アカシア夫人
第七部 罠と逆襲
第七十一章
「貴方、私の写真を何処で撮ったの?」
貴子は不貞腐れたような顔でふんぞり返っている岸谷に向かって語気を強めて言った。
「奥さんの?はて、何の事を言われているのかな。」
「惚けたって駄目。私は知っているの。貴方が私の裸を撮ってポスターにしている事。」
「何を言っているんですか。貴方、裸になってカメラの前に立ったんですか。」
「・・・。そ、それは・・・。」
貴子はあのポスターの事をはっきり言ったものか迷った。しかし、ここでしっかり詰め寄らなければ、なんのかんのと、言い逃れられてられてしまうかもしれないと思った。
「貴方の仕事場の奥の部屋に貼ってある、あの写真の事よ。私が知らないとでも思っているのっ。」
貴子は、自分の事を甘くみようたって、許しはしないわという気迫を篭めて相手を睨みつけながら言ったつもりだった。
「・・・・。」
岸谷は、しばし呆然として答えを失っているように見えた。
(格とした証拠を突きつけられては、ぐうのねも出ないようね。)
「あ、あれは・・・。貴方が撮って欲しいって言った写真じゃないですか。」
「えっ、何ですって・・・。」
今度は貴子のほうが呆然とする番だった。
「だって、自分で裸になったんじゃないですか。」
「そ、そんな・・・。」
まさか、そんな事を岸谷から言われるなどとは思ってもみなかった貴子だった。
「そんな言い方するんなら、いいですよ。あれを公表して皆さんに判断して貰いましょう。あれは嫌がる貴方を無理やり裸にして撮ったものなのか、はたまた貴方が自分から頼んで撮影して貰ったものか。」
「ま、待って・・・。公表なんて・・・。こ、困るわ。」
「何言ってるんですか。自分から言い出したんでしょう。言い掛りをつけるんなら白黒はっきりさせましょう。」
いきなり窮地に立たされてしまった貴子だった。
「ま、待って。そんな言い方、しないで。私の言い方が悪かったわ。」
「何ですか、急に下手に出て。あんなに高飛車な言い方をしておいたくせに。」
「そ、それは・・・。あ、謝るわ。御免・・・、なさい。」
「それが謝っている姿ですか。」
「えっ、私にどうしろと・・・。土下座でもしろって言うんですか。」
「それは、貴方が決めることです。私にどうして欲しいかによってはね。」
貴子は口惜しさに唇を噛み締める。
(どうして、こんな事になってしまったんだろう。こんな筈じゃなかったのに。)
最早、貴子は岸谷に写真の事を持ち出したことを後悔し始めていた。
「判りました。土下座でも何でも致します。ですから、あの写真は返してください。お願いします。」
そう言うと、貴子は唇を噛み締めながら、膝を着いた。岸谷は黙って貴子の様子を見守っているだけだった。
「お願いします。返してください。」
もう一度言うと、貴子は手を付いて深々と頭を下げた。
「返してくださいって、あれは貴方のものじゃありませんよ。」
「な、何ですって。だって、私が写っている写真じゃないですか。」
「合意の元で撮られた写真は、撮影者のものなんですよ。絵だってそうでしょ。裸婦を描いたって、その絵は画家のものであって、モデルのものになる訳じゃないですよね。」
「わ、わたし・・・。同意なんてしてません。」
「そんなことを又、言うんですね。ならば、世間の人がどう思うか、公表してみようじゃありませんか。同意のもとに撮られているのか、嫌がるのを無理やり撮っているものなのか。」
「ああ、それだけは・・・。」
「500万円なら、譲ることを考えてもいいですよ。」
「500万円ですって。そんな大金、夫に内緒で払うことなんて到底出来っこありません。困るんです。夫に知れたりしたら・・・。私が貴方のいいなりになればいいのですか。嗚呼、でもこれじゃあ、まるで鎌倉夫人だわ。」
「ほう、鎌倉夫人をご存知なんですか。そんな貞淑そうな令夫人の貴方が、鎌倉夫人のビデオをご覧になっていたとはね。」
「ああ、言わないでっ。」
「そうか。貴方は鎌倉夫人になりたかった訳なんですね。あんな写真を私に撮らせたのは。」
「そんな酷い事、言わないで。私が鎌倉夫人になりたいだなんて。」
「いいですよ。ならせてあげましょう。私も同じ物、持っているんです。ほら、これですよ。貴方もよくご存知のね。さあ、これを装着するんです。」
岸谷が背後から取り出したのは、革のベルトと留め金の付いた黒い棒状のものだ。真ん中についた膨らみの両側に反り上がった男根を模ったディルドウが両側に突き出ている。
「そ、それは・・・。双頭のディルドウじゃないの。そんなものを私に付けろと仰るの。ああ、なんてこと。ああ、出来ないわ。許して・・・。」
「断れるような立場ですか、奥さん。さ、とっとと裸になって、これを嵌めてそこに立つのです。そしたら、またそのいい格好を写真に撮って差し上げますよ。」
「ああ、私には断ることも出来ないの。お願い。もう、許して・・・。」
(ああ、駄目。そんな恥かしい事・・・。そんな事したら・・・。ああ・・・。)
大きく寝返りを打つ貴子の太腿にシーツが絡み付いてきた。そのせいで、脚を開かされているような錯覚に陥る。
(ああ、脚を開かせないでっ。駄目っ・・・。)
「あっ・・・。」
貴子の視界の中に突然飛び込んできたのは、いつもの見慣れた寝室の天井から吊り下がっているシャンデリアだった。
(ゆ、夢・・・?)
喉がからからに渇いていた。貴子は肌蹴ているシーツを手繰り寄せる。
(なんて夢をみてしまったんだろう・・・。)
貴子にはもう現実に起きたことと、自分が思い描いた妄想との区別がつかなくなってしまっている気がしていたのだった。
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