派遣通訳女子 屈辱の試練
九
翌朝、美姫子はいつもより早目に出社する。何時また朝礼の理念唱和と天突き体操の音頭取りをやらされないとも限らないので出来ればミニスカートは避けたかったが、部長の鬼木からははっきりミニ以外は穿いてくるなと言い渡されている。それで持っているミニの中では少しだけ長めの白いタイトスカートにした。自分ではお気に入りのスカートで、遊びに出る時用に買ったものだが、いつも同じスカートで出社する訳にもゆかないので選んだものだ。
「あ・・・。お、お早うございます。」
何となく嫌な予感はしていたのだが、そんな時に限って部長の鬼木が先回りしていたかのように、もう何時もの部長席に着いている。
「あ、倉持君。ちょっとついてきて呉れ。」
そういうと事務所の席を立って先に廊下へ出て行く。
(また、あの新しい所長室へ連れてゆかれるのだわ・・・。)
そう思った美姫子だったが、断る訳にもゆかない。日本国籍が取得できるまでは何とか我慢を重ねても今の職を失う訳にはゆかないのだと改めて思い直す。
新しい所長室はもうほぼ完成していた。所長用の立派な机は既に搬入されていたが、床には絨毯が敷き詰められ、大型の書棚も据えつけられていた。
「君、パスポートは持っているかね?」
「ええ・・・。」
咄嗟に訊かれて迂闊に答えてしまった美姫子だったが、すぐに拙かったことに気づく。そのパスポートは中国政府から発行された中国国籍のものなのだ。
「あ、でも・・・。取ったのは大分前の事なので、もう失効してしまっている筈です。あの、どうして・・・でしょうか?」
「あ、いや。急に中国に出張して貰うことがあるかもしれないからね。今度、取得しておいてくれないか。」
美姫子は鬼木が「海外に」ではなく具体的に「中国に」と言ったのが気にかかった。しかし自分が中国語担当の通訳として雇われているのだから、大意は無いのだろうと思う事にした。
「それと・・・、昨日は朝礼で理念唱和と天突き体操の音頭取りをしたそうだね。」
「あ、ええ・・・。」
「前向きな姿勢が清々しかったと評判が良かったよ。暫くは君に専任でやって貰うよ。」
前向きな姿勢と言われて、ミニスカートがずり上がるほど腰を落として無様な格好をさせられたのに皮肉を言われたのかと思ったが、恥ずかしさも厭わず男達に露わな格好を見せたのが評価されただけだと思い返す。
「君は言われたことをきちんとこなすので、私も評価しているんだよ。ちょっとそこに立ってみてくれないか。」
そう言って鬼木が指示したのは、何も置かれていない面の壁際だった。
「は、はい・・・。」
不安に思いながらも言われたとおりに壁際に立つ。
「両手を横にだらりと下げて、目を瞑るんだ。いいと言うまで開けちゃいけないよ。」
それを言われたのはもう三回目だった。只では済まないのは判っていながら従うしかなかった。目を瞑って見えないが、鬼木が近づいてくるのが気配で判る。
「何か隠し事をしていないだろうね。私は君が有能だから失いたくはないんだ。あの不細工な派遣社員みたいにはね。」
お尻を触られたと言って騒いで派遣契約を切られた沢海のことを言っているのだとすぐに気づく。隠し事と言われて、国籍のことをすぐに思い出す。
(何とか気づかれる前に日本国籍を取得しなければ・・・。)
そう改めて決意をし直す美姫子だったが、すぐに下半身に異変を感じる。何かが臍の下の下腹部に突き当てられたのだ。弾力があるものの、硬さが感じられる。
(ま、まさか・・・。)
顔のすぐ前に鬼木の吐息を感じるような気がする。すぐ傍に立っているに違いないと思ったが、下腹部に押し当てられたもの以外の感触はない。その硬い塊が更に強く押し当てられる。
「ううっ・・・。」
思わず声が出そうになるのを必死で堪えた。
暫くそのままの姿勢を取らされていたが、やがて目の前で鬼木が大きく息を吐くような音が聞こえた気がした瞬間に、下腹部に押し当てられていた感触が、ふっと無くなった。
「目を開けたまえ。」
少し遠くから聞こえた鬼木の声に、おそるおそる目を開くと鬼木はすでに所長席に腰を下ろしてこちらを見ているのだった。
「君には僕の秘書をして貰う。それから今日から新しく来る派遣女性たちも含めて派遣通訳グループのリーダーとして働いて貰う。いいね。じゃあ、行っていいよ。」
鬼木の言葉に、後ずさりしながら後ろ手でドアノブを捉える。
「し、失礼・・・します。」
ドアがガチャリという音を立てて閉まってから、美姫子は事務所に戻ろうと歩き出してすぐ、さっきまで異変を感じていた下腹部にあたるスカートに薄っすらと何かの沁みが出来ているのに気づく。真っ白な生地のスカートだけに、沁みの痕はくっきりと見えてしまうのだ。
(ど、どうしよう・・・。)
股間に沁みを付けたまま、人前に出る訳にはゆかないと美姫子は思った。ましてや、その日の朝礼で男達の前に立たねばならないのは最早間違いないことなにだった。
「あら、倉持さん。また、そのスカート?」
「ああ、今朝慌てていて珈琲を溢しちゃって。今、洗っているのだけれど他に替えが無くって・・・。」
