妄想小説
キャバ嬢 サチ
三
「おう、マサオじゃないか。」
幸江を後に残して、設計の建屋を出た松浪は、建屋の外を歩いている嘗ての部下を見つけて呼び止める。
「あ、ま、ま、ま、松浪さん。おひ、おひ、お久しぶりで・・・すぅ。」
高木正雄は、松浪の居る法務室がまだ、総務部の一部で法務係だった頃に一緒の部だった男だ。正雄は総務部で雑用係のようなことをやっていたのだが、今は部署を移って特許の管理の仕事をしていると聞いていた。見るからに坊ちゃん顔で、若そうに見えるのだが、実は既に40代に突入している。皆からは陰で「とっちゃん坊や」と呼ばれているのだった。正雄は、若そうに見えるのが悪いほうに作用して、頼りなさばかりが目立ち、結婚はおろか、ガールフレンド一人出来たことさえないのだった。
「おい、マサオ。また、例のところ、行ったのか。」
松浪が例のところと言うのは、松浪が正雄に教えられたキャバクラのことを差していた。暫く前に会社の帰りがけに出会い、久々に一緒に呑みに出た際に、そのキャバクラのことを教えられたのだった。
「あ、はあ。あのう、ま、まだあれからは、あまり言って居りません・・・で、ですう。お、おか、お金も結構掛かるもんですからあ・・・。」
正雄は恋人が出来ない分、そういう風俗の店に独りで出入りしては、玄人の商売女に相手をして貰うことで、自分を慰めているのが精一杯なのだ。しかし、いまだに平社員の身分の薄給では、そうそう風俗店で金を使うのもままならない。
実は松浪が、会社で働いている女の子が風俗店でバイトしているらしいという話を訊き出したのは、正雄の口からなのだった。
「そ、そ、そういう事ってのは、いいんですかねえ。な、な、何か、いけないって聞いたような気がするんですよね。」
正雄が(ちょっと質問があるんですが)と言って切り出したのが、正雄が時々通っているキャバクラで、会社の女の子を見かけたような気がするという話なのだった。その話に眉をぴくんと動かした松浪だったが、すぐに平静を装って、無関心な振りをしながら、正雄から色々聞き出したのだった。
「おめえなあ、いいか。おめえみたいな素人は、下手に手なんか出したりしちゃあ、駄目だぞ。ああいう商売女ってやつは、怖いところがあるからな。後ろにヤクザのヒモなんかがついていた日にゃ、ケツの毛まで引っこ抜かれて、身包み持ってかれるってこともあるんだからな。」
そう言って、正雄に脅しを掛けておいて、教えられたその店をこっそり訪れた松浪だったのだ。それが、松浪がサチという源氏名でバイトしている北条幸江を目撃した1週間前のことなのだ。
「そうかあ、そうそうキャバクラなんか行ってるほど、金がないかあ。だけど、お前、恋人も居なくて、他に金の使い道だってないだろうに。」
「あ、はあ・・・。そ、そ、そ、そうなんですがあ・・・。い、いつ、いつ、いつかは結婚もぉ、したいしぃ・・・。ちょ、ちょ、貯金もしなくちゃいけないかなあって・・・、おも、おも、思いましてぇ。」
興奮して喋ればしゃべるほど、吃る癖がある正雄は、そのせいもあって余計に会社の女の子たちからは馬鹿にされている。逆に松浪のほうは、この仕事も出来ないし、女の子からは軽く見られている高木正雄のことは気に入っていて、自分の足軽のようによく呑みに連れ出しては、可愛がっているのだった。
「な。いいか、マサオ。キャバクラでバイトしてる女のことなんか、下手にあちこちで喋ったりするんじゃないぞ。俺が法務室としてちゃんと見張っててやるから。何か有ったら、俺にだけすぐに言うんだぞ。いいな。」
松浪は子供を諭すように、何度も正雄に言い含めると、このネタを使って存分に楽しんでやろうとにんまりするのだった。
