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アカシア夫人



 第十部 名探偵登場




 第九十二章
 (頭がずきずきする。目が眩んでしまったみたいで、よく見えない。腕も動かせない。ああ、手錠で拘束されているのだ。夫が手錠をかけたまま寝てしまったのだ・・・。もう外して欲しい。あれっ、いや、違う。夫じゃない・・・。私は何処にいるんだ・・・。)
 そこでふと我に返った。目がぼんやりとだが、周りの視界を取り戻していく。
 (白い壁が四方に見える。天井には大きなシーリングライト。何処っ?ここは・・・。)
 貴子の知らない風景がそこにはあった。身体を動かそうとして、片足も自由にはならないことに気づく。何かが嵌められている。背中で手を動かそうとするとガチャ、ガチャ、音がする。
 (やはり手錠を嵌められているんだ。)
 貴子は自分が何処か知らない部屋の床に寝転んでいたことに気づく。身体の下には毛布が敷いてある。誰かに寝かされていたようだ。
 (誰に・・・?)
 頭がぼんやりして、考えがまとまらない。何とか起き上がろうともがいて、身体を丸める。自分の脚が見える。
 (白い腿・・・。生脚?わたしは裸なの?いや、違う。ちゃんとショートパンツを穿いている。ショートパンツ?そうだ、電動自転車に乗ってきたんだ。あっ・・・。)
 そこで漸く、貴子は岸谷の家に監禁されているであろう俊介を追い求めて忍び込んできたことを思い出したのだった。
 (そうだ。岸谷にみつかって・・・。)
 やっとのことで、自分が使おうとしたスタンガンを奪われて、逆に電撃ショックを浴びせられ気絶してしまったことに気づいたのだった。
 片方の足首にも手錠のような足枷が嵌められていて、その片側は床の近くでアンカーのように壁に埋め込まれている鉄の輪に繋がれていることが判った。自由なほうの脚を曲げて勢いを付け、何とか上半身を起こす。足首が壁に繋がれている為に、壁のほうにしか身体を起こせなかった。部屋の様子を観るために脚を折り曲げ、お尻をずらしていって、何とか壁を背になるように向きを変える。片足は壁からあまり離すことが出来ないので、かなり苦しい姿勢を強いられる。
 がらんとした部屋の隅に貴子は寝かされていた、というより繋がれていたことが判った。真四角な大きい部屋だが、がらんとして殆ど家具もない。大きな衝立のようなものが幾つかあって、真っ白くて大きな布が掛けてある。部屋の隅に、何本か舞台照明に使うようなスポットライトらしきものがある。
 (撮影用のスタジオ・・・?)
 窓が無いことから、岸谷の家の地下室のうちのひとつなのだろうと見当を付ける。見回してみて、ドアが見当たらないことから、布を掛けられた衝立の向こう側なのだろうと推測する。その、貴子がドアがあるであろうと推測した衝立の向う側で、今しもガチャリという音がするのが聞こえた。衝立の横から姿を現したのは、やはり岸谷だった。
 「やっと目が覚めたようだな。」
 「あ、あなた・・・。私を監禁するつもり?」
 岸谷は貴子のほうへゆっくりと近づいてくる。貴子の足首が壁の鉄輪にしっかりと繋がれたままなのを確認しているようだった。
 「その格好は、ちょっと苦しそうだな。」
 貴子は横座りのような格好で繋がれたほうの片足を後ろの壁にくっつけるようにしているが、手錠で繋がれた手で身体を突っ張っていないと、上半身を起こしていることが出来ないのだ。
 「待ってろ。今、椅子を持ってきてやる。」
 岸谷はそう言うと、もう一度衝立の向こう側へ姿を消してから、木製の小さなスツールを提げてきた。
 貴子の目の前に置かれたので、自由なほうの脚を踏ん張って何とか立ち上がると、足でスツールを引き寄せ、やっと椅子の上に座ることが出来た。繋がれたままの足首が不自由ではあるが、だいぶ楽な姿勢で岸谷と向き合うことが出来るようになった。
 「こんなもの、どうやって手に入れたんだ?」
 岸谷が貴子に翳してみせたのが、鍵束だった。貴子はふっと自分の腰周りを見下ろしてみる。鍵束などを入れておいたウェストポーチは何時の間にか奪い取られていたらしい。
 貴子は唇を噛んで答えない。
 「そうか。そういえば、お前が鍵を拾ってくれたんだったな。そういう事か。俺が落としたのを見て、拾って返す前に合鍵を作ったんだな。油断ならない奴だ。」
 「ねえ、俊ちゃんは無事なの。ここには居ないって言ったわよね。それなら何処に居るっていうの?」
 「そうか。あいつも、これと同じ合鍵を使って忍び込んだんだな。お前が渡したのか。」
 「それに答える前に、教えて。俊ちゃんは無事なの?」
 「無事・・・では、ないだろうな。おそらく。」
 「殺した・・・の?」
 「俺は人を殺したりはしない。あいつが勝手に飛び込んでいったんだ。俺のところから盗んだバイクに乗ってな。峠の急カーブで、ブレーキの効かないバイクだったからな。曲がれずに、崖下めがけてぶっ飛んでいったって訳さ。」
