トンネルあと一歩

妄想小説

牝豚狩り



第一章 女捜査官の危機

  その18


 冴子の目の前には、小男が虫の息で倒れていた。夜が明け始めて、少しずつ小男の顔の輪郭が見え始めた。額からは血を流している。
 冴子は小男が動けそうもないのを確認してから、車のほうを観に行った。ドアが激突の衝撃で開いていた。中でクィーンと呼ばれた男がぐったり倒れこんでいる。フロントガラスに頭をぶつけているらしい。こちらも殆ど虫の息だった。
 冴子はクィーンの片手首と車のハンドルを手錠で繋いだ。既にタイヤは完全に片側パンク状態で走れる状態にない。それから小男を車のほうまで牽いてきて、こちらも片手首とドアハンドルを繋いだ。空はどんどん白んできていた。
 冴子は里に向って急いだ。すっかり明るくなりかけている。サングラスの男がもう直やってくる筈だ。おそらく、牝豚狩りに使ったような、擬似的な武器ではなく、本物のライフルなどを持っている可能性も高いと思っていた。まともに戦って勝てるとは思っていなかった。
 (援軍を頼まなくては・・・。)
 冴子はそう思った。
 目の前にトンネルが見えてきた。ぽっかりあいたうつろな目のように真っ暗な穴のずっと奥に小さな光が見える。向こう側まではかなり距離がある。冴子は後ろを振り返ってみる。極普通の山奥の風景だが、今の冴子にはおぞましい地獄のように見えた。
 冴子は真っ暗闇の向こうの小さな明かり目がけてトンネルに走りこんだ。
 やっと見つけた山村たった一軒のコンビニで受話器をおいた冴子はやっとふっと息をついた。店番をしていた、土地の人らしいおばあさんが、冴子の異様な格好を訝しげに眺めている。股下ぎりぎりまでしかない革のミニスカートと、膝上まであるこれまた革のロングブーツは泥だらけだ。そのミニスカートとブーツの間の生脚はあちこち傷だらけで血が滲んでいる。上に羽織っているのは、戦争映画でみるような迷彩服だ。それもちゃんと着ているのではなく肩から羽織っているだけだ。胸元を絞っていたが、ちらっとその下に白い乳房が覗くのが垣間見られた。
 冴子は上司に連絡を取った。三日間行方不明だった冴子を、特殊捜査官チームのほうでも探し回っていたようだ。詳しい事情は後で説明するからといって、山林に残してきた三人の主催者側、三人の客側の状況と、場所だけ簡単に説明し、仲間の派遣を要請した。
 冴子が拉致され、監禁された後、狩猟ゲームの獲物として放たれた経緯については、あまり言及しなかった。すぐに信じてもらえる話とは思えなかったし、説明が長くなりそうだったからだ。まずは現状を確認してもらうのが先決だと冴子は判断したのだ。
 受話器を置いた冴子は、あの林道から逃げ出してきた時のことを思い出していた。
 林道へ続く、長いトンネルは、その実際の距離の何倍にも感じられた。敵は当面全ては倒したと思った後なのに、逆にそれまでより暗闇の恐怖が感じられた。敵が居るという緊張感が恐怖心を抑えていたのだろうと思う。その時の冴子は、何よりも、この暗いトンネルを早く抜け出したかった。そうでないと、再び二度と明るい世界へ出ることが出来なくなってしまうかのように思われたのだ。
 トンネルを出た景色はトンネルの向こうと大して変わらない筈だ。それなのに、何故か明るさが違ってみえた。変なおどろおどろしさは消えてなくなっていた。さっきまでは一切聞こえていなかった鳥の囀りが、今はうるさいように聞こえてくる。
 そして、山道を三〇分ほど降りて、人家のある里へおり、車の行き交う道路にでてやっとコンビニを見つけたのだった。電話口で、なかなか事情の呑み込めない上司に向って状況を説明している間に、コンビニの横をワゴン車がすり抜けたのには冴子も気づかなかった。
 やってきた援護の車の一台に乗り込んで里に待機し、仲間から連絡を受けたのは、その一時間後だった。三人の客も、ジープに繋がれた二人の男も、そして崖下に転落した大男も全て既に息絶えているという報告だった。死因は、すべて鋭利な刃物による殺傷だった。明らかに、あの首謀者に違いない、サングラスの男を辿る道筋を全て断つための後始末をされてしまったのだった。

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