三重手錠

妄想小説

牝豚狩り



第一章 女捜査官の危機

  その11


 手錠の拘束さえなければ、武器を持っているとは言え、互角に戦えるかもしれないと思った。素人が相手なら、エアガンの射撃を交わすのもそんなに難しくはない。動く標的に当てるのは、かなり難しいことを日頃の射撃訓練で嫌というほど知っている。スタンガンや竹刀など手に持って扱う武器ならば、交わしながら打ち身をあてて戦うことは出来るだろう。問題は自由に逃げる場所を失うようなところに追い詰められた場合だ。手の自由が効かないところでスタンガンでも使われたら防ぎようがない。
 ハンター達の様子を片時も注意を怠ることなく窺いながら、冴子は手錠を外すことを考えていた。ヘアピンがあれば、それで手錠を開ける訓練は受けたことがあった。手錠の鍵は意外と構造が簡単だ。ロックを掛けている構造さえ頭に入っていれば、鍵でなくとも開けられるものだ。問題はへアピンがあるかどうかだ。
 髪の手入れをしてくれたのは、三日間食事を運んでくれた少女だ。髪の手入れも化粧もその娘がしてくれた。生憎鏡はなかったので、どんな風に髪を留めていたかまではわからない。冴子は髪をセミロングにしているので、出掛ける時は大抵後ろで留めていた。娘はいつも冴子がしているように、ヘアピンを使って留めてくれていただろうか。
 少し身を持ち上げて肩と首で髪を揺すってみる。前髪が顔の前をはらはら垂れるが、後ろは思ったほどバサバサしない。きっとヘアピンがあるに違いないと見当をつけた。
 次なる問題は、どうやってヘアピンを髪から外すかだった。冴子は辺りを見回す。枯れかかった樹の枝が目に入る。その尖った枝に髪を当てて梳くことを思いついた。ピンを不用意に落としてしまって見失っては元も子もない。細心の注意を払い、神経を集中させて後頭部を尖った枝に突き立てる。頭皮に枝の先を感じたところで、すうっと横に頭をずらしていく。ポトンと微かな音を立ててピンが砂利だらけの地面に落ちたのを見逃さなかった。位置を確認して、後ろ手の手探りでピンを探し当てる。
 指の先にヘアピンを掴んで、(ふうっ)と息をつく。
 訓練を受けたことがあると言っても、勝手は違っている。訓練では前手錠で、鍵穴を見ながらの練習だった。しかし、手錠を前へ回すことが出来ない。背中で首輪と手錠を繋いでいる鎖が邪魔をするのだ。しかしやるしかなかった。
 冴子は目をつぶって、手錠の鍵穴を頭に思い描きながら、ピンの先をそこへ回す。何度かピンを取り落としたが、最後には一つ目の手錠の鍵が外れた。
 (あと二つ。急がなくては。)
 焦れば焦るほど、うまくいかない。一度大きく深呼吸をして、心を落ち着けてから神経を集中する。ピンという軽い音を立てて、二つ目が外れた。
 (あとひとつだわ。うまく行くかもしれない・・・。)
 期待に胸が膨らんだその時だった。冴子が降りてきた沢の上流で小石がカランと落ちる音がした。冴子は身の動きと息を止めた。
 ガシャリと、更に大きな音がして、男が沢の中央付近の岩によじ登ったことが感じられた。もうかなり傍まで迫っているようだった。
 (やり過ごせるだろうか・・・。)
 冴子が身を潜めている場所は見えにくい木陰ではあったが、万全の隠れ家という訳にはゆかない。しかし最早、より安全なところへ動こうとして物音を立ててしまえば、余計気づかせる危険があった。
 やがて岩陰から男の足の先が見えてきた。辺りを窺いながら、ゆっくり足を進めている。今回が二度目の参加だと言っていた「政治家様」と呼ばれた男らしかった。太めのずんぐりした体格だった。歳の頃は目無し帽でわからないが、そう若くは無さそうだった。手にしているのは竹刀だ。さっき闇雲にエアガンを撃ちまくっていた男ではないようだった。初めてではないと言っていた。エアガンはこういう場所では見かけほど役には立たないのを知っているのかもしれないと冴子は思った。
 「そこだなっ。」
 いきなり竹刀の先が冴子の顔面近くに飛んできた。冴子は身を回転させるようにして避け、素早く少し広い河原に躍り出た。沢の水を踏んだ時の足跡を追ってきたようだった。身を隠していた場所にも点々と水の跡が付いてしまっていたのかもしれないと思った。
 「ようし、見つけたぞ。言っとくが、剣道だけには自信があるんだ。若い頃、相当やったからな。」
 威嚇するつもりだろうが、満更嘘でもなさそうだった。それだけ竹刀を握る手の手つきはその道のものだったからだ。
 (問題は、自分の歳による衰えを、本人がどれだけ認識しているかだわ。)
 冴子は後ろ手ながら身構える。とにかく最初のうちは竹刀で当身を食らわないように避けるしかない。ブィーンという音を立てて竹刀が空を切る。横に飛ぶようにしてその軌跡を避ける。政治家は竹刀を刀というよりは、野球のバットのように振り回していた。
 (剣道をしなくなってから相当長そうだわ。)
 冴子は適確に相手の動きを読んでいた。男は縦に、横に竹刀を振り回すが、なかなか冴子の身体に当てることが出来ない。冴子の側からも、今のところは飛び跳ねて避けるだけの受身でしか為す術がない。打ち損じて隙を見せたところに足蹴りを食わすしか手はないと思っていた。

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