 「それじゃあ、貴方が殺したようなものじゃないの。」
 「修理途中だった俺のバイクに、あいつが勝手に乗り込んでいって、自分から走っていったんだぜ。俺が乗らせた訳でもないし、ブレーキを壊しておいた訳でもない。」
 「そ、それじゃあ・・・。俊ちゃんは、貴方に見つかって、逃げるのに、故障していたバイクに飛び乗ってしまったっていうこと・・・。ああ、私のせいだわ。」
 「そうかもしれんな。お前があいつに忍び込ませたんだとしたらな。」
 「ああ、何て事をしてしまったんだろう。私のせいだ・・・。」
 貴子は、岸谷から必死で逃げる俊介の姿を思い描いた。壊れているともしらずに、取り合えず目の前にあったバイクに飛び乗ってしまう。そして峠の崖にさしかかって・・・。
 そこから先は想像したくなかった。
 「お前が合鍵を渡して忍び込ませたって、認めるんだな。」
 「・・・・。そうよ、私よ。」
 「何だって、そんな事したんだ。」
 「あなたの写真のせいよ。何故、あんな写真があんなところにあったのか、知りたかったの。それで俊ちゃんに忍び込んで、調べて貰おうとしたの。」
 「あの写真って、どの写真のことだ。」
 「壁にいっぱい写真がパネルになって掛かっていて、へんなものが陳列してあった、あの部屋の真正面にあった写真よっ。貴方の仕事場の奥の部屋に、一時貼ってあったでしょ。」
 「何だって。あの部屋に入ったのか。何時だ。」
 「偶々、貴方が玄関のドアの鍵を掛けないで、出ていったのを見かけたのよ。部屋には不釣合いな変なフランス人形があって、調べてみたら、スカートの裾から鍵が出てきたわ。」
 「そんなところまで調べていたのか。・・・。あそこにあの写真が貼ってあったとしたら、一週間は前のことになるな。いや、もっと前か・・・。」
 「私はあなたにあんな格好のところを撮影された覚えはないわ。どうしてあんな写真を貴方が持っているの?」
 「そいつは、まだ教えてやれない。その前に、そもそも何だって、俺の家の中に忍び込んだりしたんだ。」
 「すずらん夫人を調べていたのよ。知らないとは言わせないわ。真行寺未亡人でしょ、あれはっ。」
 「そんな事まで調べ上げていたのか。何処まで知っているんだ。」
 「・・・・。」
 貴子は何処まで話したほうがいいのか、思案し始めていた。今の状況は貴子に圧倒的に不利なものだった。拘束されて、壁に繋がれている。それも岸谷の地下室の中らしい。殺しはしないとはいうものの、いつ処分されてしまわないとも限らない。首を絞められたとしても、抵抗すら出来ないのだ。今のままでは、誰も貴子がこんなところに捕らえられているなどとは思わないだろう。だから、何とか生きてここから脱出出来るとしたら、何かの条件が必要だと貴子は考えたのだ。
 (岸谷は明らかに、何か人に知られてはならないことをしている。それは自分に対してもだが、真行寺未亡人に対してもだ。もしかしたら、それ以外にも居るのかもしれない。
 何とか夫人と、密かに岸谷が名付けている女性が・・・。)
 「真行寺なんて名前は、何処から嗅ぎつけてきたんだ。」
 「ねえ。私のこと、どうするつもりなの。」
 「さあな。どうするかな。」
 「一生、こんな風にして閉じ込めておくことなんて出来ないわよ。」
 「わかってるさ。」
 「じゃ、最後は殺すつもり?」
 「俺は、その手の犯罪には手を染めない。少なくとも、今のところはそんなつもりは無いっ。」
 「じゃ、どうするの。私は貴方の秘密を知っているのよ。」
 そう言いながらも、貴子はこれというほど決定的なことを掴んでいる訳ではないのも事実だった。しかし、今の岸谷は貴子が何処まで知っているのか判っていない。迂闊に何でも喋ってしまう訳にはゆかないと考えたのだ。
 「秘密か・・・。方法は無くはない。お前がどこまで知っているのかしらないが、そんなことを世間でばらせば、自分がどんな困った立場になるか、よおく思い知らせてから解放するっていう手がな。」
 貴子はごくんと唾を呑み込む。
 (自分がどんな困った立場に・・・。すずらん夫人もそんな立場に追い込まれたのだろうか。ある時から、ずっと思いつめた表情になっていったとあの吉野とかいう老人は言っていたっけ。脅されているようだとも言っていた。・・・。そうだ。そして最後は突然、この別荘地から逃げるように出ていって・・・。そして、首を縊ったと言ったのではなかったか。)
 貴子は自分の身に振りかかってくるかもしれない運命を思うと思わず身震いする。
 「それじゃあ、お前が今どういう立場に居るのかよおく判らせてやろう。今、準備するからそのまま待ってろ。」
 岸谷はそう言うと、再び衝立の向こうへ消えてゆく。

madam

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