06中国人営業李

妄想小説

謎の中国女 李



 二

 その女は突然、影山の元へ電話で面会のアポを頼み込んできたのだった。東都アイピーという名前の会社からだとのことだった。その会社は以前に東京でアイピーフェアというのが行われ、影山がブースを覗いた際にアンケートに応じた会社だった。女は李錦麗(リ・キンレイ)と名乗っていた。明らかに中国訛りで、影山は何度も名前を聞き返さなければならなかった。

 東都アイピーという会社との取引は取り立てて必要とは思われなかったが、中国人営業の女というのがどんなものなのかについては影山も興味を惹かれた。それで面会のアポを受け付けることにしたのだった。

 影山の居る事務所は工場の敷地内でも外れのほうにあった。数年前のリストラによって全部のフロアが埋まっていた状態から、どんどん組織が縮小、統合されていって、撤去を繰り返した結果、今では影山の居る10名ほどの組織の他は、普段から外回りが多く、不在が多い関係会社が事務所を残しているのみである。それでなくても工場敷地の隅っこにあって閑散としているのに加え、ひと気が一段と無くなって寂しいくらいの場所である。

 一度目の訪問の際に初めてみた中国人、李は、如何にも日本に来たばかりという風情で、片言の日本語も訛りがきつく、聞き取りにくかった。小柄で朴訥な女事務員という感じで、リクルートスーツ風の黒のツーピースに真っ白のブラウスを合わせた格好は野暮ったさばかりが目立っていた。中国関係の情報をいろいろ持ってきて、それなりに参考にはなったが、ビジネス上の付き合いは当分出来そうもないと丁重に断って帰したのだった。

 二度目の訪問を受ける際にも、同じ様なことを言って断ろうとしたが、会うだけでも会ってほしいとしきりに粘られて、話を聞くだけならと折れて会うことにしたのだった。新規開拓の営業にあちこちの会社を廻っているらしく、アポを取り付ける数だけでもノルマがある風に感じられたからだった。

 午後一番という約束で会うことにしていた昼休み、弁当を食べながら、窓の外に見慣れない服装の女性が横切ったのが影山の視線にとまった。二階にある影山の席の真正面の窓からは、一段高くなった工場敷地にある古い建屋の壁が見えるほかは、少し離れたところにその一段高い場所から影山の居る建屋のほうへ降りてくる外階段の端が見えるのみである。女はその外階段を降りてきたようで、すぐに姿が見えなくなった。

 昼休みが終ったところで、影山に面会に来たという電話が取り次がれた。建物の玄関前に来ているという。それで、慌てて一階の玄関におりてみる。が、そこには誰の姿もなかった。不審に思った影山は外へ出てみるが、戸外にも人影は見当たらない。もしやと思った影山は、影山等が入っている建屋のひとつ手前にもう一棟建っている別の事務所建屋のほうへ向ってみた。玄関のガラス越しに人影が動くのが見える。次第に近づいていくと、黒っぽい服を着た女性が、しきりに建物の内部のほうを窺がっている様子が見て取れた。
 (ははん、建屋を間違えたのだな。)
 そう思って、影山が玄関を入り、背を向けていた黒いスーツの女に声をかけると、案の定、アポを取ってやってきた中国人の李だった。その時、さきほどの昼休みにちらっとだけ見かけた姿は、李だったのに違いないと気づいたのだった。
 「建屋を間違えられたのですね。うちは隣の建屋です。さあ、こちらへ。」
 影山が先に立って案内し、予約を取っておいた会議室へ李を導く。近づいてくる夏を予感させるような五月の日差しの強い日だった。さっきまで着ていたと思われる黒のスーツの上着を小脇に抱え、襟のあたりに吹き出してくる汗をハンカチでしきりに拭っていた。

 その日の面談も小一時間で終った。それほど興味のある話はあまりなかった。影山は他のメンバーにも逢わせると、いよいよ断りにくくなって面倒になると思い、面会は自分一人だけにすることにしていた。そのせいで、事務所の隣にある会議室に男女ふたりだけで一緒になることになる。しかし中国人女性はそんなことは一向に気にしていないようだった。影山は女の説明にもうわの空で、相変わらず垢抜けない、しかし妙に人懐っこい感じのする娘の顔を何気なく見守っていた。一生懸命で真面目そうではあるが、そんな表情のどこかに何故か狡賢そうなものが見え隠れするのが不思議だったのだ。

 話が終ると、会議室の外で李は「それじゃあ、ここでいいですから。後はもう判りますから。」というのでそこで別れたのだった。しかし何となく気になるところがあったので、影山は階段脇の窓のところから階下の道路のほうを何気なく見下ろしていた。直に李が通り過ぎる筈だった。しかし、待てども待てども李は姿をみせない。そおっと階段を降りていってみると、今しも玄関を出たばかりの黒いスーツの後姿が見えた。
 (トイレにでも行っていたのかな。)
 そう思いながら再び階段を上がり、さきほど見ていた窓のところへ立ってみる。そこには李の姿は無かった。暫く何気なく立ってみていた。(もう歩き去ってしまったか)と思いかけたその時、突然、隣の建屋から出てくる李の姿を認めたのだった。
 以前にも自分を訪ねてきた女が、建屋を間違えるのも変に思われた。昼休みに女が降りてきた外階段も、会社の正門とは遠い側からの道沿いにあるものだった。
 (何か変だな。)影山はその時は女の行動を少し不審に思ったぐらいだったのだ。



 「この建屋はやけに静かでしょう。前回来られた時の建屋よりももっと人が少ないんです。というか、ほとんどこの建屋は今は倉庫としてしか使われてないみたいなものなんですよ。済みませんね。いつもの会議室は別件で予約が取られちゃっていて、ここしか空いてなかったんです。」
 「いえ、こつぃらこそ、いつも突然のお伺いになてしまって・・・。どもありがと、ございます。」
 相変わらず、たどたどしい日本語だが、来る度に少しずつうまくなってきているのを影山も感じ取っていた。
 「ここなんか、かなり重要な書類とか置いてあるらしいんですが、結構無用心でね。施錠もいい加減だし。まあ、私の部署の書庫ではないんで、いいんですが、ははは。」
 「セキュリテーとか、うるさいぐらいの会社もごぜーますですけども。御社は堅苦しくなくて、それもいいです。」
 「セキュリティですか。まあ我が社には無縁のものですねえ。ははは。」
 影山はそう言った瞬間に李の目がキラッと光ったように感じられたのを見逃さなかった。

 「じゃあ、ここでもお、いですから。後は、自分で帰れます。」
 「そうですか。じゃあ、ここで。私はあちらの建屋に戻りますので。」
 そう言って別れたのだった。3回目の会談だった。一旦、別れてわざと振り向かずに影山の事務所のある建屋まで戻る。その後、そこからこっそり張っていて、一旦は帰りかけた筈の李が、再び同じ建屋にこっそり戻ってきて忍び込む姿を認め、中へ追い掛けていいって現場を抑えたのだった。



01李錦華

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