妄想小説
牝豚狩り
第一章 女捜査官の危機
その10
分れ道まで来て、足音が一瞬止まる。どちらへ進むか迷っているのだろう。冴子は、見つかった為に立ち止まったのではないことを祈った。
数秒後、意を決したようで少し登りになっているほうの道を選んで、後は躊躇いなく走り続ける。冴子がそこに身を隠すことを選んだのは、心理的な作戦だった。まさか道のそんな近くに潜んでいるとは思いにくい。身を隠すなら道から少しでも離れたところと思うのが自然で、探すほうも無意識のうちに遠くを見渡しながら、視線は遠めになりがちだ。しかも、分れ道に差し掛かれば、どちらへ行ったか、道の先のほうばかりに意識が集中してしまうだろうと計算したのだ。
冴子の判断は的中した。まず第一関門はパスしたのだ。
しかし、そこに潜んで留まっているだけでは危険だと冴子は次に考えた。道がループになっていたり、行き止まりになっていれば、どの道再び戻ってくるだろう。ループでも行き止まりでもなく、人家のある里山や、人の居る登山道に出てしまうこともあるかもしれないが、そんなところまで出てしまったら、そこからは深追いをしないだろうことも予想された。今居る場所は、何度も行き来をされても見つからないで済むほどの確実な隠れ場ではないと判断した。
追っ手の足音が完全に聞こえなくなり、その後も誰の足音もしないことを確認してから冴子は再び後ろ手で樹の枝と根を伝って林道へ降りた。
取り合えず、追っ手が向ったのと反対の道を注意しながら小走りに駆け抜けた。道は上ったり下ったりを繰り返している。やはりどうも森林点検用の巡回路なのだろうと見当をつけた。
少し長い下りが尽きたところで微かに水の音がするのが聞こえた。さすがに昨日から一滴も水を与えられておらず、さっきまで走りづめで、喉はカラカラだった。水分を採れるところで採っておかなければ体力の消耗も早い。躊躇せずに沢に向って身を滑らせるように降りていった。水はすぐに見つかった。山麓の谷間で岩の中に滲みこんだ雨水が岩の裂け目から湧いて、小さな流れを作っているのだ。渓流と呼べるほどの水量もない。冴子は自由にならない両手を後ろに回した格好のまま、膝を付いて頭を水の中へ突っ込むようにして貪るように水を飲んだ。
水を口にしたところで、少し落ち着きを取り戻し、元気も出てきた。
(とにかく、もう少し安全そうな場所へ身を移そう。)冴子はそう思った。林道へ今戻るのは、最も危険に思われた。
(まだ彼等は林道を隈なく走り回っている筈だ。あらかた虱潰しに走ったところで、林道から逸れたと判断して、彼等も少し奥まで分け入るだろう。林道を伝って逃げるとすればそれからがチャンスだろう。)
そう判断して、冴子は清水がちょろちょろ流れる沢の水に沿って下っていくことにした。沢の清水の流れはやがては合流して渓流になる。渓流が更に合流すれば川になり、川沿いには道が作られることが多い。
しかし水の流れがあるところは、大雨の時には上流から岩が流されてくるような場所でもあり、決して歩き易い場所ではないし、水があれば滑りやすくもなる。手錠で拘束されているので手をついて岩をよじ登ることが出来ない為、そんなに簡単に進める訳でもない。
それでも林道で追っかけっこになって体力を消耗し、挙句に挟み撃ちにでもなって捕まるよりは勝機はつかめるかもしれないと思ったのだ。
暫く行くと、水路はやはり合流し、だんだん渓流の様相を呈してきた。そして深い渓谷の谷のような場所にでた。流れが大きく曲がる先には、大雨の時に堆積するらしい、砂利の溜まった場所があり、木陰になって見えにくい。取り合えずそこへ身を隠すことにする。樹の葉の陰から上方を窺うと、流れの反対側の山肌の途中に林道らしき輪郭線が微かに見て取れる。降りてきた方角からして、林道はあの辺りだろうと見当をつけた。暫く窺っていると、ハンターのうちの一人らしき人影が通り過ぎるのが見えた。やみくもにエアガンを撃ちまくりながら走っていく。おそらく威嚇することで藪の中から怯えて出てくることを期待しているのだろう。
(まだ、今のうちなら安全だろう)と冴子は踏んだ。
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