プールのある建屋の近くまで来ると、里美は外部に人影の無いことを充分確かめてからまず屋外のトイレに入る。そこで背中のリュックから昼間の内に美沙子が買い付けの店、コム・デ・フィーユから仕入れてきた美沙子のとそっくりの花柄をあしらった白いワンピースをランニングウェアの上から纏うと、更に持ってきた長めのウィッグを頭に着け、自然に見えるように態とそれをポニーテイルに纏める。これで遠目には美沙子そっくりに見える筈だった。
衣装が整うとさっそく里美は夜の室内プールへと忍び込む。美沙子がそうしていたように里美もあらかじめ合鍵を作ってきていたのだ。
前夜、里美は美沙子がプールへ忍び込んだ際にまず二階のホールの方へ忍び込んだ。ホールのプールを見下ろせる大きな窓からは全体が見渡せ、何処から美沙子を呼び出した男等が現れるか見張るのに丁度良かったからだ。その時、美沙子は監視ルームの窓際のテーブルに置いた灯りのほうへ近づいていったのを見ていた。男等が用具室から出てくるのもその時把握していたのだ。そして美沙子が男たちから逃げ出そうと走り出した際に竹刀を手に二階から玄関ホールへ出る階段に急いだのだった。
この日も同じ手口で監視ルームの前に美沙子を呼び出すであろうことは計算済みだった。それで監視ルームの扉を開けたすぐの所に竹刀を隠しておいたのだった。
美沙子に変装した里美が、想像した通りの場所にあるテーブルに灯りが点いているのを確認すると、ゆっくりそちらに向かう。今度は背後の気配に気を配るのを怠らない。
カチャっと微かな音が用具室のほうから聞こえた。
(来るわ・・・。)
里美は思わず緊張に身を強張らせる。テーブルのすぐ近くまで来ると、紙に『アイマスクをして後ろ手に手錠を掛けて待て』と書いてあり、手錠とアイマスクもすぐ傍にあるのを確認する。
(誰がこんな手錠なんか、自分から掛けるものですか。)
そう思いながらも、テーブルからそっと手錠とアイマスクを取り上げるとその場に蹲る。やがて用具室の扉が少し開いて誰かが頭を出したのが、こっそりと背後の様子を覗っている里美にも見えた。その数は三つだった。
(もう一人、何処かに隠れている筈だわ。でも、今度は油断しないわよ。)
里美は三つの影が用具室の扉から出てくるまでじっとして待った。男たちはゆっくりと自分との間合いを詰めてくる。
「ちゃんと手錠は嵌めただろうな。」
男の方から先に声がした。その声を合図に里美はさっと立上ると監視ルームの扉を開けてドアのすぐ傍に置いておいた竹刀を取り上げる。
「こんなもの、誰がするもんですか。」
そう言うと、手にしていた手錠を男たちに向けて投げつける。男たちがそれを避けるようにして三方に分かれたのが薄暗闇の中で見て取れた。里美は手にした竹刀を強く握りしめる。
その時、突然室内プール内の照明が一斉に点った。誰かが照明のスイッチを入れたらしかった。昼間のように煌々と照らされる室内プールの中に、頭からストッキングのようなものを被って顔を隠した男三人が里美を逃すまいと囲うようにしてじりじりと近づいてくるのが見えた。
里美は立ち回りの邪魔になると思い、最早不要となった美沙子を装う白いワンピースと頭のウィッグを脱ぎ捨てる。
「さあ、今日は私が最初から相手よ。何処からでもかかってきなさい。」
声高々にそう宣言すると、里美は得意の上段に竹刀を振り上げて構える。男たちは前夜に痛めつけられて里美の腕を知っているだけに慎重だった。じわり、じわりと間を詰めるが迂闊には飛びかかって来ない。里美には三人が一斉に飛びかかってきたとしても三人同時に倒せる自信はあった。それだけの鍛錬を積んできたのだという自負があったのだ。三人のうち、ひとりでも動けば、里美の切先が反射的にその獲物を捉えるのだ。
しかし、男たちはなかなか動かなかった。
(来ないならこちらから行くわよ。)
そう里美が決心した瞬間だった。全く予期せぬ事が起こったのだ。
パシャン。
突然館内全体の照明が落とされたのだ。辺りが一瞬で真っ暗闇になる。いや、実際には幾つか常夜灯が残されているので完全な真っ暗闇ではない。しかし、それまで煌々と点いていた照明の明るさに目が慣れていたせいで、すぐには薄暗がりに目が慣れない。里美は暗がりの中で攻撃されることを怖れて必死で目を凝らす。
パシャ。パシャ。パシャ。
三方向でほぼ同時に閃光が煌めいた。
「うっ、ま、眩しいっ。」
里美には一瞬何が起こったのか理解出来なかった。真っ暗闇だと思った次の一瞬には、目の前で激しいフラッシュが焚かれたのだ。
その次の瞬間には再び照明が復活したことが里美にもかろうじて判った。が、目眩ましを受けた里美の網膜にはさっきの眩しい光がちらついて殆ど何も観る事が出来ないのだった。
里美が目を抑えようとした瞬間に、下腹に激痛が走った。誰かが里美の無防備な腹目掛けてボディーブローを放ったのだ。堪らず竹刀を持ったまま腹を抑えようとする里美に今度は誰かが背中から腕を廻して首を絞めにかかる。息が止まりそうな苦しさにその腕を振り解こうと手を廻したのが男たちの思うツボだった。再び手隙になった里美の腹をボディーブローが二発続けて炸裂したのだ。堪らず里美は膝を折って倒れ込みそうになる。しかし男たちの攻撃はそれだけでは止まなかった。倒れ込む里美の両側から男たちの膝が里美の脇腹を思いっきり蹴り上げたのだ。手にしていた竹刀は既に吹っ飛んでしまっていた。
「あううっ・・・。」
形勢は一挙に逆転していた。里美にはまだ目がチカチカして男たちの動きを把握することが出来ない。それを尻目に一人が里美のお腹に馬乗りになって抑え込むと、両側から片方ずつ手首を取られて捩じ上げられる。その手首に縄が巻かれていくのを里美はどうすることも出来なかった。
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