咄嗟に吐いた嘘だった。鬼木部長に以前に股が裂けてしまったスラックスの代わりに貸して貰ったミニスカートに改造された正規女性社員の制服のスカートだった。
美姫子はそのスカートを鬼木に返そうとした際に鬼木が言った言葉を思い出していた。
(もしもの時の為に・・・。確かそう言った筈だ。)
美姫子は、鬼木がその時既にそういう事をするのを想定していたのではないかとふと思ったのだった。
「そろそろ朝礼が始まる時刻よ。事務所に戻らなくちゃ。」
美姫子が石上智子を促して事務所に二人で入って行くと、前の方に見慣れない女性が三人立っているのが見えた。
「えー、皆さん集まってください。朝礼を始めます。」
大きな声を挙げて皆を集めたのは朝礼の司会をしている鬼木の腹心の部下とも言える磯貝だった。腹心の部下と言えば聞こえはいいが、要は腰巾着と言ったほうが正しい。
「えー、今日から新しいスタッフ三人に入って貰います。先日辞めた沢海さんに代わってキャストサービスから派遣されたスー・中島さん。そしてメイテックスタッフから来て貰った筧美羽子さん。最後はリクルートパートナから来られた三倉菜々子さんです。中島さんは沢海さんに代わってスペイン語圏、筧さんはインドネシア語圏、そして三倉菜々子さんはタイ語圏を担当して頂きます。それじゃ、ひと言ずつ。」
「あ、キャストサービスの中島です。えーと、私はスペイン人と日本人のハーフなので、スペイン語はほぼ母国語です。後は英語も出来ます。よろしくぅ。」
「えっと、メイテックスタッフの筧と言います。インドネシア語を主に担当させて貰うことになっています。」
「あ、私はタイ語を担当する三倉菜々子です。一応、タイ語は話せますが、英語のほうが得意・・・かな? よろしくお願いしまあすぅ。」
中島はちょっとずんぐりした体形で、顔だちは日本人ともスペイン人とも取れるようなエキゾチックな顔立ちと言えた。身体はがっしりしていて、鬼木は後ろから眺めていて、密かに力士という渾名を心の中で名づけていた。
筧は中島より更に背が低く、おかっぱ頭なので、鬼木は金太郎と渾名を名づける。最後の三倉は辞めた沢海に似てひょろっとした居丈高な女で、鬼木は心の中でコケシと名付けていた。
「女性グループのリーダーは前から居る倉持君にやって貰います。それから倉持君には今度この匠の技統括センタの所長となられる鬼木部長の秘書も兼任して貰います。それじゃあ、最後にいつものように理念唱和と天突き体操をやって朝礼を終わります。じゃ、倉持君、よろしく。」
「は、はいっ。」
案の定指名された美姫子は穿き替えた制服のミニスカートで檀上にあがる。美姫子がその朝着てきたミニスカ―トよりかなり短い。檀に足を掛ける時から覗かれないように注意する。
「それでは何時ものように、理念唱和から始めます。あちらの額に掛かっている理念のほうを見ながら、私のあとについて唱和願います。ひとーつ、我々は・・・。」
「ねえ、あの人。いつもあんな格好であんな事してるの?」
新しく入った中島から声を掛けられた石上が後ろの席の中島のほうに向きなおる。
「あんな事って、理念唱和の事?」
「それもだけど、天突き体操の事。スカートからパンツが見えそうだったわよね。」
「ああ、何か今朝がた珈琲を溢しちゃって替えがなくて借りたのに穿き替えたらしいわよ。まあ、それでもミニスカートが多いほうだけど。」
「あれ、わざとよね。だって男性社員は皆、スカートの裾ばかりちらちら見てたわ。そこまでして男の気を惹きたいのかしらね。」
中島の言い方は、明らかに美姫子を侮蔑したものだった。
「なんか部長から何か言われてるみたい。うちの部長、言う事聞かないと怖いって噂だから・・・。」
「ふうん、そうなの?」
その言い方も美姫子の事を小馬鹿にしているのがありありと見て採れた。
「部長に取り入って、リーダーを遣らせて貰ってるって訳ね。」
「さあ、どうなのかしら。」
そんな事を噂されているとも知らない美姫子は一番前の部長に最も近い席で、それでなくてもずり上がってしまう短いスカートの裾を気にして引っ張り降ろしているのだった。
「ねえ、筧さんって言ったかしら。ここ、変な職場ね。あんな体操、毎朝やってるのかしら。私だったら嫌だわ。男の前で檀の上に立って、あんな格好させられたら。」
「あなたは背が高いからね。まあ、目立たないようにせいぜい気を付けることね。まあ、あの倉持ってリーダーが一番目立っているからいいけど。だって、あの胸。見た?あのぴっちぴっちのブラウスだって、わざと胸を強調する為よね。」
そう言われた三倉は背だけは高いものの、胸は昔から洗濯板と呼ばれるほど貧相なので嫌味を言われたのではとちょっと首をすくめるのだった。背が高いだけで胸の起伏がなくストンとした胴なので鬼木にコケシと渾名を付けられているとは思いもしない三倉菜々子だった。
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