妄想小説
牝豚狩り
第一章 女捜査官の危機
その9
三人の客からは、感嘆の溜息が洩れていた。それと同時に、獲物をハンティングすることへの闘士に掻き立てられたようだった。
「畜生、この野郎、もう許さないぞ。」
冴子に再び飛びかかろうとするジャックの動きをみて、サングラスの男がキングに合図してジャックを止めさせた。
「クィーン。牝豚の首の縄を解いてやれ。」
クィーンと呼びかけられた中背の男はこわごわと冴子に近寄っていき、震える手で首輪に回したロープの端を解いた。
「今の試技でどれだけ注意が必要か、よくご理解いただけたと思います。こちらに用意しました道具は、獲物を安全に捕獲する為に必ずや必要になるものばかりです。よくお選びになって、獲物を追ってください。
それでは早速、ゲームを開始することに致します。獲物が走り出した5分後に合図のピストルを鳴らしますので、ご用意ください。」
客らしき男たちは、一斉にテーブルの武器を選び始めた。冴子は、不敵な笑みを浮かべているサングラスの男の隠された視線を一瞬だけ睨んでから、山の奥になるらしい坂道に向って、よろけながら走り出した。
道は幾つかに分れて続いていたが、どちらがより安全なのかを吟味している余裕はなかった。とにかく手近な道を全速力で走り抜けた。
普段の脚力の冴子であれば、男達がそう易々とは追いつけないスピードで駆け上がっていくことが出来たかもしれなかった。が、一晩じゅう脚を開いた無理な姿勢を強いられていたのと、さっき果たしたばかりのジャックとの格闘での疲れが、いつもの全速力を出させてはくれなかった。坂を昇り詰めて、峠を越して坂を降り始めたところで背後にピストルの鳴る音を聞いた。それが競馬馬のサラブレッドに打ち下ろされる鞭のように冴子の脚を更に駆った。武器を持って追ってくるハンター達の恐怖が疲労困憊の獲物、牝豚の烙印を押された冴子を鞭打ったのだった。
走り続けながらも、冴子は身を隠す場所を捜し求めていた。このまま只逃げていても体力を消耗するだけだし、やがては追いつかれてしまうだけだ。しかも走り続けた先が袋小路になっていたり、崖っ縁に辿り着いてしまったら万事休すである。とにかく身を隠すところに逃げ込みやり過ごしながら体力の回復を待たねば勝機は望めないと本能的に感じていた。しかし両手の自由が効かないまま、崖下へ滑り込むのは滑落の危険が大きく、身動きできなくなったところを発見されてしまう怖れもあった。上へ登るほうが滑落の危険は少ないものの、手でよじ登るのとは違って、道の無いところは時間が掛かって姿を隠す前に発見されてしまう危険もあった。
走り続けながら隠れ場所を捜し求めているところで分れ道に出くわした。道標らしき木の板が立っていたが、読み取れないほど朽ち果てている。冴子は一か八かの賭けに出ることにした。その分れ道を隔てている一本の木の裏に周りこむことにしたのだ。その為には、それほど高くはないが崖を樹の根を伝ってよじ登らねばならない。冴子は三重の手錠で頑丈に拘束された背中で木の根を手探りで掴みながらよじ登ることにした。背面で見えないところを探るので、思うようにはなかなか行かない。手錠は背中で首輪とも繋げられているせいで、動かせる範囲は限られている。それでも行くしかなかった。捕えられればどんな陵辱が待っているか判らないのだ。
見えないブッシュや木の尖った枝先は容赦なく冴子の剥き出しの膚を傷つけた。膝の少し上から下側は頑丈な革のブーツに守られている。しかし、スカートが蔽ってくれている太腿は極僅かしかない。上半身の方は剥き出し部分は乳房のみなのでその分は助かっていた。
何とか必死で崖の上まで木の根と枝を頼りによじ登るとその木の裏手に廻り笹の葉の陰に身を潜めることに成功した。木陰から敵を窺うことも出来ない。ただただ、ひたすらに身を縮めて少しでも見えにくくするしかなかった。今屈んでいる状態で、下の路から自分の姿の一部が覗いていないかどうか、確かめる術もない。見えないことを祈るしかなかった。
ブッシュの中で、息を整えながら、冴子はこれまで走ってきた道程を反芻していた。幾ら必死で走ったとは言え、自分の通ってきた場所は記憶に残すのも訓練ならではのものだ。分れ道は全部で三つあった。
(追っ手は全て同じ道を取るとは思われない。むしろ同時にスタートしている筈だから、別々の道を普通は取るだろう。後から追いかけたのでは、見つけても捕える権利がないとルールを説明していた。となると、この場所には確率的には一人がやってくる可能性が五割だ。ただし、この手の林道は中で繋がっていて、ループになっているケースが多い。元々が森林管理の為の道で、点検の為にぐるっと廻って帰ってこれるように設計してあることが多い。となると、時間を置くと反対側からやってくる可能性も高い。)
冴子の頭は徹夜でぼんやりはしているが、それでもサバイバルの為の危険回避本能が頭脳を目まぐるしく回転させていた。
冴子が走り始めてからおよそ五分後に追っ手は出ている筈で、脚力の弱った自分と体力を温存してきた彼等とでは、スピードはさほど変わらない筈と考えた。
冴子が、来るならもうだろうと思った丁度その頃合いに、林道に敷き詰められている枯葉を踏みしめながら走ってくる足音を聞いた。サッ、サッ、サッとリズミカルに踏み出す足音は、普段からランニングを鍛えている者のものだ。
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