妄想小説
謎の中国女 李
十九
「ナツミさん。私、セクハラ受けてます。どうしたらいいてしょうか。」
次の日、夏美は昼休みに李の訪問を受けていた。
「セ、セクハラって・・・。どう言う事?」
夏美は内心、李がこれから言わんとしていることを薄々想像出来ていたが、顔色に出ないようにするのに必死だった。
「拾ったパンティを私が穿いていたものだと言うのてす。私、否定しました。ほんとに違うんてす。ても、あの人、信じてません。時々、嫌らしそうな目で私、見てます。またパンティ脱いでノーパンで居るのではないかとおもて、こっそり私のこと見てます。」
夏美はどきっとした。今朝もパソコン画面から命令が来て、今将に夏美がノーパンを命じられていたのだ。朝まで穿いてきていたショーツは目の前の抽斗の中にあった。
「李ちゃん。貴方のじゃないって、きっぱり言ってあるのなら、毅然としていることよ。そのうちに、相手もやっぱり違うのかと思う筈よ。もしかしたら、李ちゃんが気にし過ぎていて、そんな目で見られているような気がしてるだけかも。とにかく、知らん顔してれば平気だから。」
「そうてすか・・・。」
李は一瞬、夏美の瞳の中に真実を窺うようにじっと見つめてきた。
「ナツミさんは、ノーパンで居るように命じられた時は、平気だたのてすか。」
李の表情は真剣そうだった。夏美は答えに窮してしまう。夏美は今にも李が、(あのパンティは夏美さんのだったのではないですか。)と言い出すのではないかと冷や冷やしていた。夏美には否定し続けられるか自信もなかった。
「私のことは、私の問題だから・・・。そのことは口にしないで。」
「えっ・・・。わかりました。ごめなさい。」
きっぱり言い切った夏美の語気に、李はひるんでしまったが、悪びれずに上目遣いで見詰める李の表情には、疑惑の眼差しが含まれているように思えてならないのだった。
「昨日、ナツミさん。私たちの事務所の建屋、来てませんよね。」
「えっ・・・。」
(何と答えよう・・・。)
夏美は頭をフル回転させて言い訳を考える。
「行こうと思ったんだけど、事業部長に引き止められちゃって、行けなかったの。」
「それ、違う日じゃありませんか。私、昨日、5時半にナツミさん訪ねて、ここ来ました。ても、その時、事業部長さんにみつかて、いろいろ訊かれたりしたのてす。私の方が昨日、事業部長さんにつかまってました・・・。」
「あっ、そうだわ。いけない。そうね。昨日じゃなかった。・・・。昨日は私具合が悪かったので、すぐに帰ったんだったわ。」
「そてすか。そ、てすよね、。昨日はとても、顔色、悪かったてす。」
李はそれで納得した様子で、夏美は安堵に胸を撫で下ろす。
「ても、あの人はまだ、下着落としたのは私で、私が穿いてたパンツだと思い込んでいます。私、悔してす。実は、私、スカート捲くって、ちゃんとパンツ穿いてるとこ、見せました。それなのに、それは替えを穿いたんだろと言われました。」
「大丈夫。毅然としていることよ。」
「あの人、夜、遅くに、その下着、出して匂い嗅いでいるみたいです。やぱり、お前の匂いがする気がするとも言われました。」
夏美は影山が自分のショーツを裏返して鼻につけて嗅いでいるところを思い出していた。その時、夏美は何としてでもあれを取り返さねばと決心したのだった。
「李ちゃん。その人、そんなもの、何処にしまっているの。」
「机の抽斗に鍵を掛けてしまています。私、観ました。」
「そう・・・。」
(やはり、あそこにしまっているのか。)夏美は扉の隙間から垣間見た光景を思い返していた。(何としてでも、取り返さなければ・・・。)夏美は再び心の奥で決意を固めるのだった。
会社じゅうの鍵は総務の知り合いで、元秘書をやっていた甘利洋子がスペアを管理しているのを夏美は以前に事業部長に頼まれて失くした鍵を再生するので、知ったのだった。事業部長が失くしたのでと言えば、本来は貸し出し簿に記さなければならないのも免れることが出来ると実体験で知っていた。洋子に話して、ちょっと鍵を借りるからといえば何も怪しまれないで手に入れることが出来たのだ。
李にはその日は実家の親が来るので、どうしても外せない用があるのだと言っておいた。その上で、暗くなるのを待ったのだった。派遣社員の李を含めて一般の社員は定時後の30分後には全て居なくなる。管理職の影山でも残っていたとしても1時間が精一杯の筈だった。その頃には暗くなってくるので、明かりで誰も居ないかどうかが確認できた。
夏美は洋子から研究棟と呼ばれている影山等が今使っている建物の元電源が何処にあるのかも聞きこんでいた。総務という仕事柄、その手の情報に洋子は詳しく、それをさり気なく聞き出しても何も怪しまれなかった。