(そう言えば、このところキャバクラにも行ってないなあ。あまり無駄遣いもこのところしてないし、たまにはぱあっと遊ぼうかなあ・・・。)
松浪と別れた後、自分の事務所へ戻りながらキャバクラ遊びのことを松浪の会話から思い出して、その気になり始めた正雄だった。
「おや、あんた。今日はやけに早くから帰ろうとしてるじゃないの。」
定時の鐘がなる前からそわそわ机の上を片付けようとしている正雄の背後から、同じ事務所の古手の庶務嬢である奈美が声を掛けてきた。正雄はいつもこの奈美から何かに付け叱られてばかりいるので、全く頭が上がらず、奈美の前ではいつもおどおどして伏目勝ちになってしまう。
「あ、あのお、あのですねえ・・・、ぼ、ぼ、僕だって、しゅ、しゅ、週末は、い、い、いろいろですねえ・・・、やることがあるんですよ・・・。」
「何よ、やる事って。どうせ、持てないアンタなんか、風俗の店にでも行くぐらいでしょ。」
いきなり奈美に図星を指されて、正雄は気が動転してしまう。
「や、や、や、や、やあ、そ、そ、そ、そんな店に、い、行くわけ、な、ないでしょ。」
そう言いながらも耳たぶを真っ赤にして狼狽している正雄だった。その時しかし、定時を告げる鐘がなったので、正雄はさっとショルダーバッグを肩に掛けると、一目散に出口へ急ぐ。その背中を不思議な動物でも見るように奈美は見送ったのだった。
「ふん、なにあれ。相変わらず変な奴・・・。」
「いらあっしゃああい・・・。」
いつもの甘ったるい声を作りながら、客の居るボックスに入ってきた幸江は、客の顔を見るなり一瞬凍りつきかけた。しかし、それは客のほうも一緒だった。
「あ、あなた・・・。」
「あ、ど、ど、どうしよう・・・。」
正雄はまさかサチがコンパニオンとして付くとは思ってもいなかったので、動揺してしまい、目の前の幸江のほうも狼狽しているのに気づく余裕がなかった。先に立ち直ったのは幸江の方だった。
「お客さん、初めてえ・・。あ、よく来るのおっ。あたしは初めてよね。あたし、サチっ。」
「わ、わ、わ、わたしは、その・・・、あの・・・ですねえ、あ、始めまして・・・ですう。」
何度か見かけたことのあるサチは、いつも遠くのほうで他の客に付いていて、その顔は会社の何処かで見たことがあるといつも不思議に思っていた相手だった。正雄は元の上司だった松浪に、キャバクラで会社の女の子を見たと話した時の松浪の言葉を思い返していた。
まだ、凍りついたように、目を合せないで俯き加減にしている正雄を幸江はじっと観察する。
(わたしが同じ会社の人間だって気づいているのね。)
いきなり、幸江は正雄の震える手を両手で掴んだ。
「私のこと・・・、何か・・・。」
探りを入れるように正雄の耳元にそっと囁きかける。
正雄はびくんと体を震わせる。喉元がごくんとなった。
「ねえ、こっちを見て。」
幸江の優しいようだが、有無を言わせぬ調子の声に、正雄はゆっくりと目を上げる。そこには小動物の獲物を狙って逃すまいとするネコ系の獰猛な獣の瞳から向けられる鋭い視線があった。
「ぼ、ぼ、ぼ、僕は、な、な、何も知りません。い、い、言いませんから、誰にも。ぼ、ぼ、ぼ、僕だって、ちっとは、この世界の事も判ってますから。お、お、お姐さんの背後に、どんな人が居るのかとか・・・。」
一瞬、幸江は呆気に取られた。が、すぐに目の前の小男が何を考えているのかを察した。幸江は正雄の手を外側から包み込んでいる自分の手のひらに少し力を籠めた。
「ふふ、いい子ね。そう、ここは、ここだけの世界。ここだけで楽しんでいれば、なあんにも怖いことは起きないのよ。ね、いいわね。ここだけで二人で楽しみましょ。」
