57詰め寄る正雄

妄想小説

キャバ嬢 サチ



 十五

 嫌な夢を見た後の正雄はすっかり臆病になってしまっていた。自分のことを気づかれるのではないかが心配で、迂闊なことは出来ないと何度も自分に言い聞かせていた。会社に来て、マリコを見ると、相変わらず何かに怯えた様子をしていて、声を掛けたくなってしまうのだ。
 「この頃さあ、何だか浮かない顔、してるよね。」
 その声にふと顔を上げたマリコは、直ぐ傍に正雄の顔を見て、飛び上がる。
 「きゃっ。な、何っ。」
 「そ、そ、そ、そんなに、驚くなよ。」
 何気なくそっと声を掛けたつもりの正雄だった。が、マリコは座っていた椅子から立ち上がってその向うまで遠のいていた。
 「あの、高木さん。話し掛ける時、そんなに顔、近づけないでくれません。」
 さっきまで心配顔を浮かべていたマリコの表情は、明らかに硬くなっていた。
 「だ、だ、だ、だって・・・、さ、さ、さっきまで、すごく心配げな顔してたよ。」
 「あの、いいですか。貴方に心配して貰うようなことは何一つだってありませんから。」
 マリコはまたしてもきっぱり言い放つ。
 (何でさ。何でそんなにつっけんどんなの。心配してやってんのに。)
 「いちいち私にからまないでください。ストーカーみたいですよ。」
 「え、す、す、す、ストーカーって。ぼ、ぼ、ぼ、僕が・・・。」
 (畜生、そこまで言わなくても・・・。)
 にべもないマリコの応答に、また段々腹が立ってくる正雄だった。
 (そんなら、もっと虐めてやる・・・。)

 怖れていた影の男からの指示封筒が届いたのは、その日の午後だった。さり気なく周りに悟られないよう封筒を手に別棟の事務本館へ向い、一階の女子トイレの個室に篭ってしっかりロックを掛けてから封筒を開いたマリコだった。
 今回もワープロで何やら綴られたコピー用紙が入っている他に、何やら嵩張るものがあるようだった。チラッと封筒の奥を覗いたマリコには何だか見慣れないもののようだった。それは封を出来るジップロックなどと呼ばれる密閉ビニル袋に入った何やら半透明のものだった。それは封筒の奥に収めたままにして、コピー用紙のようだけ引き出す。

 「このアナルビーズを装着して、4時ぴったりに事務本館5階の男子トイレの真ん中の個室へ来い。いいつけを守らなければお前の恥かしい写真を会社の何処かに貼り出す。」それだけが書かれていた。
 マリコはおそるおそる封筒の奥からジッパー付きビニル袋に入った物を取り出してみる。袋の中には長さ10cmほどの見慣れぬ物体が入っている。透明なビーズの珠のようなものが一直線に並んで繋がっていて、端に紐のようなものが輪になって繋がっている。
 (アナルビーズ、装着・・・。いったい何だろう)
 訝しげに思いながらも何か良くない予感がしていた。

 すぐさま自分の席に引き返したマリコは、周りに人が居ないのを確認してパソコンから検索ソフトを立ち上げる。再度、辺りに人が居ないのを確かめてから、検索キーワードの窓に「アナルビーズ」と打ち込んでみる。ヒットしたのは、通販のサイトばかりだった。そのうちの一つをクリックしてみて、出てきた画面を見てマリコは慌てる。それはアダルトショップのサイトだったからだ。見るからにいかがわしそうなものが並んでいる。
 もう一度辺りを見回してから、いつでも画面を切り替えられるように、ダミーのエクセル集計表を裏に立ち上げておいてから、アダルトサイトの画面に戻し、スクロールしてゆく。最初は男性のシンボルを模ったバイブレータばかりが並んでいた。性感ローションのようなものが続いた後、それは出てきた。
 最初は何だか判らなかったが、次第に想像がついてきてマリコは思わず顔を赤らめてしまう。そしてアナルが肛門という意味であることを初めて知るのだった。スクロールしてゆく画面を追うマリコの眼に、SM、調教、拷問などという言葉が飛び込んでくる。
 (まさか・・・)
 使い方を想像し、そんな筈はないと否定したものの、見ればみるほど、そういうものに違いないことが判ってくる。
 すぐさま、検索ソフトを閉じ、検索履歴を消去する。心臓がどきどき高鳴っていた。もう一度封筒を取って、立ち上がる。今度は身近な事務所出入り口のすぐ傍の女子トイレに飛び込む。個室はどれも空いているようだった。
 一番奥の個室に音を立てないように入り、しっかりロックを掛ける。それからさっきみた物体を袋ごと取り出す。今度はジッパーを開けて中身を取り出してみる。ビーズのようなものはシリコンゴムのようなもので出来ているらしく、柔軟に曲がるようになっている。汚いものでも掴むように、マリコは二本の指で摘まんでみた。
 (こんなものが入る筈がない。)
 心の中で否定してみたものの、もうそれを挿入する場面を頭に思い描いている自分に気づいていた。端の輪になった部分は何かに似ていると何となく思っていたが、はたと気づいた。マリコはあまり使ったことがないが、生理用のタンポンについているものに似ていると気づいたのだ。体内に深く押し込んだ際に、取り出す時に使う為のものなのだろう。マリコは想像しているだけで尻の穴の中がむず痒いような嫌な気分になってきた。慌ててそれをビニル袋に戻すときっちり封をした。
 (どうしよう・・・。)
 腕時計をみると、4時5分前だった。
 (4時ぴったりに事務本館5階の男子トイレの真ん中の個室・・・)
 何故か暗記でもしたかのように、すらすらっと男からの命令の文句が浮かんできた。
 (とにかく行かなくちゃ。)
 マリコはビニル袋を封筒から取り出すと、辺りを見回し、いつも生理用品の予備をしまっている腰丈のサイドロッカーの自分用の抽斗の奥に滑り込ませる。トイレを出ると、すぐの給湯室で、据え付けてあるシュレッダーで封筒の中身を裁断してから、事務本館に向う為に階段を駆け下りた。

