rin5

美剣士、凛



その9


 その夜、弥太郎は微かな物音に目を覚まし、表に出てみて、道場
の外でひとり、真剣を手に素振りに打ち込む凛の姿を認めたのだっ
た。その迫力には鬼気迫るものがあり、近寄りがたさを醸し出して
いた。
 凛とは長い付き合いになる弥太郎には、凛の思いが手に取るよう
に判った。凛は敵に捕らえられ、責め苦を受けるのを堪える鍛錬を
していながら、昇天してしまった自分を恥じ、自らの至らなさに今
一度渇を入れているに違いなかった。
 空気を斬り裂く白刃の鋭い音が、夜のしじまに何時までも響いて
いるのだった。

 次の夜、弥太郎は密かに凛の住まう居室に密かに呼ばれていた。
その日は、尼僧院へ誘う風はなかった。きちっと凛が奥に正座して
いるので、弥太郎も固くなって、部屋の隅に正座して控えていた。
 凛は静かに眼を閉じ、真正面を向いたまま口を開いた。
 「弥太郎、お前はバテレンの食い物で、腸詰と呼ばれるものがあ
るのを知っておるか。」
 突然、凛は思ってもみなかったことを口にしたのだった。
 「はあ、聞いたことはござりまするが、目にした事はござりませ
ん。法度の物と聞いておりまする。」
 「そうだな。禁じられておる食い物だ。如何なるものかは知って
おるか。」
 「存じませぬが・・・。」
 「男の怒張したそのモノのような形をしておるそうじゃ。」
 「ま、摩羅でございまするか。」
 「そうじゃ。」
 弥太郎はついそのモノを想像してしまう。凛のほうをちらっと横
目で見て、顔を赤らめるでもなく、言い切った凛をみて、また俯い
てしまう。
 「非人の棲む村を知っておるか。」
 突然、凛は話を変えたようだった。
 「屠殺師の非人のことでござりまするか。」
 「そうだ。」
 「江戸川の先にあると聞いておりまする。」
 「そこに、猪豚の腸を扱っている職人が居る。腸詰を作る材料と
して扱っておるのだ。無論、禁制のもの故、内密に商いをしておる
筈だ。そこへ誰にも知られずに忍んでいって、腸詰の為のはらわた
を所望してくるのだ。内密にだぞ、よいな。」
 そう言って、凛は懐から金子(きんす)を取り出すと、弥太郎の
ほうへ差し出すのだった。

 「猪豚の腸(はらわた)だとう。何に使うおつもりじゃ。」
 教えられて訪ねていった長屋の奥で、身分の卑しそうなその親爺
が不審そうな目で訊き返してきた。
 「主が内密で要り様なのだ。深くは詮索するでない。内密で用意
出来るならこれを呉れてやろう。」
 弥太郎は凛から預かった金子を男に見せる。
 「良かろう。ちと、ここにて待ちおれ。」
 そう言うと、後ろの破れ障子を音も無く開くと、外へ出ていった。
しばし待つほどに、男が何やら包みを持って現れた。弥太郎はそれ
を受け取ると懐に仕舞い込み、金子を置いて畳を立つ。
 「お侍っ。何に使うものか、貴殿はご存知ないようにお見受けす
るが。」
 「バテレンの食い物を作るのに使うものであろう。存じておるわ。」
 「ふふふ、それは表向きのこと。バテレンの異人ぐらいしかそん
な使い方はせぬもの。」
 「してみると、如何様に使うというのか。」
 「女人の尻壷を責める時に、モノに被せるのに用いるそうじゃ。
尤も、こんなことは大奥の中でしか知られて居らぬこと故、ご存知
ないのも無理からぬことじゃ。」
 「な、なんと・・・。」
 思いもしなかった用途に呆れる弥太郎であった。弥太郎は、凛が
バテレンの食い物を密かに試してみようとしているのだとばかり思
っていたのだった。
 「よいか、他言は無用にてござるぞ。よいな。」
 弥太郎は威嚇するように、腰の得物に手を掛けてみせながら、念
を押す。
 「へへへっ。いかにも。」
 男は思いもかけぬ金子を手に入れ、満足そうだった。


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