そう言うと、正雄の手を握っていた片方の手を離し、座った正雄の腿の上にそっと置く。その生温かい感触に、正雄は再びごくんと喉を鳴らして生唾を呑み込むのだった。幸江は更に腰を浮かして、もう一歩、正雄に近づく。腰と腰が触れ合うまで身体を密着させると、微かに震える正雄の身体から、心臓の鼓動の高鳴りが直に伝わってくるようだった。
「ね、いいお酒、一緒に呑みましょ。」
「あ、ああ、お、お願い、し、しますぅ・・・。」
正雄はすっかり幸江のペースに嵌まっていた。幸江はどちらかと言えば、正雄のような初心な晩生の男の扱いを得意としていた。身体をわざと密着させて、相手を動揺させ、男がいい気になりかけると、ぴしゃりと撥ね付けるのだった。すると男は何かいけないことをしでかしたと慌てだし、それに乗じてお預けを食らわすように焦らして、嬌態を見せ付けてから再び男に迫るのだ。正雄はすっかり幸江に翻弄されてしまっていたのだった。
正雄はその日、これまでに取ったこともない高いブランデーをボトルでつい入れさせられてしまっていた。その日の幸江は透けるような薄手のサテンのドレスを身に着けていた。踝まである長いロングドレスなのだが、前の部分にある深いスリットが脚の付け根ぎりぎりまで切り込まれていて、幸江が座って膝を心無しか高く上げると、サテンのドレスはするすると割れて、白い太腿がきわどいところまで露わになってゆく。その太腿の奥を、正雄は見ないような振りを装いながらも、ちらっ、ちらっと視線を動かしてしまうのだった。それに気づいている幸江は正雄の視線を目で追いながら、何度も何度も脚を素早く組み替える。その度に覗きそうになるスリットの裾の奥を覗き込みたい衝動を抑えながらも、眉を吊上げるようにしてちらと見ては目をそらす正雄だった。
「ねえ、折角だから、ブランデーをもっとお飲みなさいよ。乾杯しましょ。今作ってあげるから。」
そう言うと、幸江は二つのグラスに、正雄用には多目に、自分用には少なめにブランデーを注ぐと、ひとつを正雄のほうに差し出す。
「かんぱあーいっ。」
正雄が幸江の掲げるグラスに向けて乾杯の為に自分のグラスを差し出してくる一瞬を付いて、幸江は必殺技を仕掛ける。油断した正雄の脇腹に素早く手を当てるのだ。
「わっ・・・。」
慌てた正雄は思わず手にしたグラスからブランデーをこぼしてしまう。自分のズボンの上にブランデーをぶちまけて、更に慌てる正雄に、幸江はさっと傍に用意しておいたお絞りを取ると、すかさず正雄のズボンに当てる。
「あーら、こぼしちゃったのね。いいわ、拭いてあげるから。」
そう言って素早く、濡れた正雄のベルトの下あたりにお絞りを当てるのだが、お絞りを摘まんだ幸江の手は小指を立てて、何気なくその先を股間のあたりに触れさせる。
「あうっ・・・。」
いきなりその部分を触られた正雄は、手にしたグラスを取り落としそうになって、更に慌てる。
ズボンの下で硬くなりかけた膨らみを小指の感触で確かめた幸江は、何事もなかったかのようにお絞りを軽くはたくようにしてブランデーの染みを拭い取ると、お絞りをテーブルに戻す。
「あ、あの、ちょ、ちょっと、トイレに・・・。」
股間を抑えるようにして前屈みになりながら、立ち上がった正雄に、幸江は膝をどけて正雄を通路のほうへ通してやる。
「はやくぅ、帰ってきてねえ。」
一目散にトイレに急ぐ正雄を見送りながら、幸江はほくそえむ。
(ふふふ、ちょろいもんね。マサオ、君・・・。)
既に幸江は正雄を完全にコントロール出来る自信に満ち溢れていた。
次へ 先頭へ