トンネルあと一歩

妄想小説

牝豚狩り



第一章 女捜査官の危機

  その19


 気分の悪くなる事件だった。三日間の拉致と、一昼夜に亘る逃亡と戦闘の果てに疲れきって事務所に戻った冴子に、いつもの元気が戻るのは一週間以上が必要だった。
 勿論、体力的な回復は、それなりの訓練を受けているおかげで、三日と掛からない。冴子の元気をなくさせているものは、自分が担わされた役割と同じ扱いを受けたであろう、過去の獲物役にされた筈の女性たちの消息であった。それを辿る確実な手掛かりは何もなかった。
 上司や事務所の連中は、冴子の話を聞いてくれた。が、どこまで真に受けたかは怪しいものを感じていた。何と言っても荒唐無稽な話ではあり、冴子の供述以外に物証はない。「お客」と呼ばれていたうちの「実業家」以外は割りとすんなり身元が割り出せた。やはり、「医者」は医者で、「政治家」は政治家だった。政治家は数は少ないとは言えないが、虱潰しで調べがつかないほどではない。極最近、消息を断ったという限定で、簡単に身元が割り出せた。
 医者のほうは、捜索願いが親から出されていたことで判明した。が、そこまでだった。実業家となると、それだけの情報で見つけ出すのは、一般人の行方不明者から探し出すのとそうは変わらない。活躍している実業家には、普段から個人的に行動している者も少なくない。必ずしも側近の者からすぐに捜索願いが出されるとは期待できない。この手の一攫千金の商売をしているものは秘密裏に行動していることが多いということもあった。
 身元が判明した二人は、すぐに秘密裏に家宅捜査がなされ、個人が使っていたと思われるパソコン、その交信ログのデータなどが押収された。連絡を取っていた節がある怪しげな名称のサイトは、すでに全て消滅していた。携帯電話の交信記録上でも、身元がはっきりしないものは全て解約されたプリペイド式の追跡不可能なものだった。銀行口座の振込み記録も調べられたが、数種類の口座に振り込まれた決して少なくない額の振込み先はすべて架空名義で振込み人本人の手によって作成されたものだった。客のほうで口座を作成し、カードを首謀者に渡していた節がある。振込金は即日、人通りの少ない街のキャッシュディスペンサーで引き下ろされており、監視カメラの引き出し時の映像はすべてその時間だけカメラの目が塞がれたようになっていた。
 つまり、殺された男達と、あのイベントを主催した首謀者、殺された手下は別として、個人なのかチームなのかもはっきりしないが、すくなくとも六人を殺害した犯人、もしくは犯人グループとを繋ぐ接点は全て断ち切られていたのだった。
 「お客」ではない、殺された首謀者の協力者は、皆何等かの前科記録があったが、罪状はごく詰まらない、ありふれたものばかりだった。今回の犯行に繋がるような事項は何も出てこない。社会復帰してもまともな定職につくことが出来ず、街を徘徊している折に、「金儲けのいい話があるが、乗らないか。」と誘われて、導かれるままに犯行に手を染めてしまうような奴等ばかりだった。
 元棲んでいた筈のアパートは綺麗さっぱり引き払われていて、繋がりを示すような足がかりは何も残されていなかった。
 身元の割れた二人の「お客」からは、殺人についての「捜査依頼」は取り下げられた。一旦は「捜索願い」を出していた医者の親からも、事情を聴くなり、これ以上の捜査は不要と門戸を閉ざされてしまったのだ。捜査要請のない犯罪は、六人の惨殺といういまわしい殺人事件であっても、大規模な捜査本部は作り難い。それまでに繰り広げられたものは、ひとりの警察官の証言でしか窺い知ることは出来ず、その恐怖体験も、受けた捜査官以外には想像上のものでしかない。
 捜査要請を取り下げた二人の身元の割れた男の周りの者たちは、これ以上、どんな余罪が出てくるか判らないと考えたのだろう。本人が死んでしまった以上、それより先に掘り下げてみたところで、いいことがある訳がないし、殺されたことに対する怒りも浮かびにくい事情にはあった。
 結局、特殊捜査官の極内輪で、一週間の特別捜査本部が許されただけで、捜査に何の進展もなく、捜査は打ち切られてしまった。それが、冴子を憂鬱にしている一番の原因であった。
 特殊な任務の特別捜査官は、忙しい時と、仕事の無い時との落差が激しい。特殊な任務そのものがコンスタントな量で起きることを期待する訳には勿論行かないし、いざ起こってしまえば、待ってくれという訳にも行かない。
 目下のところ、テロ事件も国家的要人の来訪もなく、日々、訓練と待機のある意味退屈な時間がだらだら過ぎるしかなかった。そんな時間を使って、冴子は独り自分に出来るだけの力で、事件の解明に乗り出すことを密かに決意していた。勿論、上司もそのことを薄々知っていたが、事が事だけに黙認していた。
 冴子に唯一残された手掛かりは、女刑事のエリート中のエリートである自分にまで辿り着いたという事実のみだった。それは、その前までには、何人もの女性警察官で試しているということを暗示しているようにも思われた。
 尤も、あのサングラスの男と、冴子が出会ったのは偶然に違いない。特殊警察官の身元がそう簡単に一般人に漏れるということは考えられないし、だとすると、最初からそういう者だと知っていて、後をつけられたとは考えにくい。
 ただ単に、街で強そうな女を漁っていただけで、偶々特殊捜査官である自分に行き当たったというのかもしれなかった。
 (しかし・・・)
 冴子には心に引っ掛かるものがあった。狩猟ゲームを始める前に、サングラスの男が客たちに説明していた口上が気になったのだ。
 あの時、三日間の監禁の間に、冴子の身上はいろいろ調べられたに違いない。そして「特殊捜査官」という身分を調べ上げたのだ。はっきりそう言った。その上で、「今回は、これまでと違って極上の獲物を・・・」というようなことを喋っていた。一言、一句憶えている訳ではないが、あの時の口調が、(並みの女性警察官ぐらいではない)と語っていたような気がしてならないのだ。
 非番の時に、友人の婦警に頼み込んで、全国の警察官で行方不明になっているものが居ないか調べてもらった。結果は一般の失踪人ほどではないが、居ないことはないことが判った。大抵は何らかの事件に巻き込まれて、殺害後死体で発見されているが、未解決のままの者も皆無ではない。場所は全国、てんでんばらばらで、とても冴子が非番の日に独りだけで調べ上げられる規模ではなかった。
 もっとも手掛かりがありそうなのが、あの「医者」と呼ばれていた男が、何処でどういう風にしてあの「牝豚狩りイベント」の首謀者と接触したかを調べることだったが、殺害されその遺族が捜査を望まない以上、手の出しようがなかった。
 勿論、冴子を襲ったという意味では、傷害罪、強姦罪が成立し、現行犯でもある。しかし、それも生きていればのことであって、今となっては殺人の被害者である。殺人の被害者を、その遺族が望まないのに、過去の傷害未遂事件で調べるというのは、法規には適っていても道義的には実行しにくい。ましてや、残された遺族は望んでいないのだ。
 一番良いのが、生きた被害者を見つけることだ。あの恐怖の体験者を見つけ出し、捜査依頼人になってもらうのが、捜査を続行する一番よい動機付けになる。しかし、それは適わなかった。

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