俊介配達

監禁妻への折檻



 五十七

 前回、半ば強制的に夫に逢わされて多少の会話はした俊介ではあったが山荘から一人で歩いて来て三河屋の中に入って声を掛けるのはさすがに気が引けるものがあった。しかし、今の倫子には頼る相手は俊介ぐらいしか見つからなかったのだ。
 「あ、木崎の奥さん。この間はどうも・・・。ご馳走様でした。」
 「あ、いいのよ。夫にもてなしを頼まれたものだから。あの・・・。」
 「どうかしましたか、奥さん。」
 俊介の後方をそれとなく見渡しながら倫子は切り出す。
 「今日は俊ちゃん以外は居ないの、お店に。」
 「ああ、親爺は組合に出掛けていて。お袋も滅多に店には出ないので、今は俺ひとりです。」
 「そう・・・。あのね、俊ちゃん。この間、私の事、変じゃないって言ったわよね。本当にそう? 夫に縛られてお洩らししちゃうようなことがあっても・・・?」
 「え、何ですって? 何の事ですか?」
 「だから、この間の事っ。夫から全部聞いたんでしょ。隣の部屋から音が聞こえた時の・・・。」
 「え? 猫の粗相の話ですか?」
 「猫の・・・? 夫から何を聞いたの?」
 「ああ、だから奥さんが野良猫を拾ってきて。躾をしようとしたのに、テーブルの上の水の入ったコップを倒しちゃって、猫のトイレにしようとしてた洗面器に溢しちゃったんだって。旦那さんが『だから野良猫なんか飼おうとするからいけないんだ』って怒られたんでしょ、奥さんが。」
 「あ、ああ・・・。そう・・・。あの話ね。」
 「その話じゃなかったんですか?」
 「ああ、そうよ。その話・・・。さっきのは例えばの話で、あくまでも仮の話。縛ったり、縛られたりするのって、夫婦の間であったりするのかなって・・・。仮の話。」
 「ああ、夫婦の間ってそれぞれじゃないですか。俺はまだ結婚してないから、そういうの疎いけど、いろんな夫婦が居て。どういうことするのかはその夫婦次第なんじゃないですか。俺なんか、経験がないから、俺に意見訊いても無駄ですよ。」
 「そ、そうよね。なんか・・・。変な聞き方しちゃったわね。誤解するような・・・。ただの例えだから気にしないで。忘れてっ。」
 「奥さん。そんな話で来たんですか?」
 「あ、そうじゃないの。お願いがあって・・・。電話を貸して貰いたくてきたのよ。」
 「ああ、この間奥さん言ってましたよね。ご自分の電話、持たされてないんだって。用がある時はご主人のを貸して貰ってるって。」
 「そうなのよ。まあ、滅多に私が掛けなくちゃならない用なんてないから、いいんだけど。今日は主人が留守なんだけど、急に連絡取りたいことが偶々出来ちゃってね。」
 「ああ、それなら全然構わないですよ。うちはまだ固定電話が置いてあるんで、それ使って下さい。その奥です。あ、俺。外してますから、ご自由にどうぞ。」
 「ごめんなさいね。すぐ済ますから。」
 そう言うと倫子は示された店の奥にある電話機に向かう。胸のポケットから壜に入れて土に埋めておいたのを先ほど掘り返して持ってきたメモを広げるのだった。
 ツー、ツー、ツー。ルルルル、ルルルル。
 (お願い。出てっ・・・。)
 「はいっ、樫山琢也です。」
 「あ、琢也っ? あの・・・。」
 「ただいま電話に出ることが出来ません。御用の方は折り返し電話しますのでピーっという音の後にお名前を録音してください。」
 (留守電だわ。どうしよう・・・。)
 ガチャリ。少し迷ったが、倫子は何も告げないまま電話を切ることにした。

 外に出て外してくれていたらしい俊介が店の中に戻ってきた。
 「うまく通じましたか?」
 「あ、ああ。ええ。でも留守電だったので・・・。また、今度電話することにするわ。」
 「そうですか。でもやっぱり不便ですよね。自分用の電話って持ってないと。いざという時にね。」
 「主人が許してくれないと思うの。仕方ないわ。」
 「だったらこっそりプリペイドの携帯でも買っちゃったらどうですか。俺、契約してきてあげますよ。今時、自分用の携帯ぐらい持ってないと。」
 「え、そんなの簡単に作れるの?」
 「ええ、簡単ですよ。海外から来た人とか、使い捨て感覚で使ってますよ。」
 「え、そうなの・・・・。どうしようかしら。お願い・・・しても、迷惑掛からない?」
 「あ、全然。街に出て契約してきて、今度配達に行く時に届けてあげますよ。勿論、ご主人には内密にね。」
 俊介は軽くウィンクして見せる。
 「そしたら、ついでに頼みたいんだけど。これの合鍵って作れるかしら。私が持ってたの、落としちゃったらしくて。落としたっていうときっと叱られるのでこっそり作っておきたいの。出来れば大至急。」
 「ああ、そんな事なら大丈夫。この後、街に仕入れに出るんで。その間に作って、夕方にはお届け出来ますよ。」
 「ああ、本当? 助かるわ。俊ちゃん、お願いねっ。」
 倫子は思いもかけない素早い展開にほっと胸を撫で下ろすのだった。

倫子

  次へ   先頭へ



ページのトップへ戻る