kisi

アカシア夫人



 第六部 未亡人の謎




 第六十章

 (あった。あの家だわ。)
 貴子は前に清里の帰り道に三河屋の俊介に連れてきて貰った岸谷という男の家を、自分で電動自転車に乗って探しにきていたのだった。道はうろ覚えだったが、何とか辿り着くことが出来たのだった。
 辺りは殺風景な場所で、貴子等の家と同じくすぐ近くに隣家というのは無さそうだった。もう少し家の様子を見てみたかったが、親しい間柄でもないのに、家の近くまで行ってみるのはさすがに憚られた。
 家の位置が確認出来ただけでよしとしようと貴子は思い返し、次の目的地の別荘案内の不動産屋を目指すことにした。

 「お久しぶりですね、奥さん。今日はお一人ですか。」
 相変わらず不動産屋の営業マンは愛想が良かった。最初の下見の時からずっと同じ担当の人だった。
 「ええ、偶々この近くへ来ることがあったものですから。ちょっと寄ってみたんです。」
 「そうですか。何時でもいらっしゃって下さい。何か不都合でもあれば、すぐに相談に乗りますので。」
 景気が下向いてからずっと、別荘の売れ行きは芳しくなさそうで、暇そうだった。既に購入済みの顧客からでも、何か新規開拓の糸口を見出そうとしているようだった。
 「あの、貴方ならこの辺の住人のことならよくご存知でしょう。私みたいに、主人が仕事で留守が多いとか、女の人一人で棲んでいられるとか、そういう人も結構居るのかしら。」
 「はあ、そうですね。未亡人の方とか、居られない訳でもないですが。ただ、他のお客様のことは、こちらからは話せないことになっているんですよ。」
 「ああ、そうですよね。個人情報ですものね。済みません。あの、一人で居る女同士で何かサークルのようなものでも作れないかななんて思ったものですから。」
 「なあるほど。私どもの紹介でという訳には参りませんが、役場のほうに訊いてみるとかすれば、既存のサークルのようなものも紹介してもらえるかも知れませんですね。」
 「あ、そうですね。」
 「普通の住宅街ですと、自治会とか自治会館とかでそんなサークルみたいなものをやっているケースが結構あるんですが、この界隈ですと、ごみ処理とか上下水道なんかのインフラは全て弊社の関係管理会社が行っているものですから、自治会とかは必要なくて、そういう集まりもあまりないようなんですよね。」
 「そうですか。じゃあ、市役所・・・、じゃないか。村役場ですよね。今度、行ってみます。」
 不動産屋からは大した情報は得られなかった。よっぽど「すずらん夫人」って聞いたことがないか訊いてみたい思いに駆られたのだが、個人情報という言葉で遠慮したのだった。ただ、未亡人という言葉は引っ掛かった。
 (そういう人が別荘を購入して棲むということもあるのか・・・。)
 貴子は思ってもみなかったことだった。

 「ねえ、マスター。この別荘地に私みたいに普段、女一人で棲んでるなんて人、居るのかしら。」
 貴子は行きつけの山小屋喫茶、カウベルのマスターにだけは、普段、夫が仕事で東京へ行っていて、自分一人きりのことがあるのを明かしていた。それだけマスターなら口が堅いと信用していたからだ。
 「そうですね。いらっしゃると思いますが。」
 「未亡人とか・・・?」
 その言葉を発した瞬間、貴子はマスターが眉を動かしたような気がした。
 「そうですね。以前には居らしたようですね。」
 「以前?今は、もう居ないってこと・・・。どんな方かしらね。」
 「さあ、私もよくは存じ上げないので。」
 貴子はもう一度マスターの顔をまじまじと見つめた。未亡人という言葉を出した瞬間からマスターの言い方が少し変わったように思えたのだ。
 (すずらん夫人って、ご存じないかしら。)貴子はそう言葉が出掛かったのを寸でのところで呑み込んだ。
 俊介に話した時、アダルトDVDという言葉が返ってきた。すずらん夫人そのものではないが、似たようなニュアンスの別のタイトルだったが、充分連想出来そうな言葉だ。
 実際、俊介に取り寄せて貰ったそれらのDVDを貴子も観てみた。その事を思い出すとつい顔を赤らめてしまう。だから言い出せなかったのだと貴子は思った。

 それらを全部観終わったのは、ゆうべの事だ。いずれも深窓の令夫人という感じだった。それがいかがわしいことに絡んでゆくのだ。男に脅されて、非情な仕打ちを受ける。それを誰にも相談出来ずにじっと堪えてゆくというようなストーリーだった。

madam

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