逃げる日下

妄想小説

地に堕ちた女帝王



 七

 憲弘が鍵が無いのに気づいたのは、寮の自分の部屋の前まで戻ってきてからだった。出てくるのに鍵を掛けていったのだから、持って出たのは間違いない。逃げる途中で落としたのだろうとすぐに考えた。
 (あいつに拾われてなければいいが・・・。)
 部屋に入るには、寮監に言って開けて貰う手もあったが、この日、鍵を失くしたということを、誰にも知られてはならないとすぐに思った。合鍵はあるが、生憎会社の机の中に入れたままだった。憲弘はすごすごと寮を出ると、その夜はカプセルホテルにでも泊まろうと、街のほうへ向かうことにしたのだった。



 (やっぱり、寮の鍵だわ。)
 その日、紗姫は寮施設の巡回と称して、会社の自転車で、工場から15分程度のところにある独身寮に来ていた。寮監室にあるスペアキーの束と紗姫が拾った鍵を照合する為だ。
 鍵は何処の合鍵屋などでも作れる標準的なものではあるが、それでも幾種類かあるなかの一種類だ。それに鍵に通したリングに特徴があった。これは入寮者に渡す際に付けられているもので、会社特有のものだった。キーホルダーだけは後から使用者が勝手に付けたものらしかった。会社の独身寮の者とまでは判ったが、どの部屋かまでは追跡出来なかった。なにせ500近くの部屋があるのだ。ひとつひとつ鍵先の形状を比較して割り出すなどは警察の手でも借りなければ無理で、紗姫がこっそり寮監室に忍び込んで探し出せる量ではなかった。

 紗姫は一計を案じた。男からは頻繁にメールが届いていたので、アドレスが携帯に残っている。そこへ紗姫のほうから逆にメールを入れることにしたのだ。
 「アンタの正体はもう掴んだも同然よ。寮の鍵と照合したわ。これ以上探られたくなかったら、私を映したビデオとデジカメのデータをそっくり持ってくることよ。素直に持ってきたら、これまでの事は無かったことにするわ。もしコピーを残したりこれ以上変なことをするようなら、即刻警察の手を借りて正体を暴くことにするわよ。場所は体育館の女子トイレ。期限は今晩じゅう。」
 紗姫は相手によく考えさせることと、そして余計なことを考えさせないことを考えて、会社が終わる定時直前にメールをいれ、その日の深夜までを期限としたのだ。


 紗姫からのメールを受け取ってすぐさま寮の自分の部屋に取ってかえした憲弘は、じいっと先ほどから自分のサイドポーチを睨むように眺めていた。
 その中には、撮影した3本の8mmテープと、デジカメから落とした画像ファイルをいれたDVDが入っている。もしものことがあって踏み込まれたりした時にさっと隠せるよう、一纏めにしてポーチに入れておいたのだ。どこで足がつくか判らないのでコピーは取らないようにしてきた。

 鍵を落としたのは、不覚中の不覚だった。まだ自分を突き止められてはいないものの、紗姫がメールに書いてきたように、警察の力を借りて調べられ始めたら、突き止められるのは時間の問題だとは憲弘にもようく判っている。
 紗姫の言うことをきいて、素直にビデオとDVDを差し出せば、それで済ませてくれるだろうか。それでもやはり警察に届けて調べ始めるのではないだろうか。いや、あの女だって、あんな恥ずかしいものはたとえ警察だとしても差し出すのは嫌だろう。だったら言うことを聞いておくべきか。
 こんな映像は二度と手に入らない。こっそりコピーを取っておこうか。いや、もしそれがもとで証拠として押さえられたら、それこそ逃げおおせなくなってしまう。あまりに危険だ。
 憲弘は何度も何度も迷った末、やはり紗姫の言うことを聞くことにした。時計を見ると、そろそろ10時を過ぎようとしている。警備員が巡回する前に持っていくとなると、もう1時間もなかった。

 紗姫はその夜、体育館で待ち伏せすることは最初から考えていた。しかし、時間通りに相手がやってきて、自分が出した条件通りビデオと画像を持ってきた場合、踏み込むべきかどうかは迷っていた。万が一捕らえることに失敗して逃してしまったら、逆上して何をしでかすか判らないのだ。どうせ自分は捕まるのだろうから、恥ずかしい画像を撒き散らせるだけ撒き散らしてやろうと思うかもしれなかった。恥ずかしい映像を裏の闇ルートへでも流されてしまったら、どんな事になってしまうかもしれない。

 紗姫はそれでも心配で、体育館の隅で成り行きを見張らないではいられなかった。紗姫が選んだのは体育館のステージを見下ろす位置にある照明係用の小部屋だった。そこなら忍んで来る筈の相手が体育館を突っ切るところを目撃することが出来そうだった。しかし、踏み込んで捕らえるのには、それほど有利な場所とはいえない。確実に捕らえるならすぐに飛び出せるステージ脇辺りでなければならない。しかし、それだけに見つかる危険も大きく、取り逃がした場合のリスクも大きい。

体育館天井昇り

 憲弘のほうでも、紗姫がこっそり潜んで待ち構えているかもしれない事は想定していた。しかし変な準備をすることも危険を伴う。万が一、警備員や警察などにも協力を求めて待ち構えられていて、職務質問などを受けた際に、スタンガンや縄などを所持していてはそれだけでつかまってしまう惧れがあるのだ。へたなものは所持出来ないと思った。取りあえず憲弘は逃げるのにとにかく身軽にすることと、顔だけは隠すようにいつもの目無し帽と手袋だけは持ってゆくことにしたのだった。

 そして、この微妙なバランスの取引は実行された。憲弘は最後の最後まで折角の画像を置いてくるかどうか躊躇し、紗姫のほうは目無し帽で現れた男の正体を掴む為に飛び出すかどうか最後まで迷った末、画像を確実に取り返すほうを選んだのだった。

金髪

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