妄想小説
キャバ嬢 サチ
五
幸江が漸く自力で便器の水栓コックに結わえ付けられたストッキングを引き千切って自由の身になれたのは、そこへ縛り付けられてから彼此一時間近くが経とうとしている頃だった。始めのうちは、柔軟に伸びる丈夫なナイロンの生地が解こうともがけばもがくほど手首に食い込んできて、どうにもならなかった。一度は松浪が助けにきてくれるのを待つしかないのだと諦めきった幸江だった。が、次第に募ってくる尿意に、何とかしなければと再びもがき始めた時、コックの端で擦れた部分が次第に千切れ始めたのだった。便器に顔を埋め込まんばかりの格好を強いられている幸江には、排泄しようにも股間を便器に跨らせることすら困難なのだった。
(ああ、あと少し。もうちょっとよ。頑張らなくては・・・。)
募ってくる尿意も次第に強くなってきていて、そろそろ我慢の限界だった。その時漸くストッキングがブチッと音を立てて切れたのだった。相変わらず両手首は後頭部から外せないままだったが、幸江はそのまま便器に逆向きになって跨った。
シャーッという大きな音を立てて、奔流が便器の中に迸り出た。はしたなさも構ってはいられなかった。出し終えても雫がぽとぽと垂れていた。ティッシュで拭うことも叶わなかったが、幸江はそれどころではなかった。ストッキングの水栓コックに繋がれた部分を千切った時に要領を掴んでいた。便座を上げて角のエッジの部分に後ろ向きになりながらストッキングの首と手首を繋いでいる部分を擦りつけた。暫く擦っていて、漸く両手を首の後ろから離すことが出来たのだった。
両手首からもストッキングの戒めを漸く外し取ると、床に落ちている服を拾い上げる。ブラウス、ベスト、スカートと順に拾い上げたが、ブラジャーとショーツは見当たらなかった。幸江は松浪の悪意を再び感じ取っていた。
取り合えず、残っていた制服を身に纏った幸江だったが、スカートの下がすうすうする。幸江は背がそれほど高くない。従って、脚だって決して長くはない。それをカバーして魅力的に見せる為に、幸江はスカートを極端に短くしていた。制服で丈はおのずと決まっていたのだが、幸江は自分で仕立て直していた。短い制服のスカートから露わになる太腿は確かに男たちの目を惹いたのだが、逆に事務所の他の女性からは反感を買っていた。
幸江の短いスカートは、ショーツを奪われ、最早使える状態にないストッキングを着けない生脚の状態でのノーパンは、さすがにミニスカに慣れた幸江にも心許なかった。しかし何時までもぼおっとしている訳には行かないと思った。
残された服を着込むと取り合えず男性用トイレは出ることにした。自分の格好がどうなっているかが気に掛かった。先ほど頭を突っ込まされてトイレの水を流されてずぶ濡れになってしまった髪は、便器に括りつけられてもがいているうちにいつの間にか殆ど乾いてきていた。が、ぼさぼさの髪になっているに違いなかった。
廊下に誰も居ないことをトイレの扉をそおっと薄めに開いて確かめてから、幸江はさっと廊下に滑り出て、そのまま通路の反対側にある女子トイレのほうへ滑り込んだ。この階には女性が少ない。居るのは秘書だけであり、秘書も常時待機している訳ではない。担当の役員が在室している時だけ来て待機していて、留守の時は階下の総務部のほうで控えているのだ。おそらくは誰も居ることはないだろうと思いながら入った女子トイレは、やはりがらんとしていた。
幸江は入ってすぐ、鏡に映った自分の姿を見て呆然となった。髪の乱れは多少予想はしていたものの、鏡に映った顔は目の周りが真っ黒に汚れていた。アイシャドーが水で流されて、そのまま乾いてしまったのだった。唇も洗い流されて不健康そうな色をしている。
元々、素顔がそれほど美人という訳ではない幸江は、夜の仕事上のこともあって、化粧を念入りにしている。厚化粧と謗られても反論出来ないくらいだ。特に目は細く小さいのでアイライン、アイシャドーは多用し、店に出る時は付け睫毛も欠かさない。それが不十分に洗い流された為に無様な格好になってしまっていた。そのままでは人前に出る訳には行かなかった。
あまりの酷さに慌てて個室に逃げ込んで鍵をロックする。松浪の仕打ちに怒りがこみ上げてくるよりも、呪いたかった。しかしじっとしている訳には行かないのだった。勇気を振り絞って個室を出て洗面台に立つと顔をごしごし洗う。顔をあげると、パンダ眼は消えていたが、普通の不細工な女の顔がそこにあった。普段化粧が濃いだけに、すっぴんとの落差は大きい。何とかして化粧道具を手に入れなければならないと思った。
化粧道具は事務所の自分の席のバッグの中においてきてしまっている。洗った顔を拭くのでさえ、小さなハンカチをひとつ持っているきりである。しかし、こんなすっぴんの顔で事務所に取りに戻るわけにはゆかないのだった。
事務所では男たちに色目を使って気を惹いていると、他の女社員たちからは嫌われていて孤立している。唯一の友人ともいえる紗姫は、今日は休みだと言っていた。
