アカシア夫人
第六部 未亡人の謎
第七十章
(あれは本当にあったものなのだろうか。自分の妄想か幻想ではないのか・・・。)
家に戻ってくる間も、その思いは何度も貴子の頭に浮かんでは消えた。瞼を閉じればあの顔がはっきり浮かんでくる。だから幻想なんかではない筈だ。しかし、どう考えても有り得ないものの筈だった。
何かに導かれるように、開いてしまった岸谷の仕事場の奥の部屋の扉。その向う側にあったのは、全裸になった一人の女性のあられもない姿だった。そしてその顔は紛れも無く貴子自身なのだった。
そんな写真を撮られた覚えはなかった。身体を丸めるようにして何処かに寝そべっている様な格好をしていた。人差し指と中指を添えて内側に曲げている。それが、露わにされた太腿の付け根に今にも伸ばされようとしているように見えた。
(きっとあれは合成されたものに違いない・・・。アイ・・・、アイなんとかと言ったかしら。)
アイコラ、アイドルコラージュの事を貴子は何処かで読んだ気がした。おそらくは美容院の週刊誌か何かの風俗記事だったのだろう。有名アイドルの顔写真を使って、卑猥な格好のヌードモデルの写真の顔部分だけをすげ替えてしまうものだ。その見本として目の部分にモザイクの掛かった、有名アイドル女優とすぐに判別がつく全裸写真が記事のそばに掲載されているのを貴子も観ていた。
(酷いことをするものだわ。)
貴子もつい標的にされたアイドル女優に同情したものだった。
岸谷は、いつも大きな望遠レンズのついたカメラを提げて歩いている。何処かで自分のことを盗み撮りしたというのは大いに有りそうなことだと貴子は思った。ヌードモデルの全裸写真を何処からか探してきて、自分の顔の部分と合成したのに違いない、そう思ったのだった。
もう一度、頭の中でちらっとだけ観たポスター大のその全裸写真を思い返してみる。
(あっ・・・。)
突然、貴子の脳裏を衝撃的な事実が閃いた。その写真の股間にはあるべきものが無かったということを思い出したのだ。
(あの写真の下半身は、無毛だった・・・。)
背中に突然、冷や水を浴びせられた気分だった。
(どうして、わざわざ無毛の女の写真を探し出したのだろう。そもそも、どうして自分の股間が無毛なのだと知っているのだろう・・・。まさか、本当に私の裸を撮ったものなのでは・・・。)
次々に浮かんでくる疑惑に、貴子はパニックになっていく。
無毛の股間を晒したままで、岸谷では無いにしても、誰かに写真を撮られるなど、全く覚えはない。貴子に間違いないその顔にあった瞳は、しっかりと見開かれていて、意識を喪失している風もなかった。撮られたのなら、はっきり覚えている筈だと思った。夫にだって、裸の写真を撮られたような記憶はなかった。
(どんな背景だったかしら・・・。)
一生懸命思い返してみる貴子だったが、背中を丸めて股間に手を伸ばそうとしているその全裸の姿とカメラのほうを妖しげに見つめている顔だけは思い出せても、背景がどんなだったかは何故か思い出せないのだった。
(もし、自分自身が撮られたのだとしたら、その撮られた時を示す何等かの手掛かりがある筈・・・。)
そう思ってみる貴子だが、その一番の手掛かりとなる筈の背景は何故か何も浮かんでこないのだ。
(自分自身は・・・。)
貴子はもう何年も髪型を変えていない。いつもと同じ髪型だったように思える。装飾品すら一切身に付けていない全裸姿だった。
(ただ・・・。)
ただ唯一の身体的特徴、それは股間に恥毛が一切無いことだった。そして、それは撮られたのが貴子自身であることを物語る有力な証拠でしかないのだった。
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