見下ろす林道

妄想小説

牝豚狩り



第一章 女捜査官の危機

  その16


 気づけば、とっぷり日が暮れていて、辺りは真っ暗な闇に包まれている。日中は晴れていたが、夕刻を過ぎて雲が出てきていた。今夜は満月なのだが、雲の切れ間から顔をださなければ、月明かりは望めない。それを上手く利用しなければならない。
 冴子は行動を開始した。闇に夜目が慣れてくるのを待っていた。ぼんやりとだが、山の稜線は窺える。満月に近い月は時刻からして、天頂近くにある筈だが、いまは厚い雲の向こう側だ。
 林道脇の藪から音を立てないようにして忍び出ると、この狩りの最初の出発点を目指した。そこが、最後のハンターに遭遇出来る最も可能性の高い場所だと確信していたからだ。
 夕刻前にしとめた「医者」の男から、ズボンとジャケットを脱がせて、上に纏っていた。冴子が着せられていた黒いレザーの上下は乳房と太腿の大部分が丸出しで、ブッシュで傷つくのを避ける為もあったが、月明かりが出ると、白い肌が光って見えやすくなってしまう為だ。
 客の男達が纏っていた暗い色の迷彩服は、夜の闇には溶け込んでしまう。冴子は「医者」の目無し帽も奪い取って被ることにした。冴子は闇に紛れて、着実に冴子が受けた首吊りの刑場へ近づいていった。
 その場所が見下ろせる筈の峠に近づいた時だった。ほんの微かだが、人の気配を感じた。音がした訳でもない。長年の経験が為せる勘だった。音を立てずに身を伏せ、道の端に横たわる。闇夜では、見えにくい場所に動くより、音を立てないこと、動かないことのほうが肝心だった。
 その時、すぐ傍を人がそっと足音を立てずに歩んでいるのを確実に気配で感じた。闇夜で姿は見えない。しかし、それは相手も同じ筈だった。冴子は息を留めた。
 その時、雲が切れた。辺りがすうっと明るくなる。そして目の前を男の影が通り過ぎようとしているのがシルエットだったが見て取れた。冴子はそれを目にして凍りついた。
 妙な感じのシルエットだった。が、それは確実に異様だった。そしてそれは何だか判断は出来ないが、経験が危険を感じさせていた。(動いてはならない。)その予感はそう命じていた。
 (顔の辺りの妙なシルエット。人間の物とは思えない、まるで宇宙人の頭のような変な形のシルエット・・・。)
 冴子の脳細胞がまたフル回転を始めていた。
 (どこかで見た事のある、あのシルエット・・・。そうだ、赤外線暗視カメラだ。)
 冴子は思い出していた。昔の夜の闇の中での演習訓練。赤外線発射光源を胸からぶら下げ、その反射してきた光を特殊な暗視カメラを通じて見るのだ。全くの暗闇でも中でも信じられないほどの光景を手に取るように見ることが出来るのだ。
 (そんなものまで用意していたのか・・・。)
 男等の用意周到さに、呆れ返るというより冷や水を背中に浴びせられた気分だった。追っ手が自分を探し求めるサーチライトを頼りに近寄っていって倒すつもりだった。が、それは甘かったことを思い知らされた。迂闊に近づいて、見つけ出されるのは自分のほうだったのだ。
 これで追う立場と追われる立場の関係が更にまた逆転した。暗い闇夜では赤外線サーチライトと暗視カメラをつけた者には立ち向かえない。
 このまま暗闇に身を隠して夜が明けるのを待つことも考えた。しかし、最初にサングラスの男が言ったように24時間が経過してゲームセットを迎えたからと言って、自分の身の安全が保証されるとは到底思えなかった。夜明けを迎えて明るくなれば、条件はイーブンだ。いや、依然こちらが不利だという条件には変わりがない、冴子はそう判断した。
 (今、チャンスを掴むしかない。)
 冴子は必死になって、暗視カメラに立ち打てる方法を考えた。
 (どうしたら、そんなことが出来るだろうか。在り得ない。いや、落ち着け。何か方法がある筈だ。何か・・・。何か暗視カメラの弱点を考え付くのだ。そうだ。・・・)