その時思いついたのが、哲太だった。(彼ならバッグを持ってきてくれるだろう)何故かそう思ってしまった幸江だった。しかし、哲太にだって、自分の今の姿を晒すことは考えられなかった。
ずぶ濡れになってそのまま乾いてばさばさになった髪を手で撫でつけてから、幸江はすっぴんの顔のまま、人目に触れぬよう注意しながら誰も使っていないらしい役員会議室に滑り込み、そこに据えられている内線電話で自分のフロアに居る哲太を呼び出したのだった。
「お願い、哲太クン。お願いだから、訳は訊かないで、あたしのバッグ、持ってきてくれない。・・・、そう、その赤いエナメルのやつ。・・・、何処って、・・・えーっと・・・、そう、体育館が守衛の門の前にあるでしょ。あそこの体育館に守衛と反対側からぐるっと外側を回ってきて欲しいの。いいから、来れば判るから。」
幸江は必死だった。電話を切るや否や、体育館へ走る。守衛の門がある側が正面だが、そちらで人目につく訳にはゆかなかった。反対側の横の扉が施錠されてなくて開いているのを祈りながら幸江は走っていった。幸い、役員フロアのある事務本館の外には誰の姿もなかった。体育館の裏の扉に到着すると、重たい鉄の扉を引いてみる。うまい具合に施錠はされてなく、ドアはギィーッという鈍い音を立てて横に開いた。安堵する暇も無く、幸江は体育館奥の隅にある女子トイレへと駆け込んだのだった。
体育館は元々社員の厚生施設として建てられたものだが、社員で使われていたのは随分前のことで、最近では期首朝礼などの行事で講堂として使われる以外は、専ら地元の地域住民に開放されているのが主で、昼間は殆ど閑散として人が居ないことを幸江もよく知っていたのだ。トイレに入ると、磨りガラスの嵌った窓を少しだけ薄めに開けて外を覗う。体育館の床が高い分だけ、外の地面は見下ろすようだった。そこへ哲太が幸江の赤いバッグを持って首を傾げながら近づいてくるのが幸江の目に留まった。
「ここよ、哲太くうん。こっち、こっち。」
トイレの窓の横の壁に身を隠しながら、手だけ窓から出して哲太に合図する。哲太は何処から声がするのか辺りをきょろきょろ見回していたが、やがて頭の上のほうに手が出て合図していることに気づいたのだった。
「幸ちゃんなの?そんなとこで何してるの。」
「お願い。何も訊かないで、そのバッグ投げてくれる。」
訝しげな顔をしながらも、哲太は手にしたバッグを窓から出ている手のほうへ投げ上げる。
「ありがとね、哲太くうん。」
わざといつもの甘ったるい声で応える幸江だった。
化粧で何とか顔を取り繕ったものの、さすがに生脚をミニスカートから晒して事務所に戻るのは気が引けた。幸江は生肌には自信を持ってはいた。が、事務所でミニスカートから晒すのはいかにも男たちを挑発しているようになってしまう。女たちの目がそれこそ怖かった。幸江は弘済会の売店でストッキングの替えを売っていたのを思い出した。種類こそないが、何も穿いてないよりはましだと思ったのだ。
ノーパンなので、出来れば厚地の透けにくいものにしたかったが、売店には、極普通の薄手のものが一種類置いてあるきりだった。
(仕方ない)と諦めてレジへ向かった幸江の足が止まった。レジに今将に金を払っているところの哲太の姿を認めたからだった。咄嗟に手にしていたストッキングの包みを手近な陳列棚に戻す。そおっと後ずさりしようとした幸江だったが、何気なく振り向いた哲太の目に留まってしまった。
「あれっ、幸ちゃん。こんなところに居たの。何か買い物?」
「いや、いいえ。別にそういう訳じゃ。」
咄嗟に訊かれて、ストッキングを買いに来たとも答えられず、つい言ってしまった幸江だった。
「じゃ、一緒に事務所に戻ろうよ。さっき、拓さんが捜していたよ、幸ちゃんのこと。」
「で、でも・・・。ええ。」
幸江は哲太と別れる口実を喪ってしまっていた。仕方なく、生脚を晒しながら事務所へ戻ることになったのだった。
「どうしたんだい、幸ちゃん。急に居なくなっちゃって。」
「ああ、ええ。済みませんでした。・・・。あの、えっと、急にお腹が痛くなっちゃって。」
「トイレにでも、駆け込んでたのかい。」
トイレと言われて、幸江はさっきまでのことを知られていたのではと思い、顔をこわばらせてしまう。
「あ、嫌。ごめん。別に想像してないから。」
「え、あっ。嫌。」
橋本が、自分がお腹が痛くなってと咄嗟についた嘘で、トイレにしゃがんでウンコしている様を想像していたのかと思って、今度は真っ赤になる。
「済みませんでした。し、失礼します。」
顔も挙げないまま、幸江は踵を返して給湯室のほうへ逃げていく。その後ろ姿を見送りながら、橋本は呟いていた。
「それにしてもいい脚だな。それにいつもより艶かしいな。どんな姿してウンコしてたのかな・・・。」
つい軽い冗談で口に出た言葉だったが、言ってから本当にその姿を想像し始めた橋本だった。
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