
凋落美人ゴルファーへの落とし穴
第三部
五十
男はヨンを吹き抜けの通路際に立たせて、行きつけの店に行く振りをしてこっそり階段で階下に降りて下から晒し物にしたヨンの姿を窺っていたのだった。それはパーティ会場を出る際にリ・ジウからヨンを出来るだけ辱めるように言われていたことを実行しただけのことだった。
漸く戻ってきた男にヨンは懇願するように頼み込む。
「ねえ、タクシーに乗る訳にはゆかないかしら。お金だったら、家に着いた後お支払いするから。」
「何だい。タクシーの方が良かったのか? じゃ、いいぜ。タクシー券、貰ってるからな。」
(え、タクシー券・・・。貰っているなら最初からタクシーにして欲しかったわ。)
そう思ったヨンだったが、自分一人では帰ることが出来ない立場では抗議することも出来ない。
デパートを出たところで男は流しのタクシーを見つけて手を挙げる。
「お前のマンションはY市の元町だったな。そこまで付き合う訳にはゆかないから俺は途中で先に降ろさせて貰うぜ。タクシー券はお前に渡しておくからそれで精算しな。運転手さん、その先の駅前のロータリーで俺だけ降りるから停めてくれ。」
そう言うと男は財布から取り出したタクシー券をヨンに渡す。
「おっと、そうだった。もう上着とサングラスは返して貰おうか。」
ヨンは受け取ったタクシー券を膝の上に置いた化粧ポーチの中にしまってから、狭い後部座席の中で何とか男から借りたジャケットを脱ぎ取る。サングラスを取ると運転手にばれてしまうのは諦めざるを得なかった。
タクシーがすぐ近くの駅のロータリーに入ると運転手は車を停めて男を降車させる。車から降りた男は運転席側にぐるっと回るとガラスをコンコンと叩いて顎で運転手に外に出るように指示する。
運転手は一旦車を降りると男が小声で耳打ちするのを聴いて時々頷いている。一人車内に残されたヨンは、自分のマンションへの道筋を説明しているのだと思い込んでいた。しかし男が運転手に耳打ちしていたのはヨンが思ってもいないことだった。
やがて話を終えた男は手を挙げてヨンのほうに合図するとくるりと背を向けて去っていってしまう。運転席に戻ってきた運転手はヨンの方に訊ねる。
「今降りられたお客さんからタクシー券を預かってましたよね。ちょっとそれを見せて頂けますか。」
「あ、ええ。はいっ・・・。」
何気なく膝の上からポーチを取り上げて中からタクシー券を出そうとしたヨンは運転手の視線が自分のスカートの裾の奥に注がれているのに気づいて慌てて膝に片手を置いて隠す。
「あ、あの・・・。これですけれど。」
「ああ、はいっ。あの、済みませんが端っこの方でいいですからサインをして置いてくれませんか。会社の決まりで確かにお客さんが使ったと言う証明が要るんです。」
そう言って運転手はボールペンを手渡してくる。ヨンは偽名を使うまでもないとすらすらっとサインをしてタクシー券を手渡す。
「あ、やっぱりヨン・クネさんですね。最初は分からなかったですけど、上着を脱いでウェア姿を見た時すぐ気づいたんです。私、これでもゴルフ中継番組は結構観ているので。」
「そ、そうですか・・・。」
(やはり気づかれてしまった・・・。)
そう思ったヨンだったが、サングラスも外して素顔を晒してしまったのでは気づかれても仕方なかった。
「じゃ、出発します。Y市の元町のマンションでしたよね?」
「ええ、グランドハイランドマンションというところです。」
「ああ、分かりますよ。あ、ただ・・・。今、あの近くは工事中で通れない場所があるので、ちょっと迂回して遠回りさせて貰いますが、いいですよね?」
「あ、ええ。おまかせしますわ。私、いつもタクシーか会社の車での移動なので道はあまり詳しくないのです。」

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