 冴子は空を見上げる。雲の切れ目が薄っすらとシルエットになって見える。空一面の雲ではなく、分厚い部分と切れ間とが交互に並んでいるように見える。
 冴子は手探りで、手頃な木の棒を探す。それから幾つか小石を拾ってポケットに突っ込むと音を立てないように男が歩いていった方角を追っていった。
 月に雲がかかり、真っ暗闇になる時は向こうが圧倒的に有利になるので足を少し遅くする。雲が切れてきて辺りが少しでも見えるようになると、足を速めた。そして何とか男の背後100mまでは近づくことに成功した。後は、雲の切れ間の運に任せるしかなかった。
 近づき過ぎないように、しかし離れてしまわないように男の後を追いながら、「医者」を仕留めたきつい曲がり角のところに差し掛かった。
 ここを利用するしかないと冴子は悟った。後は運があるかどうかだった。しかし、それを信じるしかないと思った。
 男が薄暗がりの中で曲がり角を向こう側に折れたと思えた瞬間、極力音を立てないように角まで走っていった。「医者」を仕留めたときに、位置関係は頭に入っていた。男からぎりぎり見えない位の死角になるはずと思われた位置まで来た時、ポケットの石をひとつ取上げた。生憎また分厚い雲が月の上に掛かっていた。しかし、雲の大きさはそれほどではないように見えた。
 チャンスがある瞬間はそう長くは続かない。
 冴子は意を決して、高い放物線を描くように男の背後に石を放りあげ、身を隠した。
 (一、二、三・・・・。)
 カサッという音が少し離れた場所で微かに聞こえた。男が慌てて振り向く姿を想像した。暗闇に暗視カメラを通して音のした辺りを探し回っているに違いなかった。男が少し動く音が聞こえた。
 冴子は次の石を用意した。タイミングを計る。
 (今だ。)
 冴子の手から再度小石が高い弧を描いて、男の近くにポトリと落ちる。今度はもう少し冴子の側だ。少しずつこちらに誘き寄せなければならない。男は確実に暗視カメラで獲物の位置を追いながら次第にこちらに近づいていた。
 (次だ。)
 三度目の石が、冴子の手を離れる。
 カサッという音が冴子のすぐ近くでする。
 「何処だっ。」
 男の焦りが声に感じられる。冴子は手にした棒に力をこめる。しかしまだ距離は遠く、棒は届かない。その時、雲が切れてきた。
 (今しかない。)
 そう冴子は直感的に判断した。ポケットに残った全ての小石を掴んで次々と放り投げる。それらが次々に地面に落ちていくタイミングを計って男めがけて突進した。雲が切れ、うっすらと男の居る位置がはっきりする。男は周りで音がする度にきょろきょろ見回している。突進している為に音がしてしまうのは冴子も承知していた。しかし、冴子が期待していたのは、暗視カメラは視界が狭いことだ。赤外線サーチライトなしでも暗視カメラはかなりのところまでは見ることが出来る。しかし、よりはっきり見るために赤外線サーチライトを使用していると、その視認度の落差に人間の目のほうが付いていけなくなるのだ。パニックになって、まわりを見回そうとすればするほど、サーチライトを当てる場所と視認度のあった狭い視界とが合わなくなる。冴子は残った最後の小石で、男の周辺に様々な物音を立てながら、態と男の周辺を横に移動するようにしながら男に近づいていった。冴子が最初に狙ったのは、男が腰に着けている暗視カメラ用のバッテリ装置だ。これを壊してしまえば視野の突然の変化に、男は確実に優位な体勢から転落したことを悟ってパニックに陥るのだ。事実、最初の一撃でそれが起こった。月明かりはあったので、冷静に暗視カメラに頼らずに自分の夜目を信じれば、まだ対等に戦えた筈だった。しかし、暗視カメラへの安易な優越感がそれを無にした。

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