研究棟の明かりが全て落ちているのを確認してから、念の為に夏美は忍び込んでから一階の廊下の男子トイレの反対側にあるという、電源制御盤のブレーカーを落として、建物全体の電気が点かないようにしておく。暗い中をペンライト一本を頼りに影山の事務所を目指して、上がっていった。ペンライトも確認の為に時々点けるだけにして、殆どは真っ暗な中を手探りで進んでいった。影山の机に辿り着くのにさほど苦労はなかった。
手探りで机の抽斗を探り当てると、ポケットから小さなスペアキーを取り出す。カチリと音がして、ロックが外れた。手を伸ばして、シルキーなその感触を確かめてから、ペンライトを一瞬だけ点けて、所望のものであるかどうかを確認する。
漸く取り戻した自分のショーツをしっかりと手のひらの中に握り締め、抽斗を閉めようとした時だった。ガタンと小さな音がして、人の気配を感じた。
「誰だ、そこに居るのは。」
影山の声だった。慌てて、夏美はペンライトを消して身を竦める。
カチンと音がした。影山が事務所の照明のスイッチを入れたらしかった。しかし、あらかじめ元電源を切ってあるので、明かりは点かない。
「畜生、元を切りやがったな。そこに居るのは分かっているんだ。李なんだろ。やっぱり取り返しに来たんだな。」
夏美は慌てた。しかし、下手に身動きすれば、居場所を気取られてしまう。影山は手探りで近づき始めていた。夏美も音を立てないように注意しながら這うように影山の気配がするのと逆の方からそっと出口へ向かう。その時だった。不用意に伸ばした手がプラスチックのゴミ箱に当たって倒してしまったのだ。カランと軽い音が静まり返った闇の中に、不必要なほど響き渡ってしまった。
「そっちか。」
影山が手探りしながら走りよってくる。夏美も半身を起こして出口目掛けて走りだす。ドシーンと大きな音を立てて、夏美は壁に激突してしまった。その衝撃で床に転げ込んでしまう。しかし、すぐに立ち上がろうと手を突いた時、足首が男の手にしっかりつかまれてしまった。
「逃がさんぞ。」
夏美は声を立てることも出来なかった。必死でもがいたが、男の手に適う筈もなかった。すぐに引き寄せられ、背中から掴みかかられてしまう。影山は背後から夏美の両腕に手を回して羽交い絞めにする。夏美は何とか影山から身を振り解こうとするが、影山の腕がしっかりと肩に食い込んでどうにもならない。真っ暗闇だが、普段から居る影山のほうが、土地勘があって、何処に何があるかしっかり判っているようだった。夏美は羽交い絞めにされたまま、部屋の隅へと押しやられてゆく。壁際まで来たところで、影山は夏美の肩から腕を放し、床に押し倒す。夏美はもんどりうって床に転び、立ち上がろうとしたところで影山が背中に馬乗りになってきて、身動き出来なくなる。その夏美の腕が影山に捉えられ、背中に捩じ上げられた。そして影山が探り寄せたらしい、梱包用の麻紐を手首にぐるぐる巻きつけられてしまう。夏美が両手を後ろ手に縛り上げられてしまうのはあっと言う間のことだった。影山はその紐の端をどこか近くの柱に括り付けたようだった。
「待ってろ。今、下へ行って元電源を入れてくるからな。」
影山の手が離れて、壁を伝いながら出口へ向かうのが夏美にも分かった。そのすぐ後、階下へ降りて行く影山の足音が真っ暗闇の事務所の中にも響いてきていた。
最早絶対絶命だった。何とか逃げ出そうともがく夏美だったが、影山が縛り上げた麻紐がきつく夏美の手首に食い込むばかりだった。
その時、ペンライトが遠くで点くのが分かった。
(まだ、誰か居る・・・。)
しかし夏美は縛られてうつ伏せに寝かされていて、自由が利かない。ペンライトを点けた何者かは机の中を何やら漁っている。と思う間もなく、床に転ばされた夏美の傍へやってきた。
シャキーンと音がしたと思ったら、麻紐で夏美の身体を柱に繋いでいたところが鋏で切り落とされたらしかった。
「ナツミさん・・・。」
聞き覚えのある声で、すぐに李だと分かった。李は夏美を肩で抱くように引き起こすと立ち上がるのに手をかして、そのまま夏美を導いていく。李も普段この部屋を使っているので勝手が分かっているようだった。夏美は両手を麻紐で縛られたままだったが、それを解いている暇は無かった。
李が夏美を導いたのは、非常階段へ繋がる非常口のようだった。遠くに常夜灯があるので、外のほうがまだ少し明るく、闇の中に非常階段がぼおっと白く浮き出ているのが分かった。李に支えられながら、夏美は何とか非常階段を駆け下りると、李が導くまま、建屋の裏手へ出て、工場の敷地の塀沿いに一目散に走っていった。
夏美が連れ込まれたのは古い倉庫のようなプレハブの建物だった。
「ここに隠れていてくたさい。」
李はそう言うと、両手を縛られたままの夏美を残して、音を立てないように扉を閉めるとどこかへ走り去ってしまう。
「李ちゃん・・・。」
突然起こった出来事に、夏美は呆然としてしまっていた。少し気分が落ち着いてきて、漸く、まだ手のひらの中に取り返したショーツを握り締めていたことにやっと気づいたのだった。
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