 事務本館の5階というのは、そう頻繁ではないが、行ったことはあった。役員が詰めている階なのだが、大会社に吸収合併されて子会社になった今は、親会社から派遣されてきた役員が時折詰めているだけで、誰も居ないことのほうが多い。エレベータホールの真正面のガラス張りの部屋は嘗ては役員一人ひとりに付く女性秘書が何人も詰めていたものだが、今は総務と兼務になった秘書が用があるときだけしか来ないのだ。
 誰もフロアに居ないことを階段からロビーのほうを覗き見して確認してから、目の前の男子トイレの前で中を窺がう。誰も居ない筈と思っても、中に入るのは躊躇われた。しかし、命令された時間はもうすぐだった。意を決して、ドアをそっと薄めに押してみる。
 細く少しだけ開いた隙間から中に誰も居なさそうなことを確認してから最小限の隙間だけ押し開けて、身を中に滑り込ませる。今までももう何度も男からの命令で男性用のトイレに忍び込まされている。が、役員フロアのトイレは初めてだった。入りなれている女子トイレにはない、男性小用のアサガオは見る度に顔が赤くなってしまう。そんな場所に入らされている屈辱感をどうしても感じてしまうのだ。何も考えないことにして、空いている真ん中の個室に飛び込み、音を立てないように扉を閉めて鍵をロックする。
 扉の裏に貼り紙がされていた。
 「それを外して置いてゆくこと」
 間違って誰か他の人間が入ってきて、それを読んだとしても何のことかさっぱり判らないだろう。しかしマリコには何を意味しているのかは間違いなく判った。
 あたりを見回すと、アナルビーズが入っていたのと同じジッパー付きの袋が便器の奥の棚に雑作なく置かれているのが見えた。
 マリコは慌てた。そのものを置いてきてしまったからだ。気がつくと、その物を取りに今来た自分の事務所のある棟へ走りだしていた。
 (急がなければ・・・。)

 マリコが制服の胸ポケットにそのものを忍ばせて再び役員フロアへ戻って来たときにはさすがに息が切れていた。その吐息を何とか抑えるように口を手で蔽いながら、男性用トイレのドアを押し開けた。今度は慌てていて無雑作に開けてしまったが、幸い誰も居なかった。マリコには悠長に確認している余裕などなかったのだ。
 個室のドアを押し開くと、さっきまであった筈の場所にビニル袋は無くなっていた。
 後ろを振り向くと扉の裏に新たな紙が貼られていた。
 「言い付けに背いた者には罰が下されるであろう」
 判じ物のような文章で、これも知らない者が間違って読んだとしても、首を傾げるだけだろう。が、マリコにはどういう目に遭うのか想像が出来る。マリコは暫くその文句に釘付けになって、呆然と立ち尽くしてしまっていた。
 (自分は常に見張られているのだ・・・)
 何時までもその場に留まる訳にはゆかなかった。仕方なくとぼとぼ戻るマリコだったが、常に何処かから男の視線が覗いているように思えて、ついつい辺りを見回してしまうが、潜んでいるような男の姿はついに認めることは出来ないのだった。事務所に戻ったマリコはアナルビーズの処置に困った。居室内で持っていれば何時誰に見付かるか判らない。それを一目見て何なのか判る者も居るかもしれない。仕方なく、ポシェットの中のピルケースに仕舞って持ち歩くことにしたのだった。

01サチ

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