アカシア夫人
第六部 未亡人の謎
第六十四章
貴子は窮地に立たされた。和樹との約束で紙オムツは外せない。バスタオルはあるものの、何かの弾みで紙オムツを見られてしまうのは死ぬほど恥かしいことだ。
「どうしたの、貴子さん。」
朱美が遠くから貴子を呼んでいた。
今更出来ないという訳にはゆかない。貴子にはその理由を説明出来ないのだ。
貴子は後は何とかなるだろうと、意を決して紙オムツを外して全裸になってタオルを巻きつけることにした。紙オムツを嵌めているのを知られるぐらいなら、全裸になっていることを気づかれるほうがまだましだと思ったのだ。
「済みません、遅くなって・・・。」
貴子は朱美に倣って、隣のベッドにタオルを巻いたままうつ伏せになる。
「ここのマッサージ、とても気持ちがいいのよ。思わず眠っちゃうぐらい。」
朱美が隣でウィンクしてみせる。
「マッサージ師は只今参ります。」
さきほどまでフェイスケアをしてくれていた女性が恭しくお辞儀をして出ていった。入れ替わりに誰かが入ってきた。貴子は伏せっていて気配だけを感じていた。
「Je vous demand pardon, Madam.」
突然、低い男の声で、フランス語が聞こえた。
(え、男・・・?しかも、外国人。)
慌てて貴子が振り向くと、浅黒い肌の外国人が二人立っていた。フランス系北アフリカの人間、アルジェリア辺りだろうと貴子は見当をつける。
(失礼します、奥様)というフランス語も、大学の第二外国語でフランス語を取っていた貴子には、すぐに理解出来た。しかし、ボディマッサージを男性にされるなどとは思ってもみなかったので、貴子はパニックになっていた。すぐ傍の朱美に助けを求めるように首を廻してみるが、朱美は何事でもないかのように、既に目を閉じてうっとりしている。
貴子の側に居た男が少し小さめの毛布のような布を背中に掛けてくれる。それで少しだけ気分が落ち着いてくる。その毛布を少しだけめくって、肩の部分からマッサージが始められた。
(確かに気持ちいいものだわ。でも大丈夫だろうか。)
タオルの下は何も着けていないので、貴子は気が気でなかった。しかし、たっぷりといい香りのするオイルを塗った手で、肩から首筋に掛けてゆっくり揉まれていくと、貴子も次第にリラックスしてきた。
背中に掛けられた布がまた少し捲られる。
「ブラジャ、ハズシマス。イ、デスカ。」
隣で朱美に付いていた男が片言の日本語でそう言うのが聞こえた。
(えっ。下着、つけてたの?)
貴子が吃驚して横をみると、男が朱美のブラジャーのホックを優しく外すところだった。胸元のカップはそのままにして背中だけ肌蹴させている。
「ヨロシ・・デスカ。」
貴子のほうにも胸元まできっちり巻いたタオルに男が優しく手を掛けてきた。胸に捲いたタオルをそっと剥がされるのを貴子は為されるがままになっているしかなかった。
背骨に沿って男の手がリズミカルに優しく、しかし力強く押してゆく。感触はたしかに心地良い。しかしタオルの下は全裸である貴子は、そのことばかりが気になってしまう。露わにされたわき腹から脇の下へ、乳房には手が触れないようにして、男の手がゆっくりと滑ってくる。
貴子はごくりと生唾を呑み込む。気づかれなかったかと男のほうをちらっと振り返ってみるが、男は素知らぬ振りでそのままマッサージを続けていた。
背中がひとしきり終ると男は足のほうに廻る。ふくら脛辺りまで毛布が捲られ、貴子の片方の足首が男の両手に包まれる。
踝、足の甲、足裏と順にマッサージされた後、男の手はふくら脛を揉み始める。
(どこまでするのだろう・・・。)
貴子は次第に不安を募らせる。
ふくら脛を揉まれた後も男の手は止まらない。毛布は捲り上げずに、その中に手を伸ばしてきて、太腿の後ろ側からゆっくりマッサージし始めた。男の手は外側に移ってゆき腰骨のすぐ下まで伸びてきた。それから今度はゆっくりと内股に移ってゆく。
(ど、どうしよう・・・。)
しかし男は慣れているらしく、股間のぎりぎりのところまで手が伸びてゆくが、秘部に触れることは決してなかった。
貴子は喘ぎ声を出してしまいそうになって、慌てて手を噛んで堪える。
「C’etait partout. 」
貴子は(終りました)とフランス語で言われて、ほっとした気持ちだった。
隣でも朱美がベッドから起き上がってブラジャーのホックを背中で留めている。朱美はまだ居る男達に下着姿を見られることなど全く気にしていないようだった。ベッドに向かうのに巻いていたタオルを肩から掛けて貴子の横に立つ。
「さ、シャワーで流しに行きましょうよ。」
貴子のほうは、毛布の下で、肌蹴られてしまったタオルを巻きつけるのに必死だった。
「あら、貴方。全部、脱いじゃってたの。下着はつけててもよかったのに。」
朱美には全裸で来たことを気づかれてしまった貴子は惨めな気持ちになった。その貴子に対し優越感を誇るかのように、下着をちらつかせながらシャワー室へ先に立って歩いていく朱美を貴子は見送っていた。
着替えを終えた二人は、受付近くのラウンジでサービスされたハーブ茶を呑みながら寛ぐことにした。しかし貴子のほうは、寛げるような気分ではなかった。そんな貴子を見透かすかのように朱美は謎めいたウィンクをしてみせる。
「もしかして、貴方。違うことを期待してた?」
「えっ・・・。」
「だって、下着も脱いじゃってたから・・・。女性向けの性感マッサージとか。そういうお店も知ってるとこ、あるわよ。もし、良かったら。」
「そ、そんな・・・。」
「じょ、冗談よ。そんな恐い顔で睨まなくっても。」
貴子はシャワーの後、再び紙オムツを嵌めて気づかれないように服を着て出てきたのだった。それだけでも劣等感にさいなまれていた。朱美の悪気は無さそうな冗談が貴子の胸にぐさりと深く刺さったのだった。貴子は迂闊に朱美の誘いに乗って、エステに来てしまったことを後悔していた。
(夫との約束を破って、紙オムツを外してしまった。)その事ばかりが気に掛る貴子なのだった。
「ねえ、朱美さん。今日の無料招待券って、まだ持ってるかしら。良かったら私に下さらない。」
「あら、いいけど。もう使えないわよ、これって。」
「ううん、いいの。記念よ、今日の。」
貴子はエステの店の名前が記された招待券を朱美から受け取り、大事そうにバッグの奥にしまいこむ。
(これで信じて貰えるだろうか・・・。)
信じて貰うしかないのだと、貴子は悲壮な思いにかられるのだった。
「なんか、あったのかい。顔が青褪めているけど。」
迎えにきた夫の車に乗り込んだ貴子は、夫にそう言われて、はっとする。
「そ、そんな事ないわ。それなりに楽しかったわ。」
貴子はつとめて笑みを浮かべてみせる。しかし、山荘に辿り着いたら、すぐにも白状せねばならないのだ。その後に何が待っているか、考えるだけで震えてしまう貴子だった。
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